ほんの些細な出来事 1

〜はじめの一言〜
いつものようなある日の出来事ですね。

BGM:
– + – + – + – + – + – + – + – + – + –

隊務の合間に部屋に戻ったばかりだというのに、一度刀掛けに刀を置いた刀を手に取った。

「お出かけですか?」
「んむ」
「戻られたばかりなのに……。大変ですね。斉藤先生」

軽く頷いた斉藤は、羽織をふわりと袖を通した。しゅるっと絹の擦れる音がして、明らかに隊士達のものよりも仕立てがいい。
頼もしい組長の姿にうっとりと見上げる隊士達を置いて斉藤は隊部屋を後にした。

廊下を歩く斉藤の姿は足音も日頃から控え目で床の上を滑るようだ。

「斉藤先生はやっぱりカッコいいなぁ」

しみじみと見つめる隊士達を尻目にすたすたと歩いて屯所を出た。太鼓楼の傍の門から表に出ると、通りをまっすぐに歩いていく。

鴨川の傍まで行くと、川沿いを左へと曲がる。
祇園の方角へと向かって歩いていた斉藤は、ふと小物の店で足を止めた。女子の喜びそうな手遊びや紅、小さな手鏡が並んでいる。

「……」

並んだ品に目を向けていたが、再び歩き始めた。

―― 他愛ない。仕事の合間だというのに

何のことはない。セイに何かとつい思ってしまったのだ。
仕事の合間にそんなことを考えるほどヤキが回っていることくらい自覚がある。これが初めてではないからだ。

呉服屋があれば、着物を、武具商であれば新しい刀や、鎖帷子など、セイが喜ぶもの、必要だと思うものを見かければついつい目が向いてしまう。
それも一度や二度ではなくなれば自分でもいい加減慣れてくる。

ため息をついて、歩き出した斉藤はしばらく歩いた先で、八坂神社に近い道の脇で店を広げている者に目を向けた。

―― 意地が悪いと言うかなんというか……

屈み込んだ斉藤は、目に付いた匂い袋を手にする。

「お気に入りましたか。お武家様」
「……俺に女子の物を買う必要はないのだが」
「そうはいってもお偉い副長はんのご指示ですからなぁ」

菅笠に顔を隠していたのは山崎で、斉藤の手から匂い袋を預かった山崎は懐からつり銭を出すふりで匂い袋と共に文を手渡す。
すっと懐にそれを仕舞った斉藤は、片膝をついていた場所から立ち上がった。

「おおきに」
「……次は違うものにしてくれ」

にやりと笠の向こうから口元だけを覗かせた山崎は、僅かに顎を引いた。

懐に連絡の文を潜ませた斉藤は、そのままどこに立ち寄ることもなくぶらぶらと歩いていき、縄のれんの一つをくぐった。

「おいでやす」
「酒を頼む」
「はーい」

元気のいい小女の声を聞きながら斉藤は大刀を手に小上がりに座った。一人で飲むことが好きな斉藤は仕事柄もあって、こうして縄のれんの隅に陣取ることが多い。
そうして酒を飲みながら話し込んでいる人々に耳を傾けるのだ。

「……あれ?斉藤さん」

そんな店にいる可能性が限りなく低いはずの男の声がして斉藤は顔を上げるまでに妙な間が開いた。

「なんで……あんたがここにいるんだ?」
「そりゃ、私だってたまには飲むこともありますよ」

にこにこと笑いながら斉藤の返事よりも先に総司は小上がりの斉藤の向かいに座り込んだ。

どうせ一人だからと衝立側ではなく壁を背に座っていた斉藤の目の前に机を軽く押すようにして座った総司は、運ばれてきた酒を斉藤に注いだ。

「こちらの分もおもちしましょうか」

気を利かせた小女がそういうと総司と斉藤が同時に答える。

「お願いします」
「いらん」

小女の笑顔が苦笑いになって二人を見比べていると、総司がわざとらしく、よよよ、と泣き崩れた。

「ひどぃっ!こんなに大好きで尽くしてるのに!!」

ちらりと上目づかいに斉藤を見上げた目が思い切り笑っている。盃を持った斉藤の手がぷるぷると震えてこめかみに青筋が浮かんでいた。

「下らん真似をするな!」
「ええ~?斉藤さんたら~。ほら、お店の方が困っちゃいますよ。ね。私の分もお願いします」
「はぁい」

斉藤の剣幕と総司の能天気な座興に笑いを堪えた小女がすぐ、小走りに奥へと酒を取りに向かう。すぐに盃を空にした斉藤に再び酒を注ごうとした総司の手から徳利を奪い返すと斉藤は手酌で酒を注いだ。

「で?」
「で……って?」
「だから!何の用だ」

日頃からあまり自分から酒を飲むことが多くはない総司が縄のれんにいるということはひどく珍しい。酒よりは甘味の方がいいと言いそうなところだが、運ばれてきた酒を手にしている。

もちろん、総司も一人で飲みに出ることくらいはある。だが、皆で飲みながら騒ぐ方が好きなので、よほどでなければ一人で出ることがあまりないことは事実なのだ。
初めのへらへらとした総司の顔から、すうっと笑みが消える。

「用っていうか……。ちょうどよかったです。ここで斉藤さんに会えて」
「この一本分だけ聞いてやる。さっさと話せ」

屈託があるからこそこうして珍しくも酒を飲みに来ているのだろう。我ながら人がいいと思うが、それも仕方がない。
自分の徳利を手にすると再び酒を注いだ。

「話ですか……」

総司の態度を見ていれば、その屈託がどういうものなのか聞くまでもない気がする。

「……話す気がないなら」
「ああああ、待ってください!」

立ち上がりかけた斉藤に慌てて取りすがった総司は、じろりと見降ろした斉藤が渋々と腰を下ろしなおすのを待ってから自分の盃をぐいっとあけた。

– 続く –