風のしるべ 39

〜はじめの一言〜
守るためにどう動くのかって先生と奏さんは別人だって言って認めないけど、実は同じ方向を向いているという。
BGM:カサブタ
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しばらくコーヒーを飲んでゆっくりした後、お腹すいてる?と聞かれて、未生は首を振った。

「これ飲んだし、すぐにご飯じゃなくていいです。沖田さんにあわせます」

そうか、と頷いてからしばらく考えた奏は、カラオケ、と申し出た。

「え?!沖田さん、カラオケなんてするんですか?」
「そりゃ、人並みには……。ただ、防音だし、女の子連れて行っても平気な場所で人に話を聞かれないところがほかに思いつかないだけ」
「あ……」

空になったカップを持って先に奏が立ち上がると、ダストボックスを経由して店を出ていく。急いで後を追った未生を振り返って少しだけ歩調を緩めた奏が、先に立って目についたカラオケボックスに入る。

「飲むもの、頼みましょうか」
「はい」

ウーロン茶とアイスコーヒーを頼むと、BGMが流れる中で向かい合った。

「この前は、すみませんでした」
「え……」
「あなたが言うことは間違っていないのかもしれません」

からん、と二つのグラスの中の氷が動いた。
原田と飲んだ後、奏が暗闇の中から導き出したものだ。記憶を受け入れるのはいいとしても、その先を。

「沖田……、先生」
「はい。神谷さんだった思い出を知っている、富永さん」
「思い出じゃありません!私は、ちゃんと知ってます!沖田先生が、傍にいてくださったこと……」

ふっと微笑んだ奏がまっすぐに未生のまっすぐな髪が顔のラインに沿っているのを見た。

「神谷さんは、お茶よりも甘い物の方が本当は好きでしたよね」
「それは……、先生が甘いものをお好きだったから」
「でもその私についてきていつも同じくらい食べてましたね」
「そんなはずありません!」

総司の食べる量は、ありえないくらいで、店じまいまでさせることもあったくらいだ。その総司と同じだけ食べたといわれたら反論したくなる。

「私は次の日のトイレ自慢するようなありえない量なんて食べなかったです!それに、先生に付き合ってって、先生は甘味だけじゃなくて、ところてんもなんでも食べたじゃないですか」
「もちろんですよ。おいしいものが好きっていうのはみんな一緒でしょう?」

未生からわざと言わせておいてあっさりと交わした奏に、かぁっとなった未生が苦々しく唇を噛みしめる。

「沖田先生って本当に、そういう人でしたよね。しれっとした顔で人をからかったり、突き放したり」
「そうでしたかね」
「そうですよ。それに……いつも先生は誰かのためにしか動かない。局長や副長や、ほかの誰かだったり。いつもご自分を大事にしなかったから、いつも苦しんでた」

心を押し殺して、武士だからと言って。いつも自分を一番後回しにして、セイのことも突き放した。

「いずれにしても、戦って、早く死ぬか、病を得てさっさと死ぬか、二つに一つしかなかったんです」
「そんなことはありません。きっと先生は、自分を押し殺して、武士だからと言って、結局そうやって言い訳して!」

―― 言い訳をして、結局、自分自身さえ不幸にして!!

言いすぎた。

そう思ったのは自分が泣き出したのを自覚してからだった。困った顔で奏がポケットからハンカチを差し出して来たのを見て、初めて自分が泣いていると気づくなんてどうかしていると未生自身も思う。

「……すみません」
「いいえ。私は結局、あなたのことも守るといいながら守れなかった。そんな情けない男だったんです」
「違う!違います!今のは間違ってた!先生は、いつも真面目で、まじめすぎるくらいにまっすぐで、だから不器用なだけだったんです」

ますます涙が止まらなくなる。今の未生の年齢であの頃のセイの、受け止めて生きた時代のすべてを理解することなど、もとからできるはずがないのだ。奏でさえ受け入れるのに時間がかかった。
いや、受け入れてもなお、消化できているわけではないのに。

高校生の未生に、あれほどの重く苦しい事実など抱えられるはずもない。

「何を……どう言い訳にしても神谷さんを守ると自分自身の言葉さえ守れなかった。そういう男でしかないんです」
「ちがう!違うんです……わかってるんです。先生がどんなに苦しんだのか……。その苦しさを少しでも助けたくて、助けたくて、何もできなかったのは私なんです。先生の病気を治すとあれだけ言っておいて、結局……」

―― 先生を助けることさえできずに……。苦しみだけを長引かせて……

目の前に置かれたドリンクの周りに水滴の輪ができる。
アイスコーヒーを取り上げると、水滴が遅れて落ちた。こくっとストローも使わずに飲むと、たん、とわざと音を立てておいた。

「こういうのが嫌だったんです」

それまでの総司と同じ人のいい笑みが引いて、両手を膝の上で組んだ奏は、真顔になってそういった。口の中には安いアイスコーヒーの苦さだけが広がる。

「認めたら認めたで、過去の思い出に縛られて。あなたへの罪悪感も、あなたが持つべきものではないはずの罪悪感もどちらも今の私たちには不要なんです。私もあなたも」
「そんな!私、沖田さんのこと」
「駄目です」

勢いに任せて未生が口走りかけた言葉を奏が止めた。

BGMだけが二人の語る時間とはひどく乖離している。

「そんなことを軽々しく口に出すものじゃない。それに今のあなたがそう思っているのは、神谷さんの影響だけです。少し、身近にいなかった世代の、いなかった種類の男がたまたま少し仲良くなって、食事をした。それだけのことで錯覚を覚えているだけなんです」
「違います!だって、私は」
「違わないんですよ!」

ばん、と大きな音をさせて奏が机の上にあった歌本を思い切り叩きつけた。
びくっと未生の怯えた顔から目を逸らしたいのを無理矢理捻じ曲げて顔を向けた。

「こうして過去の記憶に縛られる必要などないんです。覚えていても何の役に立つわけでもない。昔語りをして楽しいわけでもない。そんな話なんて一握りしかないはずです。だからもう、これきり忘れてください。いえ……忘れなさい」

きっぱりと言い切った奏の目が総司の目と同じで、隊を辞めろと言ったあの顔と同じで。
最後に、セイに傍に来るなといった目と同じで。

「……できません。なかったことになんか。セイは、必ず生まれ変わっても、先生の傍にいるって誓ったんです。……だからなかったことになんかできません!」
「出来なくてもするんです。それが今日、私が富永さんを呼び出した本当の理由です。ほかに誰かに聞かれても困る話でもありますし。もうこれきり忘れるという約束です」

ゆるぎなく、はねつけた奏の言葉に、ただでさえセイの心を受け止めるので精一杯だった未生には当然受け入れられるはずもない。
握りしめた手が冷たくなる気がした。

「そんなの……できるわけがないです」

―― できたならきっと。セイはもうとうに、先生から離れていたはずだから

交わることのない平行線は、どちらも譲れない。だが、奏は残っていたコーヒーを一気に飲み干した。

– 続く –