風のしるべ 16

〜はじめの一言〜
BGM:Zhane Hey Mr. DJ
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小さな駅だけに、たいして栄えてもいない商店街らしい通りを抜けると、コンビニの前をこっちなんです、と言って先に未生が歩いて行く。奏に気を遣いながらも先を歩く姿が軽いなぁと思う。
歩幅が違うので、鞄を片手に下げた姿でゆっくりとついて行く。

歩くペースをあわせた未生は、家までの道で一番人通りが少ない道にきて奏の隣に近づいた。今までも怖い目にあったことがあるわけではないが、どこそこで不審者がいたという話には事欠かないことも事実だ。
街灯もついていて、怖いわけではないが、何となくせっかく送ってくれているのだからと隣を歩く。

「沖田さんのおうちは近いんですか?」
「二つ先です」
「えっ……」

身近に奏と同じ年代の大人の男性などいないだけに、少しだけ緊張もしていたのだ。何の気なしに口にしたことは、ますます未生を落ち着かなくさせた。
送ってくれているからにはそれほど遠くないだろうと家を聞いた未生は、思ったよりも距離があることに驚いて、自分が失敗したことに気づく。

「すみません。お疲れなのに……」
「別にかまいませんよ」

未生がどうしていいかわからないのと同じように、奏も困っていた。ひどく居心地が悪くて、何かが気にかかる。
とにかく、早く家に送り届けるのが先だが、未生に続いて歩く道はありがちな人通りのない住宅街に思えた。車通りの多い通りから一本入ってからは、街灯も一応はあるが、やはり送るのは正解だったと思う。

それほど複雑な道ではなくて、歩いている先に中くらいのサイズのマンションが見えてきた。

「すみません。そこのマンションなので、もう大丈夫です」

会話もなくしたまま歩いてきた処に、自分の住むマンションが見えてきてほっとした未生は、勢いよく指差した。

「ありがとうございました!」
「……どうせ、ここまで来たら下まで行きますよ。それと、今日のことは気にしないでください。またアルバイトで顔を合わせる機会もあるかもしれませんが、これまで通りにお願いします」
「あ、はい。ありがとうございます」

少し足早になっ た未生がマンションの入り口で足を止める。
スーツのポケットに手を入れていた奏が片手を出して中へ、と手で促した。少しだけ首を傾けた奏に促されて、エントランスのドアを押し開けている間に、奏は踵を返していた。

あまりにあっさりと帰っていく後姿をみて、なんだか今日一日の疲れがどっと出た気がする。振り返っていた未生は、あれこれ考えるのも面倒になって、ため息をつくと家へと向かった。

「本当にごちそうになりました」
「いや、俺が嬉しかったからいいの。富永さんにもよろしくいっといて。もしかしたら、またバイトで会えるかもしれないけどね」

まさみが一人で住むマンションの手前まで送ってきた原田と別れ際の挨拶を交わす。こちらは未生のマンションと違ってエントランスがあるような建物ではない。部屋の前まで送るという原田に遠慮しながらもう一度、今度は送ってもらった礼を言って頭を下げた。

「じゃあ」
「うん。あのさ」

中に向かうまでという原田に、背を向けて歩き出しかけたまさみは足を止めて振り返った。二人の間が少しだけ開いているのに、まるで傍にいるように原田は語りかけた。

「はい?」
「まさみちゃん、彼氏いるの?」
「……は?」
「いないんだったら、俺と付き合おう」

まるで、明日また、とでもいうくらいあっさりと言われた言葉に、頭が真っ白になったまさみは赤くなったりするよりも先に、驚きと意外だという方が先にたって、まさか、と眉を顰めるとうさん臭そうな顔で、鞄を両腕で抱きしめた。

「冗談、ですよね……?」
「冗談じゃないよ」
「ば、馬鹿にしないでください!」

かっと頬を朱に染めたまさみは、原田の顔を見もせずにくるりと背を向けるとその場から走り出した。

―― 馬鹿にして!馬鹿にして!馬鹿にして!

「おい!待てよ!」
「待たない!馬鹿!ちょっといい人だと思ったのに!」

慌てて追いかけてくる原田を振り払って、まさみは階段を駆け上ると、急いで自分の部屋の鍵を開けて飛び込んだ。遅れて追いついた原田の目の前、タッチの差でドアが閉まり、閉ざされたドアを小さく叩いた。

「ちょっ、まさみちゃん!」
「早く帰って!近所迷惑だし!」

ドアを背にして怒鳴ったまさみは、ぴたりと静かになったことでほうっと息を吐いた。

こん。

「!」

ドアを一つ叩く音がしたと思ったら、鞄の中で携帯が鳴った。振動音が聞こえて、今にも泣きそうだったまさみは、苦い思いで鞄の中から携帯を探し出す。
ぴっと、片手で操作すると、メールが届いていた。

『ごめんなぁ。驚かせたよな』

「何!?」

『本当に悪かった。でも、ふざけてるつもりはなくてさ。今は冗談だと思ってもいいから、少しでいい。考えてみてくれないか』

原田からのメールを見たまさみは、スクロールしなくても読み終わってしまう短いメールをじっと見入ってしまう。

こんこん。

「おやすみな。まさみちゃん」

二つのノックではっと顔を上げたまさみは、小さく聞こえたその声の後、コツコツとゆっくり離れていく足音を聞いた。
恋をしたことがなかったわけではない。でもそれは、幼い恋心でしかなくて。

こんな風に大人になってから誰かに恋われることなどなかった。

それを本当だと、本気なのだと信じられるほど夢見がちではないからこそ、心が揺れる。信じて、傷つくのが怖くて、でもそれだけではない何かに胸が痛んだ。

「なんなの……。こんなの知らないし。普通、あってすぐに付き合おうなんて人、信じられるはず、ないじゃん……」

泣きたいのに、涙が出なくて、靴を脱いでゆっくりと部屋に入る。まさか、自分にこんなことが起きるなんて思ってもいなかった。

―― 悪い夢なんか見たくないのに……

部屋の真ん中に鞄を放り出すと携帯だけを握りしめてベッドの上に倒れこむ。開いたままのメールをまさみは何度も繰り返し読み返した。

– 続く –