風のしるべ 30

〜はじめの一言〜
BGM:Believe in love
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慣れた道を歩いて、未生の家まで向かう途中、奏はあまり口を開かなかった。
自分が余計なことをしゃべりすぎたのかと思った未生が、言葉少なに奏の顔色を窺う。

「あの、沖田さん?」

ん?と一拍遅れて顔を上げた奏と一瞬、指先が触れた。

さぁっと未生の周りに風が吹いた気がした。

―― 沖田先生?どうしたんですか?
―― 傍にいさせてください!
―― 沖田先生!これ、一緒にいかがですか?
―― せんせぇ!!

「……あ……。う、そ……」

自分であって、自分でない記憶が吹き出すように沸きあがってくる。目の前にいる奏に記憶の中の総司が重なって、恐ろしさに体を震わせた未生は知らず知らずのうちに自分の体を抱きしめるように腕を回す。

「富永さん?」
『神谷さん?』

「―― っ!」

伸ばされた手を振り払うようにした未生の目が彷徨いながらも奏を見る。

同じ声。

「お、きた……先生?」
「は……い?」

暗い街灯の下で、二人の周りにだけ京都の古い町が広がる。舗装されない道、身に着けた着物と、命の重さを表すような刀。
互いに、信頼し合って隣を歩いていた。

我に返るのが先だったのは奏の方だ。何度か、同じような夢を見ていたことも幸いした。

強く頭を振ると、腹に力を入れて呪縛を振り払う。

「富永さん。遅くなるから行きましょう?」
「え?……あの、今見ましたよね?!」

立ち止っていたところから反対に足を向けて二、三歩、歩きだした奏の腕を未生が掴んだ。怖い気ももちろんしていたが、今、確かめなければならない気がしていた。

「何のことですか」
「何のことですかって、だって、今!沖田先生ですよね?!」

無理やり腕を引っ張られて振り返ったものの、奏は未生から視線を逸らして腕を引いた。

「わけがわからないな。帰りますよ」

その声は、逆らうことを許さないくらい強くて、未生は途方に暮れた目で奏を見た。自分だけが彷徨っているような気がして、ひどく恐ろしい気がする。
そんな未生を現代に引き戻すように奏は未生の腕を強く掴んで歩き出す。

「あなたが何をどう思っているか知りませんが」

しばらく歩いて、もうすぐ未生の家にたどり着くところで奏が口を開いた。ずっと黙っていた奏をもしかして、と縋るような目で未生が見上げる。

「夢は夢。現実じゃありません。それに、短期講習は今日で終わりですよね」

だからもうこうして会うことはない。

そういいながら奏は未生の腕を離す。きっぱりと未生を突き放した奏は柔らかい笑みなのに、ぴしりと一線を引いて未生を拒絶していた。

「あの!」
「ここしばらく楽しいご飯でした。どうもありがとう。勉強頑張ってくださいね」

じゃあ、と言って奏はすぐに背を向けて歩き出してしまった。
話も聞いてくれない奏を追いかけることもできなくて未生は途方に暮れてしまう。歩いていく奏の背中を呆然として見送りながら、未生はその場をなかなか動けなかった。

―― だってさっき……見えたんだもの

そこには確かに、行ったこともない京都の町が広がっていて、足元にはアスファルトよりも柔らかく、埃っぽい風が舞っていた。着物越しに触れた腕は、思いのほか力強くていつも自分を安心させた。

「夢は……夢」

足元から崩れていきそうな今、一言でもいい。奏に、何か答えて欲しかった。
気が付けば、いつの間にか泣き出していて、未生はどうしていいのかわからない感情を持て余しながら、のろのろとマンションの自分の家に向かって歩き出した。

―― 駄目です

大股で歩きながらただひたすらそう思っていた。

―― 駄目なんです

思い出してはいけない。その記憶には蓋をして封じ込めなければいけない。

思い出せば辛くて、心が壊れそうになる。だから思い出してはいけない。

夢を見るたびに封じ込めてきた記憶が蓋を開けてあふれ出たことを、奏もまた確かに深く後悔していた。どうしてこんなに惹かれるのか、薄々どこかで感じていたのだ。

もしかして。もしかしたら。

未生がセイなのかもしれないとどこかで本能が感じていたのかもしれない。だからこそ、初めて原田達と一緒に過ごしたあの時、ひどく苛立った。怖かったからだ。

また無二の想いを抱えてしまったら。今以上に守る力を持っていたはずの自分が守れなかったものを、今の自分が守れるかわからなかったからだ。

「くそっ……」

駅のあかりが見えるところまで来て、奏は一人呟いた。

怖い、と思うのはもうすでに惹かれているからだ。同じ魂を持っていると認めて、だからこそ、その人を自分の中の自分が求めたからだ。

「俺は……、繰り返したくなんかないんだ」

駅の明かりだけがまぶしくて、奏は明るい方へと歩き出す。あの暗くて嵐の中にいた記憶を暗闇に封じ込めるために。

– 続く –