風のしるべ 13

〜はじめの一言〜
どうやら奏さんは機嫌が悪いみたいです。
BGM:Zhane Hey Mr. DJ
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―― 気まずいんですけど……

一人で喜びいっぱいの顔をしているのは原田だけで、まさみはお礼をするだけのつもりだったのに、こんな高そうな店に来てしまい、すっかり困り果てている。

そして、付き合いだといって呼び出されたらしい沖田奏と名乗った男もまた不機嫌そうだった。

「あ、気にしないで飲んで食べてよ。注文しちゃったんだしさ。お店の人にも悪いじゃん?」

頼まれてしまえば、目の前に運ばれてくるものを遠慮して食べなかったとしても結局お金はかかるわけで、仕方ないと腹を決めた未生は、順においしくいただくことに専念することにした。
先八寸らしい、一口ばかりの料理が盛り付けられた器が運ばれてきて、まさみはまだしも、未生はよくわからないものも多かった。

「富永さん?だっけ。高校生だったよね。まさみちゃんと前から仲良しなの?」
「いえ、この前のバイトで仲良くしていただいてからです。原田さんこそ、菅原さんとはお知り合いだったそうですけど」
「そ!俺がまさみちゃんが困ってるとこ、助けたわけ」

興味もなさそうな顔で聞いていた奏が空になったグラスを置く。
ちょうど、菜の花と何かのかわいらしく盛られた一品を口に運んだところだったので、喉の奥に詰まりそうになってごほっとまさみがむせた。

「やめてください。あれは確かに助けていただいたんですけど……」
「いや、それがね。俺もさぁ、いつかああいうおっさんになるかもしれないんだけど」

まさみはあまり話を広げたくなかったようだが、共通の話題といえば、原田とまさみの出会いか、バイトの話だけだ。
まさみから顛末はきいていたが、未生は水を向けた。

「そんなにすごい酔っ払いだったんですか?」

ほとんど食べもせず、原田はビールグラスを手にひたすらしゃべっている。きれいに盛られた八寸を次々と片付けながら未生はよく話すなと原田を見ていた。

「まあ、ああいうおっさんの気持ちもわからなくないけどさ。若い女の子に絡んじゃだめだよなぁ」
「確かに、あの時は一瞬だけ見直しました。ありがとうございました」

ここで言わなければきちんと礼をいう機会がないと思ったまさみは手にしていた箸をおいて頭を下げた。ひらひらと手を振って原田は、もういいよ、と言いながらビールのグラスをあけてしまう。もうすでに三杯目である。

「こうしてお礼がしたいって言ってくれただけで十分だからさ。それに俺はまさみちゃんの携帯もメルアドも教えてもらっちゃったからねー」
「……かるっ」

にやにやと軽い受け答えをしている原田がまさか本気でこれを言っているとはとても思えない。だからこそ、まさみもその言い様に呆れて小さく呟いたのだ。

「飲みすぎ……」

未生やまさみには聞こえないように、小さく奏は呟いた。原田の隣に座っている奏には原田の浮かれようがいつになく本気な気がしていた。先ほどからビールばかりを飲んでさっぱり箸をつけていないことも気になるところだ。

初めに原田から女子大生と女子高生の二人と食事をするんだと聞いて笑ったものだ。

「原田さん、ナンパは社会人だけにしてくださいよ」
「馬鹿。ナンパじゃねぇよ。俺ぁ、こう見えてナンパなんかしたことねぇ」
「あー。そうですか。はいはい」

プライベートをどこまで知っているかと言われればそれほどでもないが、口でいうほど原田が軽い男ではないことも、付き合いのいい誠実な男だということも知っていた。

それでも時たま、付き合いだといって関係する会社のOLや派遣社員の女性たちとも飲み会をするときにはよく付き合わされている。

適当に遊んでいるようでいて、彼女らしい彼女を作らない原田が、心底、今は楽しそうにみえる。付き合いと思って仕方なくここにきた奏は途中から原田が、どうやら本気らしいということに気づいて、ちょっとと原田を手洗いに連れ出した。

「原田さん、本気なんです?」
「お?」
「いや、なんだか本当に嬉しくてたまんないって感じだから」

男同士の飲みならもっと飲むだろうが、今は学生を連れていて、どうせ店を出れば送っていくと言い出すだろう。それならそろそろ止めるべきだと思って連れ出したのだ。

手を洗っているとふと思い出す。

だからつきあえよ、と何度目かの誘いを言い出した原田のコーヒーカップを持つ手がわずかに揺れていた。
社会人になって自分も何年か経つが、今の自分が女子大生やまして女子高生と一緒に食事をしても話題が合うとは思えなかったが、それをみて付き合う気になったのだ。

プラスチックカップの端を前歯でかしっと噛んだ原田は、乾いた口の端をちらりと舐める。その顔に浮かんだものは奏にはうかがい知れない何かだった。

「……こういうのを運命っていうんだと思うぜ」
「は……?」
「いや。嬉しいわけよ。俺も女子大生と女子高生相手に食事する日が来るとはねぇ」

聞き逃した総司は、原田が何と言ったのかはわからなかったが、上っ面の言葉通りに浮かれているとはとても思えなかったのを覚えていた。

「……わかってるって。ちょっとさ。オジサンとしてはどうしていいかわかんないからはしゃぐしかねぇだろ?」
「まあ、そうかもしれませんけど……。ほどほどにした方がいいですよ」
「わかった、わかった」

そういって、濡れた手を振り回した挙句、ペーパータオルで拭った。

席に戻ったが奏は、隣で浮かれている原田を見ているのがなんだかひどく胸が痛んだ。それと同時に、なぜか、仕事では好感を持っていたはずなのに、同じように付き合いで来たはずのもう一人には無性に苛立ちを感じていた。

初めから自分は関係がないという顔をしていることが気に障る。親しく話をするほどの関係ではなかったから、こうして間近で会った未生の印象が瞬く間に変わってしまっていた。

「沖田さんでしたよね。原田さんとは同じ会社なんですよね」

ぷつりと途切れた話題に耐えられなくなったのか、未生がほとんど話さずにいる奏に向かって話しかけた。
コースにしては運ばれてくるのは割合、早かったし、品数も女の子がいるために、少なめのコースだったようだが、そろそろ閉めが近くなる。御造りに椀物が運ばれてきて、蓋を邪魔にならないようにおいたところに、水滴が落ちていた。

「この前、同じイベントをやっていましたしね。同じ会社で同じ部署にいますよ」

聞いた方の未生もわかりきったことを聞いたと思ったのか、ですよね、と小さく呟く。刺身はペロリと食べているが、椀物はどうやら苦手なのか、里芋の炊いたものには少ししか箸をつけていなかった。

「同い年なんですか?お二人は」
「いんや。俺のほうが上。まさみちゃんと未生ちゃんだっけ。二人と一緒さ」
「……仲がいいんですね」

原田は、未生のほうへと顔を向けるとにこっと笑う。ここまできて、ようやく未生も、原田の目の前にだけ、どんどん皿が増えていて、そのどれにもろくに箸をつけていないことに気づいた。

本当なら先付からどんどん皿がなくなって、次の皿が運ばれてきているはずなのに、原田だけはビールだけがどんどん進んでいて、ほとんど皿が減っていなかったのだ。

– 続く –