風のしるべ 29

〜はじめの一言〜
BGM:Believe in love
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「富永さん」
「はいっ」

離れたところから話の継ぎ目にふわりと奏が未生を呼んだ。物静かに、落ち着いていて、ただ、そこにすっと線を引かれた気がする。

「話が終わりなら行きましょうか」
「ちょ、おい、おっさん」

未生の前に割り込んでこようとした中村に姿勢を変えずに、奏は穏やかに応じる。

「何?」
「なんなんだよ」
「何が?」
「おっさんがさぁ、女子高生に何してんの?」

ふっと笑った奏が、ガードレールから身を起こしてまっすぐに立つと、中村よりも10センチ以上は背の高さが違う。見上げる格好になった中村が、分の悪さから余計に見栄を張った肩先をすり抜けて、未生が奏の傍に立った。

「馬鹿村!大きなお世話だから!じゃね!!」

大きな声で未生が怒鳴りつけると、行きましょう!といって、ぷりぷり怒りながら先に歩いて行ってしまう。

その後を追いかけようとした奏は、踏み出しかけて中村を振り返った。

「じゃあ」
「!」

かっ、となった中村をおいて奏は早足で未生に追いつく。触れずにいるのもわざとらしい気がして、からかうように悪戯っぽく問いかけた。

「よかったんですか?」
「何がですか?」
「イケメン、男子高校生」
「どこが!気持ち悪いからやめてください!」

憤慨してますます早足で歩いていく未生がおかしくて、はいはい、と言いながら後ろではなく、隣を歩いていく。
その距離が、今までよりも少し近くて肩が触れそうなくらいに近い。

チェーン店のこぎれいな定食屋に入った奏と未生は互いに注文をすると、向かい合った席で無言になる。すっかりむくれた顔の未生の顔を覗き込んだ。

「そんなに怒らなくても」
「だって……。沖田さんのこと、おっさんとか、もうあいつ本当に腹立つ!」
「は……?」

怒っていた理由が奏がからかったからではなく、そこにあるのかと知って、目が彷徨う。一度口を開いてしまえばあとはとめどなくなったようで、ぶつぶつと怒りを口にするセイを宥めにかかった。

「ほんっとありえないんだから!馬鹿村のくせに!何がおっさんよ!」
「そんなこと言っても、高校生から見たら十分におっさんでしょう?」
「おっさんって!そんなことありません!もっと上の世代だったらわかりますけど、沖田さんや原田さんは、せいぜいお兄さんです!」
「お、にいさん……」

その表現がおかしすぎて、奏が肩を震わせて口元を押さえた。視線を逸らしてなんとか笑いを堪えようとしたが、堪えきれずに笑い声が漏れる。

「また笑う~!」
「す、すいませ……。あっはっは」

今度こそ、奏のいい様にむくれてしまった未生は、むぅっと頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。
定食が運ばれてくるまで、なんとか笑いを収めた奏はとりなそうと話しかけていたがすっかり腹を立てた未生は、何を言ってもそうですか、良かったですね、と答えるだけになってしまった。

「富永さんの名前、変わってますよね。あまりないというか。可愛らしい名前ですがどういう意味なんですか」

じいっと総司を見返す大きな目に、テーブルの上に組んでいた手を開いて見せた。

「じゃ、私の方が先に。本当は私には兄がいたはずなんです。その兄が祐一で、私が奏二だったんです。繰り上げ長男になったので、二じゃないなと。結構安易でしょう?」
「……すみません」
「どうして富永さんが謝るんです?赤ん坊の頃の話ですよ。それより、富永さんは?」

自分が拗ねていたせいで、言わなくてもいいことを言わせてしまったと、頭を下げた未生は、うながされて口を開いた。

「私は、母が。生まれてきたことへ感謝を忘れないようにって」
「へぇ。素敵なお母さんですね」
「ちょっと変わってるんです。ありがとうって言ったら、産んだことには感謝しなくていいから今生きていることに感謝しなさいって言うし」

変なんです、という未生だったが、その空気が母親を尊敬しているのが伝わってくる。どうやら家族仲は、とてもいいらしい。それぞれの注文が運ばれてきて、今日の講義はどうだったという話に代わる。

時々、中村という男がここで間違ったとか友人らしい名前がちらほらと顔を出す。

「予備校は予備校で、大体同じ顔ぶれだし、クラスもあって、テストで順位も張り出されるからお互いのレベルとかも知ってて、学校のレベルだけじゃないんです」

ふうん、と頷きながら、少しだけ驚いている自分に奏は驚いていた。これだけ年が違って、学生の未生には未生の世界があって友人らに囲まれていることも当たり前だというのに、今更その差に驚いていた。

「でも、仲がいいんですね。きっと。だって、そんなあだ名で呼べるほど?」
「あだ名じゃないですよ!馬鹿だから中村じゃなくて馬鹿村なんです」
「本当に馬鹿なんですか?」

ん?と首を傾げると、少しだけ未生は視線を逸らす。顔つきや格好は今どきの高校生だったが、それほど出来が悪そうには見えなかった。

「……少し。私よりは下ですから」

その言い方を聞いていれば、ただ自分よりも下だからというより、ああして構ってくるからそう呼んでいるのだというのもわかる。

「本当に?」

意地が悪いかもしれないと思ったが、畳みかけるともっと気まずそうな顔になる。それは、どちらかといえば奏が自分のために聞いたようなものだった。

「えと、それより」
「そろそろ帰りましょうか」
「あ……はい」

いきなり話を打ち切った奏に、目を丸くした未生は、壁の時計を見て慌てて立ち上がる。鞄から財布を取り出して代わりに携帯を押し込む。
その間に、先に立った奏がさっさと会計に向かってしまった。

ありがとうございましたー、という声を聞きながら店を出る。あとを追った未生が、あわてて千円札を差し出した。

「沖田さん!お金」
「いいです。今日で最後でしょう?今日は素直に奢られてください」

立ち止って、くるっと振り返った奏が、未生の手に握られた千円札と財布を鞄にしまわせた。

「こんな場所でお金振り回してるもんじゃありません」
「すみません。……ありがとうございます。ご馳走様でした」

頭を下げた未生の肩を引いて、大きなアーケードへと押し出すといつものように駅の方へと歩きだした。

– 続く –