逢魔が時 2

〜はじめの一言〜
どろんどろんです。セイちゃんがかなりダークな人です。
あー、暗い。どんだけ暗い。でも、思わず書きたくなったんですよね。暗い情念とかそういうの、セイちゃんの方がたくさんあるとおもうのです。キャラ違うんじゃない?!と思われたらごめんなさい。

BGM:Amazing grace
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「……覚えているのか……?!」

まるで血を吐くような、苦しげな声が私の耳に届いたとき、あの時の私の願いの一つは叶っていたのだと、本当に叶ったのだと知った。

神谷理子。声楽家。今の私。

神谷という名前のもとに、生まれたなんて皮肉だと思う。その上、今の名前。“理子”の理はことわりを知るということだ。人の理から外れて、阿修羅になった私が。

「どちら様でしょう?」

冷たい笑みを返す。
とある音楽イベントで歌うために、その日も私は舞台にいた。今日の場所は、駅に近い音楽ホールでのイベント。夕涼みイベントともいえる、ミニコンサートのようなものだった。私は定番の曲をいくつかを歌った。
イベントの終了後、関係者出口から出た私を、ある人が待っていた。

「何か御用ですか?」

わざと問いかける。お互いに、過去の記憶を持っていることはまぎれもない事実なのに。

その人は、流行のスーツに身を包み、やや軽くも見えそうな姿で、けれどその顔は、昔と変わらず脆く傷つきやすい内面を表していた。

はっ、と口元を押さえて、自分の言葉に驚きを示したその人は、取り繕うように、胸元から名刺を取り出した。

「すみません。失礼を。貴女の歌に感動したんです。弁護士をしている沖田と申します」

名刺には、弁護士として今を生きるその人の名前があった。
沖田歳也。あの頃14も年上だったその人は、今はそれほど年上には見えない。そしてやはり、皮肉な運命は、その人の苗字が沖田ということだろうか。

「ありがとうございます。光栄です」
「いえ、あまりに素晴らしくて……その、いや……」

何と言っていいのか、その後の言葉が続かないようだった。
その姿も私には甘美な塊を飲み込むような気持ちになる。甘い甘い誘惑。私の心が闇に落ちたあの時、この手で闇のなかに引きずり込んだその人。

手にした名刺を、丁寧にバックから取り出した手帳にしまった。そして、自分の名刺を取り出した。名前と、携帯とメールアドレス。それしか書かれていない名刺の裏には、薄いグレーの印刷。気がつくだろうか。
渡された名刺の表を食い入るように見ながら、なんと問いかけていいか途方に暮れている人。

「ごめんなさい、私この後、恩師と約束があるので。失礼しますね。またぜひ聞きにいらしてください」
「あ、ああ。すみません。ぜひまた」

素知らぬふりで、軽く頭を下げると私は歩きだした。その人の前を通り過ぎた後、振り返るとまだ立ち竦んでいるその人は私の姿を目で追っていた。再び、頭を軽く下げて、もう私は振り返らなかった。

 

 

 

「先生!」

山南は、約束の店に現れたかつての部下であり、現世では大学で教えた生徒の姿をみて、まるで過去に戻ったような気持ちで瞠目した。その笑顔が、まるでいつかの素直で真っ直ぐだった頃の笑顔と瓜二つに見えたから。
最も早く転生という運命をたどった山南は、己が持つ過去の記憶を穏やかに受け入れ、今は大学で歴史を教えている。自分の持つ記憶と現代に語り継がれている歴史との狭間を埋めるように、専門は幕末だ。
理子が教養課程の一つとして山南の授業をとったことで、二人はお互いが過去の記憶をもっていることを初めて語り合った。
そして、相手の記憶があろうが、なかろうが、身近にいた人の生まれ変わった姿に自然と気がつくようになった。たまたま、他の教授の紹介で雇った秘書の明里 は、今は山南の妻になっていたり、薄らしか記憶を持たない近藤は、同じ日本史の研究家で、山南のように本に埋もれるより発掘に精を出す方が向いている、と 笑っていた。

「先生、今日もうまくいきましたよ」
「そうか、それはよかった」

時折、理子が大学をでてからはこうして時折会う。
今は、お腹が大きくてなかなか難しいが、妻になった女性、今の名前では明里(あかり)も一緒にいたり、近藤さんが一緒にいたり、色々ではあるが、これは理 子と再会してから、あの頃の人たちと引き寄せられるように出会うようになった。それは、年を追うごとに色濃くなり、今年は原田と出会った。彼も記憶を持っ ていた。
現代では、ほとんどあの頃のことをあまり語りたがらないけれど、彼の本質は今も変わりなくまじめで見た目は飄々として、無精ひげを生やしたフリーカメラマンである。

