心の真ん中へ 1

〜はじめのつぶやき〜
総ちゃんのご家族登場~
BGM:Metis ずっとそばに
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「あっつ……」

仕事から戻った理子が、まっすぐにリビングに顔を見せると先に帰っていた総司が珍しくノートPCを前にしていた。眼鏡越しに何かを打ちながらおかえり、と声が返ってくる。
斎藤の式が終わってから、二人が暮らすマンションの中は、少しだけ変わりだしていた。

リビングにあったピアノが、寝室だった部屋へと移動していて、大きなベッドは一度処分することにした。今は理子の部屋が寝室になり、二人の仕事関連の物がピアノ部屋へと移動している。
そしてリビングには、小さいが、ダイニングテーブル兼二人の雑務用のテーブルが置かれていた。

音楽中心に回っていて、生活はどちらかというと二の次だった部屋の中が少しだけ二人の気持ちと同じように変化してきている。

バックと荷物を一度置くと、寝室から着替えを持ってきてまずはシャワーとばかりに理子がバスルームに消えた。それとほぼ同じくらいに、総司がPCから顔を上げる。時計を見ると夕方というには少しだけ早くて、まだ外もぎらぎらとした太陽に照らされている。

テーブルに置いていたカップを取り上げると思いのほか軽くて、中には僅かしか入っていないのを見ると、カップをもったままキッチンへと向かう。

理子が大量に作って、冷蔵庫に置いておいたコーヒーに手を伸ばしたものの、再び手を止めた。

「本当に暑かったぁ……」

手早くシャワーで汗を流した理子が濡れた髪を拭きながら洗面所から出てきて、ため息のように言った。キッチンに立つ総司の傍に行くと、動きの止まっている総司の顔を覗きこみながら代わりにコーヒーに手を伸ばしてカップに注いだ。

「先生?」

桜の花が散った頃から、理子は総司の事を愛称として先生、と呼ぶようになっている。それも互いに過去を本当に受け入れて今に向き合った結果の一つだ。
呼ばれた総司がうん、と頷いて理子の頭に手を伸ばす。タオル越しにごしごしと乾かすのを手伝いながらもう一度おかえり、と繰り返す。

「先生、どうかしました?なんか変」
「ん。ちょっと考えごとしていたんですよ」

おいでおいでと手を動かしてさっきまで座っていた場所へと戻っていく総司に、冷蔵庫から水を取り出した理子はその向かいに腰を下ろした。
開いたPC越しに、理子を見た総司がすこしだけ困ったような顔を見せる。

「あのね。相談があるんですけど」
「はい」
「近いうちにちょっと一緒にでかけませんか?」
「……?どこへです?」

真面目な顔をした総司が口を開いたことが一緒に出かけよう、だったので鼻白んだ理子が問いかける。一拍間が空いてから言いにくそうに視線を彷徨わせた後に口を開いた。

「うちに」
「……はい?」
「だから……、夏休みで姉夫婦が帰省してくるのもあって、一度、一緒に行ってもらえないかと思って」

あまりに唐突な話に理子は目を見開いたまま固まってしまった。理子の家族といえば、血縁ではないが斎藤くらいである。後は遠い縁戚ばかりなので、身内らしい身内は傍にはいないわけだが、総司にはもちろんいる。
時々、ちらりと実家の話も聞いたことがあった。だが、一緒に行くとなれば話は別である。

「あ……、えっと」
「姉にはあなたの事を話してはいたんですけど、今年の夏は絶対に帰省するからその時に連れて来いとメールが来たんですよ。もちろん、勝手には決められないので相談してみる、とは返しましたけど、確かに連れて行かないと、とは思っていたのでちょうどいいと思うんですが、どうでしょう?」
「は、はいっ。私で大丈夫でしょうか」

急に緊張してしまった理子があたふたしながらも不安を口にすると総司が手を伸ばして理子の手をとった。

「大丈夫も何も……。一緒になる人を紹介しにいきたいだけですよ?」

―― 一緒になる人

確かに、指輪も貰って、プロポーズもされてはいても、斎藤のように式や何かがないとそれはどこまで行っても結婚という実感のあるものにはならない。一緒に住んでいて、プロポーズされていても、二人にとって具体的な話が出たのはこれが初めての事だった。

両手で顔を覆った理子が赤くなった顔を押さえて、どうしよう、と呟く。

「理子?」
「だ、だって、何を着ていけば……。それに、どこでしたっけ、先生のお家」

軽く舞い上がってしまった理子に苦笑を浮かべた総司が眼鏡をはずして立ちあがった。理子の隣に移動して抱き寄せた総司に、理子は顔を上げた。
生まれて初めて恋人の家に行くという状況に舞い上がってしまった理子に軽くキスする。

「落ち着いて?誰もいきなり噛みついてくるわけじゃあるまいし、どうせいずれは会うことになるんだからそんなに緊張することありませんよ」

落ち着かせようと話しかける総司に、理子がふっと眉根を寄せた。
いつもとは何か違う違和感を感じる。

「先生……。もしかして煙草、吸いました?」
「あっ」

口元を覆った総司が理子から慌てて離れた。隣に来た総司の体から微かな匂いがしていたが、外に出れば誰かの匂いがつくこともある。煙草の匂いがするなぁと思っていた理子が、軽く合わせた唇から嗅ぎ慣れない匂いがしてもしやと問いかけたのだ。

「えぇ?!先生、煙草吸うんですか?」

自分自身の匂いを嗅いでいた総司がひどくバツが悪そうな顔で理子を見ると、降参とばかりに両手を上げた。

「そんな顔しないでください。今は本当にごくたまにしか吸ってないんですから。大学の時ですよ、吸ってたのは」
「知らなかった……」

今までいろんな話はしてきたが、そんなことは一言も聞いたことがなかった。バツが悪そうに、総司が言い訳を口に乗せる。

「だから、貴女にどうやって切りだそうかと思っていたので、久しぶりにちょっと口にしただけですってば」
「え、どうやってって……」
「そりゃ……。私だって緊張しますよ。まずは貴女がうん、て言ってくれないと始まらないんですから」

ひどく歯切れが悪い総司に理子がクスッと笑った。突然の話に理子も驚いたが、総司も何といえばいいのか随分逡巡したのだろう。不器用なくせに、そんな姿を見せるのを嫌っている総司の本音が思わぬところで顔を見せる。

「もう、先生ったら」
「だってしょうがないじゃないですか。母と姉はともかく、父は頑固者で人の話を聞いてはくれない人ですし。貴女がそういう形式ばった手順も嫌だったらどうすればいいかとか悩みますよ、私だって」
「でも、先生は初めてじゃないでしょ。彼女をご家族に会わせるの?」

ぎく。

結婚相手として紹介したことはないが、確かにこれまで何人か実家にも連れて行ったことがある。もちろん、若かりし頃の話で、たまたま実家に遊びに行った程度の事だが、この状況で指摘されるとは思っていなかった。

「……なんでわかりました?」
「企業秘密です」

得意げに理子が答えると、視線を逸らす総司の顔を覗きこんだ。

– 続く –