月影に眠る~前編~<拍手文 22>

〜はじめの一言〜
仲がいいのか悪いのか?
BGM:
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「?!」

障子を開けて廊下に出ようとしたセイは、暗がりに大きな黒いカタマリを見つけて、びくっと一瞬、身を引きかけた。
すぐに、それがその人であることが分かると、手燭を掲げて近づいた。

「あのぅ、何してらっしゃるんですか?沖田先生」

わざわざ幹部棟の廊下の端に蹲っているには何かのわけがあるのかと、声をひそめてセイが尋ねると、きっ、と顔を上げた総司が指を立てて静かに、と囁いた。
屈みこんだセイは、やはり特命か何かなのかと、あたりに目を向けながら総司の羽織の端を掴んだ。

「静かにしてくださいよ。神谷さん」
「どうなされたんですか?なんだか、ひどく疲れていらっしゃるような……」
「待ってるんです」
「何をですか?」

手蜀の灯りに眩しそうに目を瞬かせた総司は明らかに眠そうで、心配したセイは何があるのかと不安になりながら続きを待った。
肌寒い春の夜に羽織をかき合せた総司が至極真面目な顔で言った。

「土方さんが寝るのを待ってるんです」
「……はぃ?」

自分が聞き間違ったのかと、耳に残る総司の言葉を口の中で繰り返してから、セイは呆れたように問い返した。

「あの、何をなさってるんですか?」
「ですから、土方さんてば、このところ、本当に寝る暇を惜しんで仕事してるんですよ。放っておくと朝まであのままですからね」
「あのぅ、一応、夜の巡察の皆さんがお戻りになった頃にはお休みになってますけど?」
「それを知っている貴女だって一緒ですよ!」

つい声が大きくなりかけて、慌てて総司は自分が大声を出したのに、しぃ、と再び人差し指を口にあてた。

「もう、静かにしてください。ですからね。いくら言っても聞いてはくれないので、まず土方さんが寝る時間を調べて、もっと早く休むように近藤先生から言っていただこうと思って」
「……それは、私に聞いてくださればいいのではないでしょうか。ご存じないかもしれませんけど、この神谷はただいま副長付きの小姓をしておりますので」

白々とした冷たい視線を向けたセイに、総司がきっぱりと首を振った。

「駄目です。神谷さんは土方さんに買収されて私に嘘を教えるかもしれないじゃないですか」
「だからって沖田先生が、副長に張り合って起きていなくても……。だいぶ眠そうですけど」

総司の様子からすると、これが初めてではないようだ。おそらく、土方が休むのを待ってから寝るということを少なくとも数日は繰り返しているのだろう。その間に夜番もあるだろうに、呆れた話だ。

腰に手を当てて立ち上がったセイが総司の袖を掴んで一緒に立ちあがらせた。

「とにかく、私は副長に買収されたりなんかしませんし、こうして沖田先生が寝不足になっても何も改善しません!ただちにお休みになってください!」
「あっ、ちょっと神谷さんっ!貴女だって、まだ起きているじゃないですか!」
「沖田先生より若いので私は大丈夫ですっ。目の下にクマなんか作ってませんから」

はっと自分の顔を押さえた総司をぐいぐいと押しやって隊士棟へと向かう。抵抗する総司の襟首を掴んで、無理やりに引っ張って行くと、一番隊の隊部屋へと総司を押し込んだ。
山口達に、総司がちゃんと寝るように見張りを頼むと、初めに部屋を出た用事を済ませるべく、勘定方の部屋へ行き、それからついでに土方のために湯呑をもって副長室へと戻った。

「すみません。遅くなりました」
「うむ。お前は先に休んでいいぞ」
「毎晩同じ事を繰り返しますけど結構です。副長がお休みになったら私も休みます」

そう言って、セイは土方の文机の端に葛湯を差し出した。
これも毎晩の事になっていて、これを出されると諦めるのか、ゆっくりと味わって飲んでから土方も休むようにしている。

なんのかんのと言いながらも、あ、うんの呼吸が非常にあっている二人である。不意に土方が口を開いた。

「アイツはその辺にいたか?」
「はい?」
「総司の野郎だ。俺を年寄り扱いしやがって早く寝ろの休めのとうるせぇ」

総司が見張っていたことを知っていたらしい土方にセイがため息をついた。

「それは心配されているのではないでしょうか。沖田先生もそれなりに」

けっ、と口の中で毒づいた土方が葛湯を飲み終えると湯呑を置いて肩にかけていた羽織を脱いだ。
セイが行燈の灯りを調整すると、長着で布団に入った土方に頭を下げて局長室へと下がって行った。

―― どっちも素直じゃないからなぁ

そんなことを考えてのため息だった。セイから見れば、兄弟喧嘩のような姿だがそれだけ互いに理解し合っているのだろう。支度をするとセイも床の中に横になった。すぐに健やかな寝息が聞こえ始めた。

 

 

 

「神谷、神谷」

密かに幹部棟の廊下で呼ぶ声がして、開け放った副長室の端近い処にいたセイはひょいっと何気なく廊下に顔をだした。

すると、隊士棟へ続く辺りで相田が顔を覗かせてセイを手招きした。後ろを振り返ると土方は文机にむかったままだ。
セイはそっと廊下に出て相田の傍へと近づいた。

「どうしたんです?」
「よかったよ。お前ちょっと来れないか?」
「何かあったんですか?」
「沖田先生がおかしいんだよ」

危うく、それっていつものことじゃ、と言いかけたセイはなんとか言葉を飲み込むと、何がおかしいのかと聞いた。

「実はここんとこ、あの沖田先生がおやつを食べないんだよ!大好物の饅頭を前にして腕組みして眺めてるだけで結局食べずにしまいこんじまうんだ」
「おやつ……ですか」

んー、と首をひねったセイはすぐに何かが思い当たったようでぽん、と手を打った。

「あの、それはたぶん大丈夫ですから」

そういうと、一番隊の隊務を聞きだして、セイはあることを頼んだ。相田は不思議そうな顔をしたが、とりあえず、総司がおやつを食べないという異常事態になんとかなるのなら何でもする、と思った。

すぐにセイは副長室に戻って行き、相田はセイから頼まれた事をすべく隊士棟の方へと戻って行った。

夕刻になると、薄暗くなってきてセイはいつものように黙って、土方の文机の傍に灯りをともした。
土方が薄暗くなってきたな、と思う頃にちょうど良く灯りがともる。
違和感なくそのまま文机へと向かっていた土方は、しばらくして背後でセイが夕餉の準備をはじめたのも集中した意識のどこかでとらえていた。

「副長?今日は沖田先生が夕餉をご一緒したいとおっしゃってましたので、こちらにお膳を用意させていただきますね」
「あ?総司が?なん」
「何ででも知りませんよ。さあ、もうお膳を運んできますから、きりのいいところでいったん一区切りしてくださいね!」

びしっとそういうと、セイは賄い所へと部屋をでていった。
肩をすくめた土方は、再び文机へと目を落とし、きりのいいところは……と、目算をつけ始めた。

しばらくして、お櫃と膳を運んできたセイが支度を整えた頃、仏頂面の総司が現れた。

「失礼します」
「ああ。なんだ、その顔」
「いつもの顔です」
「飯がまずくなるだろ」

顔を合わせた所から角を突き合わせ始めた二人に、セイが大きく咳払いして、お櫃からご飯をよそった。
気まずい空気に、黙った二人はそれぞれ大人しく膳に向った。

– 続く –