水に映る月 9

〜はじめのつぶやき〜
先生、頼もしい旦那様だと思われているかもしれませんが。根は変わってませんよ

BGM:嵐 Happiness
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総司が戻る時間は早いと知っていても、その時間がいつになるのかはわからないのが常だ。寿樹の重湯と、細かくほぐした魚の身を寿樹に食べさせると、遊ばせておいてしばらくすると、眠くなったらしくぐずぐずとし始めた。
セイは、寿樹を抱き上げるとその背中を優しく、とんとんと叩きながら部屋の中をゆっくりと歩く。

静かに歩いていても、ただ立っているのとは違う体の揺れと、優しく背を叩く手にそのうち寿樹は眠ってしまった。

健やかな寝息を立てる息子をそうっと寝室に運んで寝かせる。つきたての餅のようなぷくぷくとした頬を撫でると、わが子の前髪をさらりと指で梳いたセイは、起こさない様にそうっと離れる。

寿樹はどちらに似たのか、お腹が足りていればよく寝る子だった。

ほんの少しだけ隙間を残して襖を閉めたセイは、台所に戻ると膳を整えて後は飯と汁だけという状態で運んだ。布巾をかけて総司を待つ。

繕いものでもしようかと腰を上げかけたところに総司が戻ってきた。玄関を開けて、細目に格子戸をあけると長身を滑り込ませてくる。寿樹が眠っているかもしれない時刻に戻る時はいつもそうだった。

「おかえりなさいませ」
「ただいまかえりました。寿樹はもう……?」
「ええ。慣れない場所に連れて行ったからか、もうぐっすりと」

刀を手にしたまま部屋に上がった総司は刀掛けに刀を置いて、羽織を脱いだ。気になるのか、そっと寝室を覗き込んだ総司は、しばらく様子を見てから用意されていた着替えを済ませた。

屯所の中では袴をはいている時間の方が長いが、こうして一緒になってからは家にいる間にくつろいだ姿の方が多い。

総司が腰を下ろす時間を見計らって、温めた汁と飯を運んだ。

「屯所に戻ったら原田さんと永倉さんに詰め寄られちゃいましたよ。帰るところを見ていたみたいで、寿樹まで連れてきていたならなぜ、呼びに来ないって」
「そんな、原田先生も、永倉先生もついこの前も飲みにいらっしゃったじゃないですか」
「それはそれ、これはこれ、だそうですよ」

二人に詰め寄られた総司は冷や汗をかきながらも、早めに今日は上がるのだと二人を振り切るのに苦労をしたのだ。屯所の様子を語らいながら夕餉を終えると、珍しく総司は小さな庭を眺めながら酒を飲み始めた。

台所で片づけを終えたセイが手を拭きながら部屋に戻ってくると、総司の様子を見てすぐそばに膝をついた。お銚子に手を伸ばすと、軽く眉をあげた総司が杯を干した。

「総司様、少しよろしいでしょうか?」

すっかり控え目になっていたセイが、口を開いた。

「いいですよ」
「総司様、あんなに反対されていらしたのに、仕事に戻ってよろしいんですか?」

聞きたいことはたくさんあったが、まずは総司の本心が知りたい。そのほかの事はそれからである。
そんなセイに、総司は頷いた。

「あの場で言った通りですよ。私がどうではなく、隊には貴女が必要なんです」

涼しい顔でそう言い切られてしまえばあとは何も言えなくなる。セイは、喜んでいいやら複雑な顔で黙り込んでしまったセイの片手を顔を逸らした総司がきゅっと握って杯を干した。

