Flower

〜はじめのお詫び〜
ヴァレンタインは海外では男性からなんですよねー。
BGM:都はるみ 愛は花 君はその種子
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仕事が早く終わったというのに、思いがけない天気で総司は足止めされていた。
窓の外は、首都圏にしては久しぶりの雪で、皆、天気予報で聞いていても冷たい感触に見上げたり、足早に駅やビルに逃げ込んでいく。

仕事先から地下鉄で移動して、地上に出た所で足止めされてしまった総司は、傘を手にしているものの、理子を迎えにいくにしてもまだ時間が早くて、地下鉄から繋がっている大きな複合ビルの吹き抜けのところで立ち止まっていた。
湿った雪は重そうで、いつ霙になってもおかしくはないくらいだったが、それでも雪は雪だ。

待ち合わせや、傘を差していてもコートについた雪を払うべく、屋根の下に逃げ込んでくる人々にまぎれて寒い中で佇んでいた総司の隣に、人影が立った。

「あれっ?総司君じゃない?」

ほとんど変わらない位の位置から覗きこまれて、総司がそちらに顔を向けた。

「やっぱりぃ!総司君、久しぶりっ!」

はきはきした口調で笑いかけたその人に、総司も驚いた後で笑顔になった。

「和音さん」
「すごい雪よねぇ」

彼女の名前を、山崎和音という。数年前に偶然飲み屋で意気投合し、しばらく総司ともたまに会っていた。
濡れてしまったコートを払いながら、和音は濡れた髪をかきあげて笑いながら空を見上げていた。

「和音さん、濡れてますよ?」
「そうなのよ。まあ、いいわ。少し時間があるならそこのコーヒーでもどう?」

その笑顔を表現するなら、にかっといいたくなる顔で、すぐ目の前のコーヒーショップを指さした。時間もあることだし、総司は頷くと先に立って、店に入った。
店の中は、思いのほか空いていて、この雪を眺めて足止めされている者か、持ち帰りで足早に去っていくものばかりだった。

カウンターで今日のコーヒーをと、言いかけた総司に、横から和音が口を出した。

「ラテにカフェモカ、カフェモカにはホイップをトッピングして」

店員にぱっとオーダーしてしまうと、バックから大きな横長の財布を取り出すとチャージされたカードでさっさと支払ってしまった。
総司は肩をすくめて、ここは奢られて置くことにする。

こちらから、と案内されたカウンターで二つを受け取ると、外が見える窓際に隣り合って座った。

「和音さん、相変わらず」
「総司君だってそうでしょ。面倒だとすぐに今日のコーヒー」

何度か、待ち合わせや飲みの後に立ち寄ったことをお互いに覚えている。
迷わず、ラテに手を伸ばし、甘いショコラの香りのする方を総司へ押し出した。

熱いペーパーカップ越しに手を温めながら、和音が外を眺めている。

総司が出会った頃の和音は、会社勤めのグラフィックデザイナーで、さばさばした彼女が描くものが総司は好きだった。モダンなものから繊細なものまで手広くこなす彼女は、営業まで一人でこなし、見た目からもできるビジネスウーマンだと見えた。

『あったしなんか、ただの宮仕えだってば。母子二人だから稼がないとなんないのよ』

そう言って笑った彼女は、よく飲んで食べて、いつ会っても口角を上げて笑う顔につられて笑顔になったものだ。

今の和音はラフな服装ながら、そのスタイルの良さと女性にしては総司とあまり変わらない位の身長の高さをバランスよく見せる姿で、戦闘服だと言って笑っていたスーツ姿ではなかった。

「総司君はこの辺で仕事?」
「ん、終わってから移動の途中。次までちょっと時間が余ってて」
「そう」

この雪だもんねぇ、とつぶやいた和音に総司が問いかける。

「和音さんは?休み?その格好」

ああ、と言って自分の姿を見た和音がバックから名刺入れを出した。

「あたし、会社辞めたのよ。今はフリーなんだ」

名前と携帯、メールアドレスの書かれた名刺を総司に差し出すと、受け取った総司の頭の中に忘れていた記憶が甦る。

和音は、母を確かに養っていた。病院で、ずっと寝た切りの母親を。ずいぶんと我儘な人で、ひどい苦労をさせられたのだと和音が言っていた。
総司と疎遠になる頃、和音の母親は亡くなった。その時、一度きり、いつも笑顔だった和音の顔から笑顔が消えた。

『あんなに嫌いだったのに。あんなに憎んでたのに、やっぱりいなくなっちゃうと悲しいもんねぇ』

ぽつりと言った和音は、その後すぐに総司の前からも姿を消した。二つほど年上での和音のことを、総司は好きだったのだと思う。屈託なく笑う笑顔や、強気の発言をする割に、繊細で、本当は優しいところが誰かに似ていると思った。

「総司君」

しみじみと、本当に優しい顔で隣に座った総司の顔を見る和音に、総司のカップを持つ手が止まった。

「いい男になったわねぇ。ずっと探していた相手、みつけたんだね」

まるで自分のことのように嬉しそうな顔で言われた総司は、一瞬言葉に詰まってから、やっぱり敵わない、と言った。

「見つけましたよ。今は、一緒に住んでる」
「そうなんだ。よかったねぇ」

昔もそうだった。
和音はこうしてすぐに総司のことを、見抜いてきた。

『総司君さぁ』

次々と思いだしてしまい、総司は肘をついて片手で口元を覆った。

『総司君さぁ。あたしなんかと一緒にいちゃダメ。ちゃんと、探しなさい』

―― そうだ。最後に和音はそう言っていた。

「和音さん、すごい。なんで探してるってあの頃わかったんです?」

あっと、顔を上げた総司が驚いた顔で和音を見ると、何を今更、と和音が笑った。

「総司君、あの頃、誰といても一緒にいなかったよねぇ。何人も女の子と一緒に遊んでも絶対に誰も傍に近寄らせなかった。あたしは、あの子らより、少しだけ総司君に近い所にいたからね」

