選んだ道 2

〜はじめのつぶやき〜
山崎さんも不器用というかなんというか。。。

BGM:氷室京介  魂を抱いてくれ
– + – + – + – + – + – + – + – + – + –

それからしばらくは他の物に万屋の見張りを任せて、山崎は他の案件に回っていた。諸士監察の山崎は、一つの案件にだけかかってはいられないのだ。
それは、火が点きかけた感情を殺すにはちょうどいいくらいの間だ。

「どうだ?」
「ええ。どうも主人が長州屋敷に行ったっきりのようです」
「ふうむ。分かった。しばらくぶりに回ってみるか」

そういって、山崎は薬屋にまた姿を変えた。慣れた足取りで町を歩き、万屋の裏手へまわる。台所を慣れた手で開けようとすると、中から勝手に戸が開いた。

「あら。久しぶりやなぁ、喜助さん」

―― 今、確かに『喜助さん』といった。これまでは、『喜助はん』だったのに

そして、今、戸が開いたのはどこかに行こうとするわけでもなく、山崎の気配を感じて中から開けたようにしか見えない。

気づかぬふりで、山崎はへらっと笑ったが、その胸には警戒の二文字が浮かぶ。

「毎度~。おしまさん」

いつものように台所に入ろうとした山崎の目の前におしまが立ちはだかって、後ろ手に戸を閉めた。
万屋の裏手は突き当りになっていて、この台所へは、少しだけ背の高い木戸をくぐるようになっている。ということは、ここまで入ってきても木戸をくぐらなければ中を覗き見ることはできない。

「なんや、おしまさん、どないしたん?」
「なんもせぇへんけど。今日は主人が奥に」

―― さっき、監察のものは、主人が長州屋敷から戻っていないと言った

ぐいっと、山崎はおしまの腕を引いた。

「嘘だな?」
「喜助さん?」

おしまがにっこりと笑みを浮かべて山崎を見返した。互いの化けの皮が剥がれて、すぐに仕事の顔がお互いを睨み合わせる。
まさか、まんまとハメられたのは自分の方だというのか。

「そういえば……薬屋喜助さんの苗字はなんやったか、そうそう。山崎さんやったねぇ?」

咄嗟に懐から匕首を出しかけた山崎の喉元に小刀がぴたりと当てられた。

「……っ!」
「静かに」
「おしまさん、あんた何者だ?」

低い声で問いかけた山崎に、同じく今までとはまったく違う顔をした女が答えた。

「アンタと似たようなものだよ。あたしは、この家の主人幸助を見張るためにこうして内儀としてここにいるのさ」

―― なんてこった。同業者を見破れなかったとは

山崎の胸に苦いものがこみ上げる。その上、自分が深入りしそうなくらいだったとは笑うに笑えない。ところが、おしまは山崎の首にあてていた小刀を引いた。

「……?!」

驚いた山崎におしまは小刀を背中の帯の間へ仕舞い込んだ。ぱちん、と微かな音がする。

「あたしも潮時だよ。あんたが足しげく通ってくるんで、主人があんたのことを間男だと疑い始めたのさ。ヤケになって、あれほど遠ざかっていたのにお 屋敷からの使いの言うとおりに、浪士達をかくまい始めた。初めの頃は、資金援助や武器を内密に手に入れて横流すくらいだったんだけどねぇ」

寂しげな笑みを浮かべたおしまは、山崎の顔を見ないように淡々と話した。
その身のこなし、山崎を騙しきってきたことといい、おしまもその道のプロだったはずだ。それが、潮時というのは失敗に等しいはずだ。

「……あんたの仕事の邪魔をしたか。すまん」
「いいさ。お互い様だよ。この前の不逞浪士達も、アンタに教えようかと思ったんだけどねぇ。こっちも変に疑われ始めていたもんだから……」
「どうせなら、本当に間男にでもなっときゃよかったな」

ぼそりと、山崎がつぶやくと聞き逃したのか、おしまはえ?と物問い気な顔を向けた。仕事であっても、限られた時間の出会いでも、嘘のように引き寄せられる相手がいる。

「……今、中に何人いる?」

懐に手を入れた山崎が一瞬、殺気を身にまとった。今、中にいる人数が少ないなら始末してしまえば、おしまの身を安全に逃がすこともできる。

咄嗟にそう考えた山崎が家の中の気配に気を向けようとした。はっと振りかえったおしまは泣きそうな顔で、山崎の手を掴んで止めた。

「馬鹿な!今すぐ、お仲間を呼びに行けばいい。今なら中には七人ほどいて、この前逃げた二人も一緒にいるよ。主人は長州屋敷に逃げ込んじまってそれっきりさ」

騙して、偽装していた夫婦とはいえ、おしまは捨てて行かれた。主人の顔なじみだけに、断ることもできずに家に上げて、食事から何から世話をしているが、身近に迫る危険に小女や番頭たちは皆、辞めさせた。

「後は、あたしがここで奴らを留めておく。だから早く行って!」
「その後はどうするつもりだ?あんたにとっても、この仕事は失敗なんだろう?」
「……もう、終わりなのはかわらない」

―― アンタに本気で惹かれたから

ちゃんとした声にならなかった言葉を口の動きで読み取った山崎が、ぐい、と家の壁と木戸の影になる方へ引き寄せた。

「まだ間に合う。俺が逃がしてやる」

抱き寄せられたおしまの耳元で山崎の声が響いた。

若いころから密偵として、働いてきたおしまだった。甘えの許されない仕事に、男以上の成果を上げて、重要な情報をいくつも探り出してきた。
今回もそうなるはずだった。

なのに、途中から、山崎の正体を知っていて、打ちとけさせるための手管だとわかっていながらも、時折、訪ねてくるのが待ち遠しくなった。

「……あたしが馬鹿なんだよっ。アンタまでこんなあたしに、うっ……」

すくい上げるようにおしまの頬を両手で包みこんだ山崎がその言葉を止めた。

「こんな“薬屋”に惚れようって女が馬鹿なはずないだろ。絶対に逃がしてやる。待ってろ」

頬を流れる涙を包み込んだ掌で拭うと、山崎はおしまを離した。

「いいか、何もなかった顔で台所にいろ。すぐに戻ってくる」

低い声でそう囁くと、すぐに木戸から表に出て、山崎は走り出した。

 

– 続く –