風のしるべ 14
〜はじめの一言〜
どうやら奏さんは機嫌が悪いみたいです。
BGM:Zhane Hey Mr. DJ
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―― もしかして、原田さんって、ものすごく緊張してるのかも……?
もしかしなくてもやはり、とんでもなくお邪魔な気がしてきて、未生はいたたまれない気持ちになる。
まさみはそうでもないようだが、それは女としてはまともに知り合ったわけでもなく、どんな人かわからなければ当たり前だ。たが、原田のほうはまさみを本気で気に入っているらしい。
「あの原田さんは、……」
何と聞けばいいのかわからなかったが、まさみのことを本当に好きになったのかと、そんなようなことを聞きたくて、未生は口を開きかけた。それがひどく子供っぽい質問にも思えた未生は、なんと続けていいのかわからなくて言葉を切ると、ん?と原田の視線が未生に向いた。
「原田さん。居酒屋じゃないんですから、先にビールを飲むだけ飲んであとから食べようっていうのはやめてくださいよ。原田さんだけ目の前がいっぱいじゃないですか」
さらりと割って入った奏は、まさみと未生の食べようからして、八寸を二人の間に押しやった。
「ほとんど箸をつけてませんから、お二人も手伝ってあげてください。この人、普段から先にお酒を飲んでそれからお腹の余ったところに食べられるだけって人なんです」
「奏~。お前、やっぱり俺のことわかってんね!」
勝手に原田の皿を取り上げた奏に怒るどころか、にこにこと笑いながらその肩をバシッと叩いた。
「あの、もう大丈夫ですから」
「……」
無言でホームから降りていく奏に未生は困り果てていた。
結局、ほとんど原田は食事を食べることなく、大半を残してしまったが、ほかの三人は最後まで食事を楽しんだ後、時間も遅くなるからと言って帰ることにした。
まさみのことは原田が当然のように送っていくといい、奏は未生に最寄駅を聞くと、頷いて歩き出していた。
ざっくり言えば、まさみも未生も方向的には同じだが、路線が違う。とりあえずは、四人とも駅に向かって歩いていた。
「あ、あの」
一人先に立って歩いて行ってしまう奏に、一番若い未生が困って後ろを振り返る。どうにもこういう状況は不慣れでどうしていいかわからなくなるのだ。
原田はちゃっかりとまさみの隣を歩きながら、手にしていた鞄ごと奏の方を指差した。
「富永さんはあいつが送っていくから大丈夫。ほら、追いかけて。まさみちゃんは俺が送るし!」
「え、でも」
「方向は同じだから大丈夫。急いで急いで」
苦笑いしたまさみが手を振っているのをみて、後ろを振り返りながらも急ぎ足になる。追い立てられるように駅のほうへ急いだ未生は、改札の前で不機嫌そうに待っている奏にようやく追いついた。
奏の様子がいかにも不機嫌だというオーラがいっぱいで、急いでパスケースを取り出した未生は、そういえば原田に食事の礼も言い損ねたし、まさみに挨拶もしていないと後ろを振り返った。
少し離れたところに立ち止って、原田が笑みを浮かべて話しかけているのをまさみがなにか受け答えをしているのが見える。振り返った未生に気付く様子もない。
「行きますよ」
不意に声をかけられて、慌てた未生は原田たちの方を指差して背を向けて行こうとする奏を呼び止めた。
「あ、あの挨拶とかしてなくて」
「今からじゃ邪魔になるだけですよ。あとでメールでも送ったらどうですか」
振り返った奏は大きくため息をつく。あからさまに面倒に付き合っているのだから、早くしてほしいという雰囲気を滲ませた奏は、さっさと帰りたいのだという意思表示に携帯の時計をちらりと確認した。
せっかく二人になったのだから、まさみはどうかわからないが、原田にとっては大事な時間のはずだ。そのくらい少しは察してもいいだろうに、とますます奏は苛立った。
―― どうしてでしょうね。真面目でいい子なんでしょうけど、関わりたくない気がしてならない……
仕方なく、送ることを引き受けたが、それもとても気が進まないことだった。
原田があれだけ浮かれているのは仕方がないと苦笑いで見守ることができるのに、どうしてこの若い高校生にはひどくささくれた気分になるのだろう。
ぴしゃりと言い切られて、顔にはむっとした表情が浮かんだが、奏に向かって反論するつもりにならなかったのか、未生は素直に奏の後ろに続いて改札を抜けた。ちらりと振り返って、それを確認しながら、ホームに向かって奏は歩き出す。
場所が場所だけに、サラリーマンや、早い時間からの飲みの帰りの客が多い。少し離れ気味に歩いていると、酔っ払いにぶつかられてよろめいている。
―― このくらい、いくら高校生でも慣れているでしょうに……
今どきの高校生なら、隠れて酒を飲むまではなくても、夜遅くまでカラオケやなんだかんだと遊び歩くことだってあるはずだ。こんなビジネス街に来ることは少なくても、駅の乗り降りでももたつくのがあり得ないと思えてしまう。
ため息が知らず知らずのうちにでてしまい、奏は渋々、未生の腕をつかんだ。
「あのねぇ。少しはちゃんと歩いてきてください」
「そんな、掴まなくてもちゃんと歩いてますっ」
今度こそ、本当にむっとして奏の手から体をひねって逃れると、それでも電車を待つ列に並ぶ奏の後ろに立った。
呆れた視線が突き刺さってきて、再び気まずい気持ちになる。
思い返せば、食事の間中、奏は不機嫌そうな感じがしていた。もしかしたら、今日は無理に誘われてきた上に、こうして未生を送らなければならない羽目になって、ますます不機嫌になったのだろうか。
そう思うと、仕事で疲れているのだろうし、急に申し訳ない気がしてくる。
見上げれば電車が来るまでにあと数分ある。
原田の連絡先はわからないが、まさみにだけはすぐにメールしようかと考えながら歩いていたので、足取りが危なっかしくなったのも確かだった。
半分だけ未生の方へ体を向けている奏の顔を見上げると、未生はとにかく謝っておくことにした。
「……すみません。送っていただいてるのに……」
ちらっと視線が向けられたが奏は何も言わずに、連れだとわかる程度の距離に立ったままだった。
未生は携帯を取り出すと、まさみと母親へメールを送る。奏は原田の肩をもっているのか、邪魔するなといっていたが、どこまで本気なのだろうかとふと思った。
正直なところ、社会人の原田から見て、大学生のまさみが本当に恋愛対象になるのか、単にスケベ心を出しているだけなのかわからない。いくら、互いに職場や自宅がわかっているからといっても、なんの保険にもならないことはよくわかっている。
―― まさか本気じゃないだろうし、からかっているつもりもないんだろうけど
「きましたよ」
「あ。はいっ」
ふわぁっと風が先に来て、ざーっと電車が滑り込んでくる音がする。
その一瞬、未生は顔を上げてすぐ、どきっと目を見開いた。
目の前には汚れで汚くなった打ちっぱなしのコンクリートと、錆色の線路と、砂利とがみえているのに、そこに見えたのは埃っぽい舗装されていない道と、目の前に立っている奏の姿にもう一人ダブって見えた。
男なのに、後ろで一つに結い上げた髪が揺れていて、スーツ姿の背中にかぶって着物姿が振り返った。
『行きますよ』
半分だけ振り返った横顔がそっくりに見えて、未生の胸がぎゅうっと締め付けられた。
– 続く –