夜、隣で眠る姿を確かめて、無意識に、“生きてる”、そして、“違う”、を繰り返していた総司に目を閉じたまま、いつも寝た振りを続けた。総司の傍に寄ってくる和音よりも若い子達のように、何も見ずに総司だけを一筋に求めることが和音にはできなかった。

「知って……たんですか……」

自分でも、何が違うのか、なんのためにするのかわからないまま、いつも繰り返していたことを和音が知っていたことに総司は驚いていた。今まで、誰も気がつかなかったのに。

総司がしていたのと同じように肘をついた和音が、柔らかい顔のまま目を伏せた。

「馬鹿ねぇ。きっと他にも気づいた子はいたわよ。それに気がつかない総司君が駄目な男だっただけよ」

あっさりと言いきられて、総司は苦笑いを浮かべながら、いくらか飲めるようになったカップに口をつけた。ショートサイズのカップの中身は、すぐに温度を下げ始めて、温くなってしまえばいくらでもない量だ。

「そういわれると身も蓋もない気がする……」
「あはは、しょーがないじゃないの。昔はそうだったんだからサ。でも……」

言いかけた和音のバックから携帯の振動音が聞こえた。
ごめん、と言って鞄に手をいれると取り出すと電話だったらしい。

「はい。ええ、この後、時間には間に合いますけど?……ああ、そうですかぁ。じゃあ、しょーがないですね。リスケですねー。了解です。またご連絡させていただきます。……っと、予定変わっちゃった。仕方ないなぁ。そろそろ行こうか」

ほとんど自分のカップには手をつけていない和音は、総司のカップがほとんど空いているらしいのを見て立ち上がりかけた。携帯を手にした和音に、ちょっと待って、というと総司はカウンターにいって手提げの紙袋をもらってきた。
和音の分をそれに入れると、持ち帰れるようにしたのだ。

「ありがと。かわんないわねぇ」

それは和音も一緒だといいたいくらいの明るい笑顔で、紙袋を手にすると、二人は再び吹き抜けの間に出た。先ほどよりも冷たい風が吹き始めて、雪が斜 めに振っている。今度は、店を出てすぐに和音がちょっと待って、と言って向い側に走っていった。ゆっくりと後を追うと、小さな花屋のスタンドで赤いバラの 花束を買っている。場所柄、小じゃれたラッピングをされて並んでいる花束は、吹きさらされていて、そのまま持つのは難しそうだった。

「ねぇ!何か袋かなにかない?あの男前に持たせるのよ」

はきはきした和音のいい方に店員の女の子が後ろを歩いてきた総司を見て頷いた。花束が入るくらいの紙袋に入れると、濡れてもいいように、ラッピング用のビニールで紙袋を覆ってくれた。

「ありがとう!助かったわ」
「いいえ!ありがとうございましたー」

にこにこと店員に手を振ると、ずいっと和音はそれを総司に差し出した。

「えっ」
「これ、今日、バレンタインじゃない?彼女に持っていきなさいよ」
「あっ、でも普通は……」
「馬鹿ねぇ!どっちからあげたっていいじゃない。総司の彼女?奥さん?だったら喜ぶにきまってるんだから」

勢いに負けて受け取った総司は、紙袋の中の赤い花束に目を向けていると、ぱっと身を翻した和音はじゃあね、と足早に歩きだしていた。

コートのフードだけで歩いて行く和音を慌てて総司は追いかけた。

「和音さん!傘、持ってって」
「えー、邪魔だしいいわよ。このくらい大丈夫!」
「和音さん。付き合ってた頃、そうやって無理して風邪ひいたよね?」

理子にもするような、真顔で迫る総司に、和音がにやりと笑って、総司の胸のあたりを拳で殴る真似をした。

「ちょっと!総司君と付き合ってなんかいなかったわよ!ちょっとした知り合いじゃないの。そんなこと言うもんじゃないわ。いーい?」

和音流の優しさなのだろう。付き合ってなどいない。昔の、ちょっとした知り合いであれば、こうして偶然に出会うことも、お互いの近況を喜ぶこともできる。

「ありがとう!でも、本当に大丈夫よ。駅に入っちゃえば、あたしんち、すぐなのよ。その傘は花持って、彼女でも迎えに行くのに使いなさいよ。じゃあね!」

今度こそ、総司から離れて人ごみの中を足早に消えていく後姿に、総司は眼を細めた。
理子に対してはかつてのような話し方が抜けない総司が、唯一年上の和音にはタメ口をきいていた。そんなことも、懐かしい。

懐かしいと思うのは、それがいい思い出で、今が幸せだからだ。

「男が花を持って迎えに行くなんて、恥ずかしいんですけどねぇ」

そう言いながらも口元には笑みを浮かべて総司は歩き出した。理子がいる練習場所はここからそう遠くない。ビルの間にある時計はもうすぐ、理子の仕事が終わる時間を差していた。

―― バレンタインね。

赤いバラの花言葉は愛情だ。

気まぐれな天気のように、気まぐれに出会う運命もある。
いつかまた、偶然に出会うかもしれない。そんな予感を抱えながら、総司は足早に理子の元へ向かった。

 

 

– 終 –