山南の隣に座った理子は、カウンター越しに軽い酒を注文している。カウンターの中では、童顔の青年が注文を受けた。藤堂である。彼もまた、記憶をもって引き寄せられるように出会った一人だ。

「今日はいつも以上に嬉しそうだね、神谷」
「そうかな?そうかも」

問いかける藤堂が、嬉しそうにグラスを滑らせた。確かにそうだ。今日の理子は、本当にあの頃のような笑顔を浮かべている。

「藤堂君の言うとおりだよ。いつも以上にコンサートがうまくいったのか、それとも何か嬉しいことでもあったかい?」

グラスから一口、赤い色の酒をその喉に流し込んで、理子の表情が一変する。
深い、深い闇を抱えた阿修羅が嫣然とした笑みを浮かべる。

「だって、会ったんですもの」

 

再会した神谷に会って、藤堂の不安は山南の不安を同じだということを知った。
藤堂がバーテンをしている店に二人が現れたのは、偶然だった。でも必然だった。

二人の会話を聞いているうちに、まさか、と思った。この二人も覚えているのかと。我慢できなくて、話しかけて、お互いに驚いたけれど、こうして時々会うようになった。

ある日、山南さんが一人で店に現れた時に神谷の話をした。大学で再会した後に、神谷から聞いた話を。

「私なんかは早かったから、その後のことは今になってわかることくらいだけなんだけどね」
「俺も、最後までは一緒にいなかった」

途中で別れた藤堂も、本当に最後の頃のことはよくわからない。総司がどうなったのかも、神谷がどうなったのかも。近藤さんや土方さんのことは、今の世の中に伝わってるけど、それぐらいでしかない。

「総司が労咳になって、床につくようになった後、神谷君は看病人として総司に付添っていたらしい。何度も何度も突き放されたと言っていたよ」
「でも、総司だって、本当は神谷のこと好きだったじゃん!」
「だからこそ、だよ。もう剣を持つこともできず、近藤さんや土方君の傍にいることもできず、男として神谷君を守ることも幸せにすることもできない。だから、最後の最後で神谷君を置き去りにして姿を消したそうだ」
「そんな……!!!」

藤堂には、今も男に生まれて、総司の気持はわからなくもない。でも、その時の、置き去りにされた神谷の気持ちが哀れで、仕方がなかった。

「その後神谷は?どうしたんですか?」
「最後は北に向かったそうだよ。転戦していく土方君のところに行った、としか教えてくれないんだ。」

―― いつか。いつかお話します。

そういって、彼女は悲しく冷たい冴えた月を思わせるような瞳で語った。あの頃の彼女とは似ても似つかない、凍えた月になって。

あの頃、神谷は、お日様のようだと総司が言ったように、屈託ない笑顔と、決して折れないしなやかさで周りにいたみんなが癒されてた。だから、特に理 由があったわけではなかったけど、皆がそうであるように、生まれ変わって、記憶があってもなくても、あの頃の神谷と同じように優しくて素直な神谷なんだと 勝手にそう思っていた。

時々、あの頃の笑顔で笑い、折にふれて、冷たい阿修羅の顔で笑う神谷が、藤堂も山南も、とても心配だった。皆のように、過去と今を受け入れて、生きていけるならいい。
でも、神谷は、いつまでもいつまでもあの頃の悲しみと想いに囚われているようにみえて。

 

 

「誰にあったと思います?」
理子は、至極楽しそうに、藤堂と山南に問いかけた。この口調だと、あの頃の誰かにあったのは間違いないだろう。
鞄から手帳を取り出すと、一枚の名刺を見せてくれた。

「え!沖田って総司にあったの?!」
「総司だったのかい?!」

くすくすと笑いながら、名刺を指さす。

「ちがいますよー。苗字が沖田なんてすごいですよね。でも好きな人の名前だったら、なんで近藤じゃないんでしょうね?」
「え?……ってことは」
「伊東だったら、絶対何があってもどんな手を使っても改姓していたと思いますよ」

「じゃあ、神谷が会ったのって土方さん?」
「あたりで〜す。」

「「えぇぇぇぇl〜〜〜!!!」」

二人が驚く姿も面白そうに見ながら、理子は名刺を取り返して手帳にしまった。

「今日のコンサートにたまたまいらしてたみたいです。楽屋口で出待ちされました。開口一番になんて言ったと思います?『覚えているのか』ですよ。もう笑っちゃいますよ」
「それでなんて言ったのさ?連れてくればよかったじゃん!」
「何も言いませんて。だって、初対面で覚えてるか、なんてナンパみたいなこと言われて、ホイホイ話してつれてきたら、私、馬鹿みたいじゃない」

まただ………。
藤堂も山南も心の中に影がよぎる。理子の笑顔の中に闇がちらりと顔を覗かせているからだ。

「大丈夫ですよ。また絶対会いに来ますから。そのうちご紹介しますね」