風のしるべ 7

〜はじめの一言〜
ようやくお待たせの現代セイちゃんです
BGM:
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イベント会場の設営は発表のためのパンフレット、資料など、現場とやり取りをしながら全体を管理するのが奏の仕事である。その中で、アルバイトの手配や、業者の手配などの補助を行う。

イベント前の1週間ともなれば、現場から上がってくる報告と、トラブルの対処に追われることになる。

出先から戻ってきた斉藤が、自席に戻る途中で奏の背後を通りかかった。

「沖田さん、さっき聞いた話だが……」
「はい?」
「業者の手違いで、パネルがいくつか遅れていると聞いたが?」

振り返って斉藤の顔を見た奏は、ちょうどイベントのタスクシートを開いていた画面に視線を戻す。常駐しているスタッフから遅れた理由と、間に合わせると連絡が届いたところだった。

「相田さんが対応してくれています。今の時点では何とかなりそうですね」

目線の先で状況を確認しながら答えた奏と共に、斉藤がちらりと画面に目を走らせる。一応、きちんと状況が入ってきているのを確認すると、うむ、と小さく頷いた。
トラブルはつきものだが、その対処もケースバイケースで違うことが多い。

「問題なさそうだな」
「今のところは対応中なので確実じゃありませんが、あまりに遅れそうな場合はこちらで別途手配をかけます。状況次第ですね」
「そうだな。何かあれば言ってくれ。手を貸そう」
「ありがとうございます」

不愛想に見えて、斉藤は意外とあちこちに目配りをするタイプだ。人の仕事でも大まかな状況を把握しているところが、古参故というところだろうか。
土方に言わせれば貧乏性らしいが、さりげなくこうしてアシストに回るところが好きだと奏は思っていた。

「斉藤さんの方は大丈夫なんですか?」
「俺のは伸びた。物が間に合わんそうだ」

発表を予定していた製品が間に合わなくなるということも最近では珍しくない。奏が担当した製品にしてもそうだが、最短の開発工数がさらに圧迫されているのは、世の中全体がそうだから仕方がないのだろう。

残念ながら、という打ち合わせに出向いてきた斉藤は、上着を脱ぐと、壁際のハンガーに掛けに上着をかけると、どさりと自席に腰を下ろした。
すぐ鞄から資料を取り出すと、土方の席へと向かう。

「課長。そういう事で延伸になりました」

ぬっと差し出された資料に視線を走らせると、土方は手にしていたボールペンで紙の端にぴっと斜線をかいた。まるで驚く気配もない二人は、やはりという思いの方が強かった。

斜線のひかれた書類を返された斉藤は、仏頂面のまま頷いた。

「だから俺が言っただろ?これは間に合わねぇってな」
「確かに遅れましたな。じゃあ、今度」

どうやら発表が遅れるかどうかで賭けをしていたらしい。負けた斉藤の方が、今度、酒をおごるという話ですでにまとまっているらしく、さっさと斉藤は自席に戻って行った。

「あ」

夕方帰ってきた母親の隣に並んで立った未生は、ふと携帯に飛んできていたメールを思い出した。ぱりぱりと手の上でレタスを一枚一枚剥がしながら顔を上げる。

「ねぇ。今度の秋休みの日、バイト決まったよ」
「あ、そうなの?どんなバイト?」

手際よく干物を焼いている間にフライパンでキノコ類を炒めていた母親の凛が顔を向けた。

「いつもの会社の発表会だって。新製品の発表イベントとかなんとか」
「あら。じゃあ、コンパニオンとかそういうやつ?」
「まさか!そういうのはモデル事務所とかに行くんじゃないの?私らのは、当日の会場でサンプルとかパンフレットをこういうペーパーバックに入れて配る係」

片手にレタスを持ったままで、手近にあった紙袋を指した。つるっとした光沢のある紙で作られた紙袋は、先日、母親の凛が蜂蜜を買ってきた時のものだ。展示会などでも配られることがある、手提げを想像した凛が頷く。

「ああ、よくあるわね。なるほどねぇ。あそこは大きな会社だからそういう単発の手堅いバイトが多いわねぇ」
「だからあそこに登録してるんじゃない。今はそんなにずっとバイトするつもりもないし」
「確かにね。よそでバイトするくらいならママの仕事手伝ってくれた方が助かるし、時給だっていいでしょ?」

表で仕事をするよりも、凛の仕事を手伝ったほうが時給がいいことは確かだ。凛は、コンピュータ関連の仕事をしていて、データの入力などはアルバイトを使うこともある。当然、アルバイトには守秘義務契約などを済ませた者を使うことになっているが、高校生になってから未生もアルバイト登録をすませていた。

この手の仕事では自宅へデータを持って帰るなどはできないことになっているが、凛は在宅勤務の申請も出しているので、会社支給のPCや回線もきちんと揃っているのだった。

「ママの仕事は時給いいけど、大変なんだもん」
「あったりまえでしょ。大変だから時給もイイの。まあ、でも外の仕事もやってみるといいと思うわ。アルバイトって、社会に出た時に恥をかかない社会常識っていうのが身につくしね」

携帯代や小遣いに困っているわけではないが、小遣い以上に欲しいものがある時もある。そんなときのために、少しずつバイトをしてお金を貯めているのだ。

「ママってちょっと変わってる」
「そう?」
「娘に普通、大変だって常々言ってる自分の仕事を手伝わせる?なんか親っていう感じしない時が最近多いよ」

いやあねぇ、という凛に肩を竦めた未生は、レタスをむいてしまうと、大きな皿に洗ったレタスの水を切って、食べやすい大きさに手でちぎっては放り込む。

「未生だって変ってるわよ。そういうとこ」
「なんでよ?」
「普通、女の子だったら丁寧に包丁で切るとかしない?」

一枚一枚、千切ることも面倒になって、ばりっと数枚のレタスをちぎった未生は、う、と手を止めてから余計に勢いを増してちぎり始めた。
それもこれも、仕事と家事を両立する母の凛から見よう見まねで習ったものだ。となれば、やはり凛が変わっていると言える。

「口に入れば一緒だもん」

見栄えより、効率をとるのだと主張する未生に、凛は肩を竦めた。

「まったく。彼氏でもできた時にはちゃんとしなさいよ」
「わかってます!というか当然でしょ?」

軽口をたたきながら母娘で夕食を作り終わる頃、ようやく父親が帰ってくる。ごく当たり前の一家の夕食の時間が過ぎて行った。

– 続く –