残り香と折れない羽 13

〜はじめのお詫び〜
ついに、久しぶりに顔を見ることになります。こんな目にあわせてすまん〜

BGM:ROYAL PHILHARMONIC ORCHESTRA 楽しみを希う心
– + – + – + – + – + – + – + – + – + –

総司を見送った後、近藤が口を開いた。

「トシ、神谷君が襲われたと言ったな」
「……ああ。幸か不幸か、襲われたっていっても殴りつけられただけだ」

ほ、とその場にいた皆の顔が緊張から解けた。

「なんだ、お前が襲われたっていうからてっきり……」
「違うんだ、近藤さん。松本法眼からは俺しかまだ聞いてない」

一人苦い顔のままの土方に原田が食いついた。さすがにそこは江戸に妻子を残している近藤やひとり者と違って、所帯持ち故だろう。

「なんだよ。土方さん、まさか……殴られたのは腹だってんじゃないだろうな」
「左之?」

永倉が原田の顔色が急に変わったことに目を向けた。

「そうだ。腹を殴られて腹の中に血が溜まって止まらんそうだ。それと……法眼が言うには、本人もまだ自覚が出る前だろうし、確かではないらしいが……おそらく駄目になったようだと。その上、腹の中の半分は潰されているらしく、子供は望めないかもしれないそうだ」

「……!!」

ぎり。誰の発したものかはわからないが、噛みしめられた歯がぎりりと音をたてた。土方は近藤に向かって頭を下げた。

「すまん、近藤さん!!あんたの留守の間に……」

原田は、今おまさの腹の中にいる我が子がもし、と思ったら目の前が真っ赤になりそうなくらい、怒りがこみあげてくる。隣にいる永倉が、それほどまでに原田が怒りを覚えているのを見るのは初めてだと思うほどであった。

斎藤は、自分が油断しなければ、という後悔に深く沈みこみそうだった。頭では理性が悪いのは、セイを襲った者だと理解している。しかし、危険だと 思って守りについていながらまんまと隙を突かれたのは自分だ。自分を殴りたいくらいの後悔と怒りは、斎藤にとってまだそれだけセイが大事な存在であること でもあった。

「……なんてことだ」

近藤の目からはふつふつと熱いものが込み上げていた。

誰を責めても、もはや戻るわけではないことも充分わかっていても、誰もが時を戻してやりたかった。日ごろ、自分達が命のやりとりを行っているだけに、深く突き刺さる。
無垢な命を摘み取らせた者が、この隊内にいるということは許される問題ではなかった。

「トシ、今疑いがかかっている者は誰だ」

滅多に聞くことのない、近藤勇の怒りに満ちた声が部屋の中に響いた。

 

 

隊部屋に戻って、隊服を着替えながら、その時間さえ総司にはもどかしく感じていた。

「どうしたんすか?沖田先生。神谷は迎えに出てこなかったみたいですけど?」
「あ、ああ。ええ。なんだか、土方さんに怒られたらしくて家の方へ行っているみたいなんですよね」

小川に話し掛けられて、上の空ながら先ほどの話に逸れないようになんとか受け答えをして、隊部屋を出た。まるで砂の上を歩くような心持で屯所を後にすると、徐々にその歩みは速くなり、じきに駆けだしていた。

「松本法眼!」

南部の家に飛び込んだ総司は、顔を出した南部に抑えられた。

「沖田先生、静かにしてください!神谷さんが起きてしまいます!!」

荒い息を吐きながら、南部に案内された奥の部屋に寝かされているセイの姿を見て総司は、頭から血の気が引くようだった。

 

血の気が引いた真っ青な顔。まるで二度とその眼が開くことがないように思えて、総司は振り返った。
そこには松本がいて総司を見つめ返していた。

「松本法眼!セイは?」
「落ちつけ。沖田。でなきゃ話さねぇ」

はあ、と息を吐きながら、松本を睨みかえした総司の前に南部は水を汲んで出した。

「今の沖田先生には何もいらないでしょうが、まずはお飲みください。酒ではありませんが、気が落ち着きます」

どれほど、自分が取り乱しているかを感じながら、総司は言われるままに水を飲み干した。
確かに、戻ってすぐに話を聞いて駆け付けただけに、自分の喉の渇きもわからないでいた。

「……すみません。松本法眼」
「いや、いいってことよ。話は聞いたか?」
「大体のところは」
「そうか。セイは柄か鞘、といっていたが、おそらく鞘だろう。腹を思いきり殴られてる。相手はその覚書とやらが目当てだったみたいだな。鍵を奪われた後、棚を漁るだけ漁って去っていったらしい」

治療の際にセイから聞き取ったことを松本が話した。総司は襲われた、と聞いて近藤達と同様に様々なことが頭を駆け巡っていただけに、殴られただけで済んだと聞いて、ほ、と肩から力が抜けた。

「話はまだ終わっちゃいねぇ。殴られたっていうより、突かれた、が正しい。いいか、お前らのような腕の立つ連中が加減もしないで腹を鞘で突いたらどうなるかはわかるな?」

一瞬、消え去ったはずの恐怖はまだそこにいた。

「突かれた本人も直後は痛くて気を失ったようだが、その後は痛んでも所詮殴られたから当たり前だと思ったんだろうよ。腹の中でつぶされた臓器から出 血して、それが溜まって倒れて運ばれてきた。できる限りのことはしたが、腕や足を斬った、斬られたじゃねぇ。簡単に縫ったり、切ったりできねぇんだ。今は 腹の中の血が止まるのを待つしかねぇ」

そのまま止まらなければ、命も危うくなる。しかし、総司が来る直前の処置ではかなり出血の量が収まってきていた。このまま収まれば、しばらくは血が足りないために絶対安静だが、回復はするだろう。

緊張した面持ちながら、状況を理解した総司は頷いた。

「沖田。それからもうひとつ言っておくことがある」
「なん……でしょう」

それまで無言で松本の話を聞いていた総司が掠れる声で答えた。

「本人もまだ自覚はなかったはずだ。だからセイ自身も知らねぇ。俺も恐らくそうだろう、としか言えるもんじゃねぇんだが、お前さんたちの初子は駄目だったようだ。それに、今の様子だと腹の中の半分が潰されてる。そうなると、このあと子供も望めないかもしれん」

総司は、静かに目を閉じた。
松本の話では、まだそれとわかるほどの成長ではなかったため、単なる血の塊かとも思ったらしい。それを詳しく確かめることはできはしない。

がくっと、崩れ落ちるように膝をついた総司はセイの枕元に手をついた。
生まれるはずだったかもしれない我が子と、今、苦しんでいる妻を思うと、何をどう受け止めればいいのかさえ分からない位の感情が押し寄せていた。

「セイ……!」

総司は、その生気のない頬にそっと手を伸ばした。

 

―― 代われるものならいくらでもその苦しみを、痛みをこの身に引き受けるというのに!!

時間が戻らないのなら、せめてこの想いが繋ぎとめてほしい、と総司は心から願った。

 

– 続く –