「……これでも、努力はしてるんですっ」
「えっ?」

顔を上げたセイは庭を向いている総司の横顔がよく見えないのに、うっすらと汗ばんだ手に驚いていると、立てていた片膝に総司が顔を突っ伏した。

「そ、総司様?」
「……」

ぼそっと呟いた言葉が聞き取れなくて、少しだけ総司に近づいたセイをぱっと振り返った総司が抱き寄せた。セイの耳元に酒気を帯びた総司の吐息がかかる。

「ずっと、隊にいて仕事をしているあなたを見ているのは好きだったんですが、同時に、いつも不安で、怪我をしたりしないか心配で、家にいてくれれば いいと思ってたんです。寿樹が産まれてようやく貴女が家にいるようになって。……ほっとしたんです。誰の目にも触れないで家にいると思うと」

一緒になってからもいろんなことがあって、隊士である限りは仕方がないと思っていても、不安も心配もなくなりはしない。セイが総司を心配する事以上 に、いつも守るつもりでいても、守れないことがあることも身に染みてきた。そんな総司が、寿樹が産まれたことをきっかけに家にいてほしいと思うことは当然 と言えた。

ぐっと引き寄せられた腕に力が入る。

「でも……、思い知ったんですよ。貴女の様子を見ていて武家の妻らしくしようとすることも、私のためだってわかってるんです。貴女が慣れぬことに努 力してくれていることもわかっているのに、やっぱり仕事をしていた時の貴女が好きなんです。家にいて、大人しく私に従っているだけの貴女じゃなくて」

徐々に早口になっていく総司に、セイは目を白黒させながら次々と並べ立てる総司の言葉を聞いていた。

「ただでさえ、いつまでたっても私だけのセイにはなってくれない上に、寿樹の母としてかかりきりになることもあるわけで、そんな状態で仕事をはじめたら私の事なんてどうでもよくなるでしょうし……」

ずん、とセイの肩に重さがかかって、総司が頭を乗せたのがわかる。しばらく黙っていたセイが、ようやく総司がぶつけてきたすべてを飲み下した。

「……総司様。総司様の不安は私にもよくわかります。いくらお強くても、沖田先生がどれだけ無敵だと思っていても、何があるかわからない。いつも、お戻りになるまで、不安で少しでもお戻りが遅ければ、心配で仕方がなくて」
「ええ。私よりも貴女の方が、なまじ、半端に話が分かるだけに余計に心配をかけていることもわかってます」
「でも、お仕事をされている先生が一番好きですよ」

そうっと頭を傾けて総司の頭に少しだけもたれかかる。総司の背に回した手が着物を掴んだ。

「でも、総司様。寿樹にかかりきりって……」

びくっと総司の腕が震えて、肩に乗せられた総司の頭が揺れた。

「いやっ、気にしないでください!寿樹が産まれて本当に嬉しかったんですからっ」
「っ!総司様、本当ですか?!」
「ちっ、違いますってば!」

セイに疑われて慌てた総司が顔を上げた。少しだけ離れて顔を会わせると、薄らと頬を赤くした総司が必死に反論する。

「貴女がこれ以上大変になったらとか、できることは私も手伝っていますし、父としてですねっ」

いくらどんな言い訳をしても赤子が産まれれば女は赤子に時間をとられてしまう。
総司はいわゆる一家の主というものからは大分はずれていて、寿樹のおしめをとりかえれば、あやすこともするし、時には食事さえ食べさせることもある。元来の子供好きだけでなく、慣れぬセイの負担を少しでも減らそうと思っていた。

「それに」

急に総司の言葉が止まったのは、セイがぎゅっと抱きついてきたからだ。
総司は総司なりに、考えてできることをと思っていたが、その胸の内は今も変わらない。忙しさや仕事に戻りたいという思いに捕らわれていたが、総司の本音を聞くと嬉しくてたまらなくなった。

何といえばいいのかわからない。ただ嬉しいというだけではなくて。

「……だから、貴女が仕事に戻りたいと思っていることはわかっていて、それも必要なのだとわかっていて、黙って手配りをしたのは、素直にそういえなかった私の我儘なんです」

セイに想いが伝わったのだとわかると、諦めたような口調で総司が続けた。野暮天は野暮天なりの努力をしているというところだろうか。

 

– 続く –