風のしるべ 17

〜はじめの一言〜
BGM:Zhane Hey Mr. DJ
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長い長い夢を見ていた。懐かしくて、愛おしくて、切ない夢だ。

未生を送り届けてから駅に向かった奏は、二駅分電車に乗って自宅まで帰って来た。

原田には悪いが無駄に疲れた気がして何もする気にならず、Tシャツとジャージに着替えて部屋の中に転がる。10畳ほどの部屋の真ん中にはガラスのテーブルがあって、ベッドとの隙間に寝転がると天井を見上げた。

気が抜けてみるとどうしてあんなに苛立ったのかわからない。

―― いい子だと思いますよ。場馴れしてないのもちょっと気配りが足りないのも、子供だから仕方ありませんしね

なのに、傍にいてはいけない気がして、じりじりとしたジレンマを感じた。きちんと立って、移動すればいいものを面倒でテーブルを腕だけで押しやると、あまたの後ろで手を組んだ。

とろとろと気が付けば睡魔が襲ってきて、瞼を閉じてしまう。

『絶対守りますから!』

「沖田先生?」
「?!」

がばっと勢いよく起き上がって、胸の痛みに顔を歪めた。セイは驚くことなくそれを黙ってみている。
落ち着いて、咳き込むこともない総司に、詰めていた息をほっと吐いて笑った。

「そんなにお元気なら、今日は調子がよさそうですね」

さらっとそんなことを言える程度には、セイも慣れてきたのだろう。良くも悪くも。

ちょうど枕元に置いてあった桶を下げていくところで、その姿を見送りながら総司は、再び横になったまま、セイが開けて行った障子から表を眺めた。
温かくて、雨が降っている。冷え込んでいないから自分も体調がいいのだろう。

―― もう梅雨、か……

気が付けば雨の日が増えていて、陽気のいい日が続いていた春から季節は移り変わっている。
江戸に移ってからも、一進一退を繰り返しながら、緩やかに総司は終わりへと進んでいた。

雨に濡れた庭木が生き生きと緑の葉を広げている。

何を考えるでもなくそれを見ていた総司の元に、セイが戻ってきた。
ゆっくりと起き上がると、厠に行くという総司を見送って、セイは総司が眠っていた布団をちょうどよい、と退かした。押入れには天気のいい日に干しておいた代わりの布団がある。
それを引き出して上下ともに取り換えると、今まで使っていたものは押入れの下にしまう。次に晴れたらこれを干すのだ。

こうして総司の体調がいい時は、こまめに布団も変えないと、熱にうなされた総司は寝汗もひどかった。
いくら着替えさせても起き上がることすらできない時もある。

そんな日に比べたら、こういう日はセイも心が穏やかにいられた。

少しだけ頭の方を全体的に座布団を挟んで高くしてある。
さっぱりと整えると、ちょうど総司が戻ってきた。

「少し、起きていても?」
「ええ、もちろん。朝餉をお持ちしましょうか」
「もう、朝昼餉ですね」

はは、とおどけた総司は、胡坐をかいて庭が眺められる場所に陣取る。
もうすぐ昼という時刻なのはた総司の言った通りで、とうに起きていたセイはすでに家の中の事を済ませてあった。いつ総司が目を覚ましてもいいように、食事の支度もできてある。
粥と汁を温めている間に、小さく切った魚の干物を少しだけ炙った。

そこまでしなくてもといわれはするが、全部小骨まで取り除いて、一口で食べられるくらいに切ってある。
それをきっちり頭から尻尾の方まで並べると、粥と汁をよそって膳を持ち上げた。

「お待たせしました」
「ありがとう」

総司が向きを変えてセイの方を向こうとする前に、庭に向かった総司の目の前に膳を置く。
表を眺めることで総司の気が晴れるなら、表をながめながら朝餉をとるくらい何でもないのだ。

「お寒くありませんか?」
「ええ。今日は雨なのにちょうどいい温かさですね」

そういいながら、白湯の入った湯飲みを手にして一口、口に含んだ。

「!」

味がする。苦い、鉄の錆びた味が。

すぐ湯飲みを置くと、セイとは反対の方へと体をひねって口元を押さえる。こみあげてくる生暖かい死神は、何度繰り返しても総司を怯えさせた。

―― 神谷さんが傍にいるのに!

片手は口元を押さえて、もう片方の手はセイに下がれと精一杯伸ばされる。
セイは、冷静に目の前の膳をすっと手前に下げて総司がその場に横になれるように場所を開けた。そしてそのまま右側を下にして倒れこんだ総司の背を何度も摩る。

「先生。無理に抑え込もうとしないで、出てくるものは出してしまってください。自然と収まります。咳は喉に詰まるのを避けようと体が自然に動くだけですから」
「いい、……ごほっごほっ」
「はいはい。あなたは離れなさいですね。わかっております」

だから余計なことは言わなくていいと、背中をさすり続ける。気が付けば総司は再び布団の上にいた。熱っぽい呼吸を繰り返す総司に少しずつ体をずらさせて、布団に引き戻すと、口元を拭い、温かい手拭いを胸に乗せる。

ふわりとそれから蜜柑の香りが漂った。

「……こんな時期に?」
「落ち着きましたか?沖田先生。もう少ししたら、今度こそ、昼餉をご一緒にいただきましょうね」

にこっと笑うセイが、横向きになっている総司の背後でゆっくりと背中をさすっていた。

「先生?」
「もう、先生じゃないのに……」
「いいえ。先生は先生です。師を敬わない弟子なんてありえません」

悪戯っぽく笑うセイに顔が見えなくてよかったと思う。きっと、今、自分はひどい顔をしているからだ。

―― そういえばおかしな夢を見ていたからだろうか

「神谷さん……。あなた……」

その続きに何を言おうとしたのか自分でもわからないまま総司は言葉をきった。
飽きもせずに繰り返す、出ていきなさい、なのか、女子に戻りなさい、なのか、何を言いたかったのだろう。自分でもよくわからなくて、総司はぽかんと庭を眺めた。

まだ、雨が降っていた。

– 続く –