風のしるべ 40

〜はじめの一言〜
守りたいんですよね。今度こそ。
BGM:カサブタ
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わかってください。

未生の全身でぶつかってくるような訴えは奏にも伝わってきた。

―― どこまでいっても、神谷さんは神谷さんなんですねぇ……

その人の記憶があってもなくても、未生の中には記憶の中で知る神谷清三郎と名乗った女の子の姿が見えるような気がした。

笑ってはいけない。笑んではいけないと思いながらも自然と笑みが浮かぶ。普通に過去を知らず、生きてる人たちから見れば、自分たちはおそらく少しおかしいのかもしれない。おかしいことも、おかしいと自分たちで自覚できなければ、その資格さえないのに。

あの頃と同じように彼女だけは無自覚に突き進もうとする。

それは、時にひどく危険なものだというのに。

「携帯を……」
「え?」
「携帯を貸して」

なぜ突然、と思いながらも相手が奏だからとおもったのか、未生は携帯を取り出して素直に差し出した。
機種の違いはあっても、メニューやヘルプの操作など、慣れてくればあまり迷わない。

勝手にするのもどうかという考えなどねじ伏せるしかない。

―― ここまでしなければ、彼女は夢の中の自分を絶ち切れないだろう

勝手に人のメールを開けるのも心理的にはひどく抵抗があったが、無造作にも見えるくらい素早く、過去にやり取りした時のメールを送信フォルダも受信フォルダからもすべて検索して削除した。

「あの、何やってるんですか?」

不吉な予感がしたのだろう。不安な顔で奏の手元に手を伸ばした未生を振りはらって強引にアドレスを消した。

「やめて!消さないで、何をするんですか!!勝手に!!」

悲鳴のような声が上がって、未生が携帯に飛びついた。慌ただしく携帯を操作しても、もうどこにも奏の履歴も何もかもが消されていた。

「あ……。嘘……」
「もう連絡は取りません。あなたも忘れなさい。バイトもあなたが応募してきても私は落とします。個人的な理由だといわれようと、できるものはすべてします」
「そんな、ひどい!どうしてそこまで」

泣きそうな顔をした未生をそっと突き放した。

泣いても、何をしても、そんな記憶のことなど忘れていけるように、自分のことなど恨んで憎めばいい。

「そこまでしないとあなたはいつまでも引きずるからです」
「沖田先生!」

空になったグラスだけをテーブルに残して奏は席を立つ。ドアに向かって歩き出した奏に慌てた未生はテーブルにあった紙ナフキンに急いで書き殴った。

それを掴んで、部屋を出ていく奏を後ろから追いかけて、縋りついた瞬間に奏のジャケットのポケットに押し込む。

「絶対、これで終わりなんて嫌です!また会いに来ます!」
「私は会いません。これで終いです」

先に立って会計に向かった奏をみて、未生は全力で部屋に戻って鞄を持って戻ってくる。会計を済ませた奏がさっさと店を出ていく。

必死に未生が後を追いかけていくのに、人ごみをふわりと歩いていく奏は、一緒に歩いていた時とは全く違って、足取りも早くどんどん歩いて行ってしまう。一人で歩く奏はわざと未生を置き去るために泳ぐように先を急いでいて、小走りに人を縫って追いかけていた未生は、次々と人の流れに追いつけなくなる。

「待って!沖田さん!」

どうしようもないと思った未生が、最後に大きな声で人目もはばからず叫んだ。未生の周りだけでなく、奏のまわりにいる人たちまで大声で叫んだ未生を振り返った。

ほかに歩く人たちと同じように、ちらりと未生を振り返ったのに、何事もなかったようにすたすたと歩いて行ってしまう。

駆け出した未生が人を押しのけて追いかけても、いつの間にか背の高いはずの奏の姿がどこにも見えなくなる。

「沖田さん!」

まるで迷子になった子供が親を探すように未生は奏の後を必死になって探した。だが、たかが予備校で足を運ぶくらいの未生には、大きな通りと予備校の周辺以外に知る場所はない。商店街のアーケードから横道に入ったところなどは全くわからないのだ。

こちらに曲がったのだろうかと、奏が最後に見えたあたりから路地に入り込んでもそこにはまばらにある人の流れだけで奏の姿など見つけられない。

少し脇道に入れば、いかがわしい店らしい看板もそれらしい店も人も目には入るだけに、普段ならそんな場所に入り込まないのに。

―― 沖田先生!沖田さん!置いて行かないで!

未生の中でそれだけが占めていて、知らない間に涙が浮かんでくる。鞄を斜め掛けにしていなければ、いつの間にかどこかに放り出していたかもしれない。

路地の奥を走りに走って、道を抜けていくと、駅の前のロータリーに出てしまう。

「はぁ、はぁ、はぁ……」

息を切らせて、泣きながら走ってきた未生は膝に両手を当てて、立ち止った。

道の真ん中で立ち止って、両手で膝を押さえていても、ちらりと視線を向けられるだけでその場所にいるだけのものになる。こんな街の駅の真ん前に近い場所なのに、独りぼっちになった気がした。

「うっ……」

走りすぎて、気持ちが悪くなってくる。ごほっごほっ、と咳き込んだ未生は口元を押さえた。

「こんなことで諦められるわけがない……っ!」

アスファルトを睨みつける目は、神谷清三郎のように、強くて、しなやかでひどく諦めが悪かった。

何年も、忘れられるものなら等の昔に忘れている。それができるセイなら、総司のために命を懸けてまでついて行こうと思わなかったはずだ。
セイの記憶に引きずられている自覚もなく、未生は強く思っていた。

忘れない。絶対に、もう一度。

携帯などなくても、その人を絶対に探し出して見せると、なんの裏打ちもない自信だけを頼りに、未生は体を起こした。
ぐいっと顔を拭って、眉間に皺を寄せた未生は、大きく息を吸い込んで歩き出した。

– 続く –