残り香と折れない羽 14

〜はじめのお詫び〜
書くことでしか語ることはできないのです。
ごめんなさい。

BGM:ROYAL PHILHARMONIC ORCHESTRA 楽しみを希う心

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さら、としばらく髪を撫で続けていると心の中で泡立っていたものが徐々に落ち着きを取り戻していく。

朦朧としていたセイが薬が切れたのか、薄らと目を開けた。

「……」

セイの目が動いて総司の姿を捉えた。何かを言いかけて、喉の奥で微かに空気が動いただけで終わった。総司の手がそのまま口元に触れて、なにも言わなくていいことを伝えた。

その動きに、後ろにいた松本が動いた。

「すまん、沖田。少しよけてくれ」

少しだけ後に総司が下がると、松本がセイの様子を診た。

「まだ痛むだろう。どうだ?」

触ってみると、やはり腹に溜まった血の量が減ったようだ。このまま止まれば大丈夫だろう。
処置を済ませると、セイに薬を飲ませて松本は部屋を出た。

「だいぶ痛みますか?」

再びセイの枕元に近づいた総司が、静かに問いかけた。痛み止めが切れて目が覚めたセイは、松本に診てもらっている間に意識がはっきりしていた。

「……心配をお掛けして申し訳ありません」

セイは僅かに首を振ると、小さな声でそう言った。ふ、と総司が柔らかい笑みを浮かべた。

「お帰りなさいの前にそれはないでしょう?」
「……ごめんなさい」

布団から片手を差し出したセイの手を総司が握った。

「総司様、眠ってしまう前に聞いてください」
「黙って。まだ貴女は話ができるほど回復してないんですよ」
「でも……」

無理を押して話をしようとするセイを見る総司の顔が変わった。

「セイ。許しません」

静かに、でも決して反論も何もさせない空気がセイを押し留めた。しかし、同じくらいセイの中の神谷清三郎が言わずにはいられなかった。

「鍵は私の文机の傍にある行燈の下の付け木の中に隠しています。あの最後の一冊以外は破られましたが、別なところに移してあったのであれだけは見られていません」
「……セイ」
「あそこにはそれ以外に薬が置いてあるんです。捕り物か何かあったら必ず必要になります」

掴んだ手を総司は布団に戻した。一瞬、見限られたかと思ったセイは、総司を目で追った。

「……わかりました。私は貴女についているように言われているので、必ず誰か繋ぎが来ます。その時に、土方さんにそれを伝えます。他にはありますか?」

総司は、違えることなくセイの心を汲み取った。武士である自分ならば必ずそうしたであろうから。

「私を襲ったのは、覚書の中に知られては困ることが書かれているはずの人です。鍵を奪い取った後も、私には一瞥もくれずに暗闇の中で的確に動ける人は限られるはずです」

誰であれ、夜中の巡察に出ていれば暗闇の中での行動には慣れている。しかし、室内を物色したり、それを他に気取られないだけの動きはまた違う。

「分かりました。どこかで隠したものを取ってきた方がよさそうだ」

伝えるべきことを伝えると、セイはほぅっと息を吐きだした。薬が回ってきたのか、徐々に痛みが和らぐ。
“神谷”としての時間が終わり、再び“セイ”に戻る。その違いに総司が気がつかないはずはない。

「貴女の我儘はもうお終いですよ。今度は私の我儘を聞いてもらう番です。お願いだから静かに休んでください。貴女が思っているより、ひどい状態だったんですから」

―― はい

声に出さずにセイが答えると、再びその目を閉じた。痛み止めに次いで眠り薬が効いてきたために、強烈な睡魔がセイの意識を覆う。それでも、一度布団に戻された手が総司の着物の端を掴んだ。
総司はその手をとって、両手で包みこむ。

「ここにいますからお休みなさい」

 

いくらもしないうちに眠りに落ちたセイの顔を総司は眺めていた。
そこに背後から松本が顔を覗かせた。

「沖田」

総司を呼ぶと、顎で示して部屋の外へ呼ぶ。総司は、握っていた手を布団に戻して、立ち上がった。松本の後について隣室にいくと、そこにはいつ来たのか近藤が座っていた。

「どうだ、神谷君の具合は」
「大分血も止まってきているみてぇだからな。持ち直すだろうよ」

松本と総司が近藤の前に座ると、先に松本がセイの容体を伝えた。南部が茶を運んで部屋に現れた。

「これは、南部先生、申し訳ない」
「いえいえ。何分男所帯ですから他にする人もおりませんし、気になさらずに」

近藤が恐縮していると、南部はこともなげに言った。仮にも新撰組の主である会津公付きの藩医であるにも関わらず、松本同様にまったく隔てない対応に驚きとともに感謝の心で近藤が頭を下げた。

「松本法眼、神谷君の事ですが、土方から話を聞きましたが俄かに信じ難く、こうして様子を見がてら立ち寄らせていただいた次第です。その、赤子についてですが……」

総司を前にこんな話をすべきかは迷うところではあったが、近藤は口を開いた。それに対して、松本より先に南部が進みでた。

「私からお話させていただきましょう。メースも私もそちらは本職ではありません。外科ですからどんな患者でも何でも診ますが、やはり本職には敵いません。ことに女子の産科については、専門でないとわからないことも多いのです。本来ならば、確実ではないことは口にすべきではないのですが、神谷さんについてはメースは親としてお話されたのでしょう」
「確実ではない、と申されましたな?」
「はい。腹に溜まった血を取り除いた際に、それらしき塊がありましたので、おそらく、と私たちは判断しました。自覚が出てくるほどであれば、私達も断定できたでしょうが、ご存じのように月のものが止まって、本人に自覚が出てくる前であれば、知らぬ間に流れる場合も少なくないようですし、こればかりは今の日本の医学では分からないのです。西洋ではこういった場合も、それを調べて確かめる手立てがあるようですが、日本ではまだまだその手立ては広まっておりません」

現代であれば、ごくごく初期であってもわかるものだし、初期の流産が未だに多いのも事実である。そして、その場合に流産したことは調べればすぐにわかることだが、この時代には無理というものだ。現代でさえ、推定される部分が多いのだから。

俄かに近藤の目がわずかに輝いた。

「それでは、違っているということもあり得るのですか?」
「それは勿論あり得ます。あくまで、私とメースの判断でしかありません。ただ、今の神谷さんの状態はお伝えしたように痛めた度合いがどのくらいなのかも、それがどの程度回復するかもわからないため、今後のことは難しいと今は判断しました」

南部の説明に黙していた松本は、ひた、と総司に眼を向けた。

「俺は医者として話をして、親として話をした。聞かない方がよかったか?」

例え、どんなことであっても、知らないままにしてなどはいられない。

目を伏せた総司は首をふって、近藤に目を向けた。

「いいえ。どんなことでも私はあの人の全てを受け止めるつもりです。ですから、話してくださったことには感謝します。その上で、そうだったかも知れない、という仮定の話ならば、あの人には話しませんし、近藤先生も違っていたのだと思ってお忘れになってください。それは私だけが知っていればいいことです」

静かに答えた総司の姿には、確かに受け止めるだけの覚悟があった。その姿を見て、松本が頷いた。

「分かった。では、俺もそうしよう。俺も南部も誤った診立てをしたようだ。土方にもそう伝えてくれ。ただ、子供ができにくくなったことだけは本当だ。それは回復を見ながら俺からセイに話す。それでいいか?」

松本の言葉に総司だけでなく、近藤も南部も頷いた。

 

 

– 続く –