水に映る月 1

〜はじめのつぶやき〜
先生も譲らないんですよねぇ。頑固というか……

BGM:嵐 Happiness
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セイが屯所で赤子を産んでからはや数か月。
家に戻り、初めは慣れぬことばかりだった子育てだったが、どうにか慣れてくるものらしく、生来、器用な方でもあるセイはすっかり母親の顔を見せるようになっていた。

「ご機嫌ですねぇ」

寿樹を抱き上げた総司に、セイが台所から微妙な顔を向けた。

夜泣きもあるからと気を遣うセイに、当たり前のことだからと、総司もなるべく家には帰る様にしている。夜番や急な泊りの時には、なんとか時間を作って必ず様子を見にくるほどの過保護ぶりには、さすがのセイも驚くばかりだ。

「総司様、そんなに無理をなさらなくても大丈夫ですから……」
「無理じゃありませんよ。私がしたくてしていることですから気にしないでください」

短い時間に屯所から駆け戻った総司が機嫌よく手を伸ばしてぴたぴたと総司の顔を触っている寿樹を嬉しそうに抱いている姿を見ていると、それ以上言えなくなってしまうが、やはり屯所での総司の立場を思えば心配になる。

「でも、総司様。その子が大きくなるまでこれからも長いことかかりますし、今からそんなに頑張っても……」

いくら構わないのだと言われても、心配してしまうセイに向かって総司がひどく真面目な顔を向けた。

「何を言うんです?いいですか。赤子の時こそ、こんなにも毎日変わっていくのにそれを私に見るなというんですか?」
「え、いや、そういうことでは……」
「もう、半日合わないだけでも顔つきも変わってくるのに、こんな短時間の私の楽しみをとろうっていうんですか?」

まさか、真顔でここまで言い募られると思っていなかったセイは、畳み掛けてくる総司に、たじたじとなってしまう。家長である総司に文句をつけているわけはないのだが、これほどの溺愛ぶりには不安を覚える。

正面からの反論を避けて、上目づかいになったセイがぽつりと呟いた。

「総司様、もしかして局長や副長にも同じことをおっしゃったんですか?」
「ええ。もちろん、言いましたよ?」

当然という顔をした総司に、セイは頭を抱えそうになった。このタガの外れたような溺愛っぷりがどのくらい続くのかと頭が痛くなってしまう。

そんなセイに構わず、総司はふと表でなっている鐘の音に気付いた。

「おっと。そろそろ行かなくては。では、セイ。戸締りをしっかりして何かあっても無茶は絶対にいけませんよ。貴女は母になったんですから」
「承知しました。総司様もお気をつけて」

総司の手から寿樹を預かると、名残惜しそうな総司を家から送り出す。不安に思っていたはずの母としても、妻としても、満たされた家に残ったセイは腕の中の寿樹に話しかけた。

「父上にも困りましたねぇ」

意味が分かるわけもないが、きゃっきゃと笑う寿樹に頬ずりをしてからセイは自分の分の夕餉に取り掛かった。

 

夜番のあと、日を置いて総司の非番の日にセイは総司に話を切り出した。少しずつ体力も回復してきたので、仕事に戻りたいと思っていたのだ。
片づけを終えたセイが総司の茶を入れて部屋に座ると、ぴたりと手をついて総司の目の前に座った。

「総司様。少しお話したいんですが、よろしいでしょうか?」
「ん?なんです?」
「今すぐ、毎日というわけにはいかないかもしれませんが、半日だけとか一日おきから初めて、少しずつ仕事に戻りたいんです」

飽きもせず、寿樹を眺めていた総司に向かってセイがそういうと、初めからセイの話に想像がついていた総司が顔を上げた。早晩、セイからそういう話が出てくるとは思っていた。畳に手をついて寿樹の顔を覗き込んでいた総司は、セイの顔を見ると座りなおす。

「いつか話そうと思っていましたが、この際ですからきちんと話ましょうか。……私は貴女にはこのまま家にいてほしいと思ってます」
「総司様!」
「貴女は母親になったんですよ?寿樹を連れて仕事などできるわけもない。まして、これがその辺でおかみさんたちが洗い物をしているのとはわけが違う。仮にも屯所に赤子を連れて行けるわけがないじゃないですか」

内心ではついにきた、とどちらも思っていた。
総司はセイが働きたいと言い出すのはわかっていたし、セイはセイで、総司が反対するだろうということもわかっている。それでも互いに、互いが譲らないこともよくわかっていた。

畳に手をついたセイは、腹を決めていただけに真剣な顔で総司を見つめた。ここで引き下がりたくはない。

「総司様がおっしゃりたいこともわかります。ですが、この子は新撰組、一番隊組長沖田総司の子です。安全な場所で、ぬくぬくと育つより、鬼の子らしく、父や母の働く傍で育てたいんです」
「貴女はよくてもほかの皆の迷惑です」
「迷惑など掛けません!」

一瞬、緩んだように見えたが、総司の態度は頑として崩れなかった。
セイがたとえどれほど迷惑をかけないようにすると言っても、やはり、何か仕事をしている時に赤子が泣けば誰かがあやしに向かうだろうし、いずれ歩き回る様になればもっとである。それを言われれば何があっても大丈夫とは言い切れない。

「貴女一人がそう言っても、子を育てるのは一人じゃ無理でしょう?家にいてこそ、つききりで寿樹の面倒を見られても、屯所ではそうはいかないんですよ?」

そんな分かり切ったこともわからないのかという総司に、セイは唇を噛み締めた。総司のいう事はもっともではあるが、それでも戻りたいのだ。

「それなら、一日ずっとじゃなくても構いません。朝から昼までとか、昼から夕方まででも構いません」
「そんな半端な仕事をされたら周りがどうなると思ってるんです?貴女のために合わせて皆が動かなければならなくなるんですよ?」
「それでも私は医者です。女子の医者が子を産んだからと言って仕事ができなくなるなんてことはないと思います」

食い下がるセイに、ため息をついた総司は、一度、寿樹を寝かせると、立ち上がって台所に向かった。水を汲んで柄杓からそのまま飲みくだす。

いわゆる武家の者としては、家長であり一家の主である総司の言葉は絶対のはずだ。それを言いたくなかったのは、それを言ってしまえばすべてがそう なってしまう。総司とセイは、ありきたりの家ではなく、外向きはさておき、二人で作り上げてきた家なのにそれを壊してしまう事にもなりかねないからだ。

立ち上がった総司をずっと目で追っていたセイを柄杓を置いた総司が振り返った。

「セイ。これだけは私も」
「よう。セイ、いるか?」

総司が話かけた途中で、がらりと勢いよく玄関が開いた。顔を覗かせたのは松本だった。大阪へ行っていたのだが半月ぶりに戻ってきたので、さっそく顔を出したのだ。

「松本法眼。ご無沙汰しております」

台所に立っていた総司がそのまま玄関へと足を向けた。てっきり屯所にいると思っていた総司がいたことで松本も驚いた顔になる。

「お。なんだ。今日は非番か。水入らずなら出直すか」
「何をおっしゃるんですか!どうぞ上がってください」

踵を返しそうになった松本を引き留めて、総司が松本を招き入れた。
松本の声に部屋の奥にいたセイも立ち上がっていた。寿樹を寝かせていた小さな布団を端に寄せて、座布団を運んでくる。

総司が出迎えた松本を伴って部屋に来ると、セイが手をついて迎えた。

 

– 続く –