心の真ん中へ 5

〜はじめのつぶやき〜
お待たせしちゃってすみません。
BGM:DREAM COME TRUE  決戦は金曜日
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「お話を遮って申し訳ありません。どうやら急にお邪魔してしまったようで大変申し訳ありませんでした。改めて、今度私からご連絡させていただきますので、お時間をいただいてもよろしいでしょうか?」

挨拶をするならば総司に任せたままで連れてこられるだけだった理子にも不手際があると思う。今は緊張よりも、総司達の親子喧嘩をなんとか事態を収拾しようと試みる。
自分に向かって口を開いた理子に、初めて昌信が顔を向けた。

「失礼だが、神谷さん。私は総司が何を言おうと貴女と一緒にさせようとは思っていない。お仕事は音楽家のようだが、世間一般にそう言った業種につい ている方の事は理解しているが、私は自分の息子に水商売をしている嫁が相応しいと思ったことは一度もない。お引き取り頂きましょう」
「父さん!」
「お父さん?!神谷さんになんてこと言うの?」

総司と美貴がほぼ同時に立ち上がった。総司の手が怒りに震えて、強く握りしめた。振り上げなかっただけでもまだ押さえ込んだと褒めて欲しいと思う。

昌信は、自分の子供二人が立ちあがって怒っていても、自分の考えを曲げる気などこれっぽっちもない。理子と向かい合っている顔は、無表情でとても冷静に見えた。

「分かりました。また改めてお時間をいただく際には直接ご連絡させていただきます」
「理……、神谷さん?!」

まっすぐな視線を逸らさずに理子はそう言うと、立ち上がって頭を下げた。驚く総司をみないように、理子はソファの前から離れる。

「ご家族でお集りのところに大変お邪魔いたしました。失礼いたします」
「待ってください。神谷さん」
「一橋さん。ごめんなさい。ご迷惑をおかけしました」

総司だけでなく、美貴と美津にもしっかりと顔を向けて頭を下げた理子は、リビングを出て玄関へと向かった。振り返って昌信の顔を見た総司は舌打ちをして、玄関に向かう。

「待って」

バックを手に靴を履く理子の手を総司が掴んだ。一段下がったところで理子は戸惑った総司の顔を見上げた。

「ゆっくりしてきてくださいね」
「理子……」

困惑した顔でそれ以上、何も言えないまま不安に揺れる総司の手を優しく解いて理子はそのまま玄関から出て行った。
総司の家を出て、しばらくの間理子は口角をあげて、一橋家の家の中にいたときのまま、微笑みを顔に張り付けていた。閑静な住宅地を歩いて、大通りらしき道に出ると、道路標識をみて駅の方向を目指した。

少しずつ、少しずつ。
笑顔が消えて、瞬きの回数が増える。

快く迎えられるとは思っていなかったが、こんなことになるとも思っていなかった。
何も考えないようにして、足早に駅まで辿り着くと、いつも以上に素早く改札を抜けて電車の滑り込んできたホームへと駆け下りた。

対面式シートの窓際に座った理子は窓の外を向いて思い切り目を見開いていた。何度も瞬きをして、平静を装う。今、理子が住んでいる総司の部屋まで戻るには随分長く電車に乗らなければならない。その時間が切なかった。

―― どうしてだろう。仕事の事だけじゃないように思えた

昌信は、理子の仕事の事だけでなく、その存在全てを否定していたように感じた。理子の事をそれほど知っているようには思えなかったのに、どうしてこんなことに……。

「ふ……」

どうしていいかわからなくて、ただ、悲しかった。心が痛くて。
総司にも、こんな風に嫌な思いをさせてしまって。

目尻からこぼれた涙を指先で何度も拭う。

―― ごめんなさい。ごめんなさい。私のためにお父様と言い合うことになって

揺れる電車が理子の痛みを薄めて、その揺れを落ち着かせた。

 

 

「どうしてあんなことを言ったんです!!父さんが、彼女の何を知ってるんです?!」
「そうやって若造のように目先のことに惑わされているお前こそ、何もわかっていない。お前はそうやって未だに親の言うことにさえ目と耳をふさいで肝心のことから目を背けているお前にはな」

淡々と言葉を投げつける昌信にかっ、と腹の底から怒りがこみ上げてきて、総司は拳を振り上げた。

「総ちゃん、やめて!!」

美貴が振り上げた総司の拳に縋りつく。総司の怒りはもっともだが、ここで親子喧嘩をはじめても仕方がない。

「お願い。総ちゃん、分かったからやめて。お父さんも悪いけど、今回は、総ちゃんから直接お父さんに話をしていなかったのも悪いわ」
「そんなことを?!わざとらしい。母さんに連絡した時点で、父さんにも伝えておいてくれるように頼んであった!それを聞いてないなんて嫌がらせとしか思えませんよ」
「総ちゃん」

初めて美津が口を開いた。スツールに腰をかけたまま、黙っていた美津は窘めるように総司を呼んだ。

「美貴の言うとおりね。ちゃんとお父さんと話がしたいなら、貴方は自分で話すべきだったと思うわ」
「今さら?今さらそれを言いますか。事前に分かっていて、こうして彼女をここまで連れてこさせて傷つけるために?」
「冷静さに欠けるというのは本当ね。貴方より、神谷さんの方がよほど大人に見える。分かってほしいならちゃんとお父さんと話しなさい」

はっ、と総司は息を吐き出した。今さらだ。結婚の許しと、祝福を得るはずだったのに。こんな風に理子を傷つける事になるとは。
総司の腕を抑えていた美貴が力いっぱい総司を引っ張った。

「お母さんも待って。今、総ちゃんにお父さんと話をしろっていっても無理よ。総ちゃん、こっちにきて!!」

引きずられてリビングを出た総司は、二階の総司の昔の部屋へと連れ込まれた。部屋に残っているのは、総司が実家に戻った時のためのベッドと、テレビに小さなテーブルが置いてある。
美貴が子供たちを連れて帰って来た時には格好の遊び場になっていた。

「座りなさい」

促した美貴に総司は首を振った。

「家に。追いかけないと」
「きっと大丈夫よ。神谷さん、しっかりしてそうだったもの。ほら」

仕方なく、ベッドの上に腰を下ろした総司に、美貴はテーブルの前に座り、深いため息をつく。
面倒なことになるのではと思ってはいたが、あれ程はっきりと父が拒絶するとは誰もが思っていなかったのだ。

「仕方ないわね。お父さんがいいって言わないようなことしか揃ってないんだもの」

膝の上に腕を組んだ総司は、不機嫌な顔で美貴から視線を外した。その反応がますます大人げない姿に見えて、美貴はため息をつく。

「私、電話で言ったでしょう?難しいと思うって」
「確かにそうですけど」
「もう、総ちゃんは子供じゃないのよ?一度ちゃんと父さんと話をするべきよ」

美貴の言葉に総司が膝の上で組んだ手がピクリと揺れた。

「……昔の話だから許せと?あの人がしたことを?これだけ色々あったのに姉さんは許せっていうんですか?」
「私にすごんでも仕方がないでしょ?昔のことをなかったことにしろとは言わないけど、仕方ないこともあるのよ」

理子とは、大昔の事はたくさん話した。今の理子の事もたくさん話した。
だが、今の総司の昔話はほとんどしていない。

もう二度と、理子を泣かせることも、手放すこともしたくないと思っているのに、なぜうまくいかないのだろう。

– 続く –