風のしるべ 38

〜はじめの一言〜
BGM:カサブタ
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帰り道でなった携帯に目を落として、驚いた未生は急いでメールを開いた。
タイトルだけが先にウィンドウを流れていて、沖田です、の文字がスクロールしていく。

「……嘘っ」

ぱっと開いたメールには当たり障りなく、その後予備校はどうか、とかそんな話の後で、土曜日か日曜に時間が取れないかと書かれていた。

そんなの何かほかの用事があっても何とかして時間を作るにきまってる。
あれから、未生は何度か会ってほしい、話をさせてほしいと送っていたが、今まで一度も返事をもらえてなかったのだ。

もちろん、時間は大丈夫だと返信すると、仕事中だろうに、すぐ折り返しが返ってくる。

『じゃあ、お昼でも』

「やった!」

つい、声に出してしまうくらい嬉しかった。デジャヴのような姿を何度も目撃した後、未生は奏が誰なのか、自分がかつて誰だったのか、思い出した。
それは時々、ひどく生々しい夢として刀が人を斬るときの感覚を未生に教えて怯えさせることもあった。それでも、自分が必死で生きた時間だけは理解できた。

それだけでも未生にとっては満足だった。
女だからと言ってしまえばそれまでかもしれないが、過去の自分と今の自分の違いは原田達以上に大きい。苦しくはあっても、今の自分には学生の本分があり、親も健在で刀を握るような生活ではない。
ただ一つ、憧れはじめた、好きになりかけた相手が、かつて大好きだった人だとわかったことが嬉しかった。

思い出した時、あれほど生まれ変わっても会いたいと願っていた人に会えたこと、そしてその人をやはり好きな事。
今、自分が好きだと言えなくても、とにかく話を聞いてほしかった。

拒絶された後も時々メールを送っていたが、奏からの返事はない。ある意味、変に半端に構われない分、割り切りができたが、このままずるずるとはいきたくないと思っていたところだ。

お昼の約束を取り付けた未生は、ひとまず会う機会をとりつけたことが嬉しかった。

約束は少し早くて、11時過ぎだった。少し眠そうな顔で現れた奏は、休みの日だけあって、ラフな服装で会った瞬間、未生の中で、小さく『あっ』と思ってしまった。

「おは……、こんにちは」
「どうも……。すいません、まだ起きて1時間くらいなので、だいぶぼうっとしてて」
「じゃあ、朝昼ご飯なんですね」
「そうですね」

未生の方から奏の家の近所まで行くと言い出した。どうせ予備校で通っているし、未生の家の近所よりもよほど栄えていて、店も多い。
まだ陽射しもまぶしそうな顔の奏に、なんだか年下の未生の方がくすっと笑ってしまった。

「とりあえず、スタバかどこかに入りませんか?まだお昼には早いでしょうし、今すぐは何も食べられないんじゃないですか?」
「……助かります」

しょんぼりとうなだれたような奏と一緒に、近くにあるコーヒーショップに向かった。今日のコーヒーを選ぶ奏の隣のレジで未生はちょっと甘いチョコレートシロップの入ったものを頼む。ホットの奏はすぐに品物が出てくるが、未生のアイスは少し待たされる。

それもすぐ横で当たり前のように待たれると、ドキドキしてしまう。身近に奏くらいの年齢の人がいないというのもあるが、落ち着かなかった。

二人掛けのテーブルはもはやいっぱいで、カウンターの奥に二人並びで座ると、ガラス越しに見える表の風景を奏がぼんやりと眺めていた。

「お疲れですか?沖田さん」
「いや……。単純に二日酔いを引きずっているというか……。実際にはおとといの話なので、もう二日じゃないんですけど」

申し訳なさそうに軽く頭を下げた奏が、年上の人にはとても見えなくて未生はおかしくなった。笑いそうになって、どうしようかと迷ってから、ひょいっと手を出して頭を撫でる。

「ちょっと意外です」

ふわりと何気なく頭を撫でられた奏のコーヒーを持つ手が止まって、目がまん丸く開いた。

「……」
「あ、ごめんなさい」
「……いえ」

気まずさが漂って、そこからは何も言えなくなる。以前、何度も夕食を一緒にしたのに、この距離感に戸惑ってしまう。あの日、全力で否定して、逃げるように帰っていったそうとは違う何かがあった。

「あの、沖田さん。この前は」
「やめましょう」

まだ何も言っていない。その手前で鋭くさえぎられた未生は、プラスチックのカップの淵で指をあっさりとひっかいた。

「あまり、表でする話でもないので。やめましょう、今は」
「はい。すみません、気が利かなくて」

拒絶ではなく、今はそのじかんではない。そうはっきり言われた方がほっとする。素直に、未生は詫びを口にすると、急にすっと背筋を伸ばした。

「これ、好きなんですけど、あんまり飲まないようにしてます」
「ん?コーヒーが?」
「いいえ、こういうコーヒーショップのおいしいもの、です」

カップの外側についた水滴を指でなぞりながら、内側に張り付いたチョコレートとナッツを指で押した。

「あんまりコーヒーって好きじゃなかったんだけど、こういうお店に入る様になって、すごく好きになっちゃって、いろんなの飲んでたんです。一時期」
「ああ。なるほど」
「そしたら」

真剣な顔で奏の顔を覗き込んだ未生は、内緒話でもするように声を落として低く続けた。

「太るんです!こういうのって!」
「……」

何をそんなに重大ごとが?とおもって聞いた奏は、ああ、と呟いて、未生の手にしたカップの中身を想像する。考えればコーヒーに、脂肪分たっぷりのクリームと、それにチョコレートシロップやその他のもの、それにナッツなどのトッピングも、わずかとはいえ、積もり積もれば確かにくるだろう。

「この、制服のスカートって、基本、伸びないんで、ウエストがきつくなったときは焦りました!」
「……ぷっ」
「えぇ?!そこ笑うところですか?!すごく真剣なのに!」

真顔で言われれば言われるほど、おかしくなってきて、奏がはじけたように笑い出した。

「確かに、それは大事かもしれないけど。そこまで真顔で真剣になっていうから何かと思った」

真剣です!私は、という未生を見ていると、ごちゃごちゃと考え込んでいたことも何もかも流れていきそうになる。
素直に、運命ってすごいんだなと、奏は思った。

– 続く –