風のしるべ 32

〜はじめの一言〜
BGM:Believe in love
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玄関から一歩も動かない原田はひどく怒っていた。

「あのなあ。まさみちゃん、女の子の一人暮らしだって自覚あんの」
「それは話が違ってて、原田さんが」
「俺じゃねぇよ!」

初めて原田に怒鳴られたまさみはびくっと肩を竦めた。いつも穏やかでふざけていた原田に、似合わない男の人の声に怯えてしまう。

「俺じゃないんだよ。俺は、いつでもまさみちゃんの傍にいるわけじゃないんだからさ。俺が立ってたって、あんなの外から見えるだろ?変な奴に目つけられたりしたらどうすんの?」
「……ごめんなさい」
「まさみちゃんにゴメンって言われても、それでなんかあったら俺は……」

はぁ、と深いため息をついて、ひどく苛立った原田がぐしゃっと頭に手をやる。こんなことを言いたかったわけじゃなかったのに、何でこんなことになっているんだと思うのだ。
ただ、待ち合わせに遅れて、すっぽかしてしまったことを謝りたくて、せめて一緒にご飯だけでも食べたくて。

それだけだったはずなのに。

もう一度大きく息を吸い込んで無理やり気持ちを押さえこむと、手にしていたビニール袋をまさみに差し出した。

「これ……。食べて」

かさっと音をさせて受け取ったまさみの顔を見ないで背を向けようとした原田に、足元に受け取ったそれを置いたまさみが抱きついた。

「帰るなんて嫌っ!あんな姿で飛び出したのに、それでも帰るっていうんですか!」

帰ってほしくないから、少しでも傍にいて欲しかったから。

自分の体に回されたまさみの腕をとんとん、と原田が優しく叩いて、ゆっくりと振り返った。

「……わかった。飯だけな。あがらせてもらうわ」

まだ抱きついたまましゃくりあげだしたまさみの頭を腕をたたいたように、ぽんぽんと叩く。半分くらい濡れて束になったまさみの髪が広がって、原田の腕にも絡みつく。

まさみが足元に置いたビニール袋に手を伸ばして、片腕でまさみを抱えたまま原田は靴を脱ぐと、部屋に足を踏み入れた。

まさみの部屋は、ドアを開けてすぐに下駄箱があって、その先がキッチンと風呂場やトイレがある。オープンキッチンになっていて、その境を仕切る様に下げられた可愛らしいのれんをくぐった。
部屋の真ん中にふわふわの猫の毛のようなラグが敷いてあって、その上にテーブルがある。そこに、ビニール袋をおいてひとまず飯の安全を確保すると、鞄の方は放り出した。

どうせ大したものが入っているわけではない。

ようやっと、両腕でまさみを抱きしめると、頭一つ分の身長差でまさみの頭の上にわざと顎を乗せると、ぐりぐりと顔をゆすった。

「泣くなよ。泣いてっと、もっとぐりぐりすんぞ」
「痛い……」
「んじゃ、泣くな。な?」

うーっと、小さく唸ったまさみは、原田にしがみ付いていた腕を下ろすとぐしゃぐしゃになった顔を掌で拭う。座ってて、といて、もう一度バスルームの方へ行くと、ばしゃばしゃと派手な水音をさせて顔を洗った。

可愛い、女の子らしい部屋に苦笑いしながらテーブルの前に胡坐をかいた原田は、ぐるりと部屋の中を見渡した。

まさみは、表で会うときは、シンプルでどちらかといえば小ざっぱりしすぎているくらいの恰好が多い。バックや持っているものも、そんなものがおおいが、時々大事そうにしている小物などがひどく可愛らしいものを選んでいることに最近になって原田は気づいた。

どうやら、自分は可愛らしいものは似合わないと思っているらしいが、部屋の中くらいは自分の趣味全開なのだろう。

ベッドには可愛らしいぬいぐるみがいっぱい置いてあって、枕元に特にお気に入りらしいクマのぬいぐるみが両脇にある。
化粧品らは何かのボックスを利用しているのか、可愛らしいラッピングで整理されているし、カウンターの上に置いてあるカップも可愛らしいものだった。

気を取り直したまさみと、冷めてしまった牛丼を食べながら今日のことを話しだした。

「あのとき一緒に飯に行った沖田を覚えてるだろ?」

うん、と頷いたまさみにばくっと大きく一口食べてから、箸の先で小さく円を描いた。

「あいつがさ、ここんとこおかしいんだよな。今日も手配するはずだったものを危うく落としそうになって、それが帰り間際だったもんでさ。一緒に手伝ってあちこちに調整かけて頭下げたり、いろいろあったわけだ」

そんなこんなで連絡が遅れたのだという原田にうん、と頷く。事故にあったとかそんなことではなければいいのだ。
今日待っていて思ったのは、このまま原田が来ないまま連絡も取れなくなったらどうしよう、ということだった。一人、置いて行かれるような不安に襲われて、帰ればよかったのに、帰れなかった。

「ほんとに仲いいんだ」
「まあな。あいつは、気が合うし、すごい昔から知り合いだったような気がするんだよな」

まさか、まさみにかつて仲間だったといってもわかるまいと、そういうと、妙な顔でまさみがじっと原田を見る。

「なんか、それ。わかるような気がする。私も、原田さんみてると、すごーく前から知ってるような気が時々して……」

付き合うと決めてから急に二人の距離が縮まった気がしたのはそのせいもあった。原田はまさみのことを大事にはしてくれていたが、それ以上に、まさみも胸の内で妙な懐かしさに惹かれて行った気がする。

まさみが本当にそういっているとは思いもしない原田は嬉しいねぇと軽くかわしておいて、ジャケットだけではなく、ネクタイも緩めて外してしまった。

「やっと落ち着いたな。その分じゃ、1時間近く待ってただろ?」

普通サイズにしても、何も食べていなかったまさみがほとんど食べ終えるのを見て、こつん、と額をこづいた。すぐに帰って、家でご飯を食べたといっていたが、それならこんなに食べられるはずはない。

困った顔をしたまさみが首を振った。

「そんなに待ってない。……45分くらい」
「馬鹿。次にどうしても俺が遅れたら10分連絡なかったら帰れ。な?」
「そんなのできないよ!だって、もし事故にあってたり、あと少し待ったら来るかもしれないって思ったら!」

箸を置いたまさみが原田の方へ向き直る。これだけは譲れないのだ。
ちゃんと、原田のことなら待ちたい。必ず、原田なら来てくれるはずだから。

―― 馬鹿だなぁ

まさみの頭を引き寄せた原田は、自分の胸のあたりに押し付ける。乾きかけの猫っ毛を撫でながら馬鹿だなぁ、と繰り返す。

「あんまり可愛いこといいなさんな」
「本当だもの!」

そばかすの顔をみていると、鼻ぺちゃで気が強いのに、本当は泣き虫だったその人が重なる。

―― そうだったなあ

彼女を愛していたからではなくて、何度出会っても、自分はこの子に惹かれるように定められているような気さえしてくる。今は、あのころと違って、自由に人を愛して、自由に生きられるからこそ、大事にしたい。

胸に抱えたまさみの額に、心から愛おしくて口づけた。

 

– 続く –