風のしるべ 31

〜はじめの一言〜
BGM:Believe in love
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「お~そ~い」

携帯の時計をみていらいらとあたりを見回したまさみは、いつもはあまり遅刻をしない原田をいらいらと待っていた。

付き合い始めてみると、原田はひどく誠実でまめだった。朝晩、メールは欠かさないし、週末はほとんどまさみのために時間を空けてくれる。どうしても外せない用があるときは、必ずその代わりに何かを考えてくる。

今日も約束をしていたのに、珍しく遅れていた。

まさみは週末にたくさん入れていたバイトを平日に振り替えてもらった。原田があまりいい顔をしない飲み屋のバイトを減らしたこともあって、平日に遅くまでバイトを入れておいて、時間をつくる。

今日は金曜日だから週末どうするか話をする約束をしていたのだ。

もう30分も遅れているのを本当は心配しながら、待ち合わせ場所としては多くの人が待っている駅前でうろうろと動き回るしかない。

まさみが大学の話をするのを、面白そうに聞きながら、時々、少しずつ、原田も仕事の話をしてくれる。だからあまり、残業も多くないし、どんな時でも連絡を入れてくれるはずの原田だけに、何かあったのかと不安になってしまう。

それが不安になるほど、いつの間にか原田のことを想っている自分がなおさら悔しくて、あと5分立ったら帰ろう、と思い続けて結局、1時間も過ぎてしまった。

はっと手の中で携帯が震える。

慌てて開くとメールだった。

『ごめん!ゴメン!悪い!もう帰ったよな?!悪い!ちょっとトラぶった!』

はぁ~、と深いため息をつくと、ぽち、ぽち、と返事を打ち始めて、手を止める。きっとまだ終わらないのに、途中で連絡をくれたに違いない。

ゆっくりと改札に向かって歩きながら、途中まで書いていた文句を消した。

『当たり前です!もう連絡もないもん。いつまでも待ってられませんよ。お仕事でしょう?続き、頑張って早く終わらせてくださいね』

ぴっと送信すると、顔を上げて改札を抜けた。この時間なら電車もまだたくさん来るし、快速に乗ればここからは15分で家につく。

すぐに返信がきて、詫びの顔文字がたくさん並んでいた。

『すまん!ゴメン!この埋め合わせは必ずする!後で電話するから!』

電車に乗るとずっと立ちっぱなしだった足が、今頃になってジンジンしてくる。

―― 帰ったらお風呂入ろう

原田が社会人だと今更のように痛感する。いままでいくら話していても、ふざけているようなどこか実感がなかったが、こういうことがひどく堪えた。

たかが一回のドタキャンで、原田は仕事のせいで来られなかっただけなのに、なんだか妙に落ち込んでしまった。家に帰ってすぐに、お風呂を沸かして、べったりとベッドに寄り掛かって座り込んだ。

今更何かを食べる気にもなれなくて、冷蔵庫から炭酸ジュースを出してぐーっと飲み干した。

けふっと炭酸を吐き出すと、やはり寂しかった。携帯の充電をつないでから、まだ温いはずのお風呂に浸かる。それでもすぐに出られるように、風呂場の前に携帯を置いてバスルームに入る。

ちゃぷ、と半身浴くらいにいれた湯の中で、すっかりむくんでしまった足をマッサージした。湯船のふちによりかかって、半分眠りそうになっていたところに携帯が鳴った。

がばっと湯船を飛び出したまさみが携帯を掴む。

「もしもし?!」
「悪い!!」

誰も見る人のいない部屋の中でまさみの顔に笑みが広がった。急いでタオルを掴むと体に巻いてその場で話し始める。

「もう、怒ってないって。お仕事だもの」
「でも悪い。もっと早くに連絡したかったんだけどな。本当は随分待ったんだろ?」
「ううん。15分くらい?」
「嘘つけ」
「本当だもの」

耳元で聞こえる声がいつも通りに代わる。やっぱりこの方がいい。焦って、謝る原田よりも断然いいと思う。

「何か食べた?」
「もちろん。もうさっさと帰ってきて、ばっくばく食べたもの」
「そっか。でもさ。少しくらい牛丼とか食べる気になんない?」

なんで牛丼?とおもったまさみより、まさみの体の方が反応が早かった。きゅるると腹が鳴って、あわてたまさみが携帯を押さえた。

「ぎゅ、牛丼なんてこんな夜に食べたら」
「少しくらい太っても平気。まさみちゃん細いから」
「またそうやってからかう!」

むうっとしてまさみが言い返すと、電話の向こうから返る声が途切れる。髪の先が濡れているから、肩や胸に滴が流れて冷たさに片手で水滴を拭った。

「原田さん?」
「顔だけでも見せて」
「え?」
「部屋の前。すぐ帰るから」

驚いて玄関を振り返ったまさみは、あわてて何か上に羽織るものを探す。

「あ、あの」
「いや、いい。ごめんな。ドアにかけておくから気が向いたら」

とまどったまさみの声を勝手に解釈した原田に驚いて、まさみはタオル一枚を巻いているだけというのも忘れて玄関に飛びついた。

「違うから!」
「うわっ!」

いきなりあいたドアと、そのドアから見えたまさみの姿に驚いた原田が、がっとドアを開けてまさみを部屋の奥へと押し込んだ。

「馬鹿っ!お前、なんでそんな恰好でっ」
「だって!お風呂入ってて、原田さん帰ろうとするから!」
「ばっ……。わかった。帰らないからちゃんと服着てこい」

まさみに向かって背を向けた原田の背中をみて、こんな姿で原田の前に飛び出した自分に恥ずかしくなる。急いでバスルームの前に散らかしていた着替えをかき集めると、部屋の中に飛び込んだ。

大慌てで服を着替えたまさみは、濡れた髪を一つに束ねて玄関に戻る。

「ごめんなさい。おまたせしました」

ようやくか、とゆっくりまさみの方へと向き直った。

 

– 続く –