男羽織 前編

〜はじめの一言〜
この話はセイちゃんが副長の小姓について、犬扱いされている頃のお話です。
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「やあ、土方君」

副長室の傍で待ちかまえていた伊東が頬を染めて土方に話しかけたが、完全に視界にさえ入っていない様子で素通りするのもいつもの光景で、それをどうこういうものなどいない。

しかし、土方のすぐ後ろを歩いていたセイは渋い顔をしている。

「ああっ、今日も冷たい眼差しが素敵だよ。土方君。そう思わないかい?清三郎」
「すみません、私に同意を求められましても……」

困った顔で立ち止まったセイの肩をさっと引き寄せて土方は何事もなかったように副長室に引き込んだ。伊東が涙目を浮かべて後ろ姿を見送るより先に、副長室の障子が目の前で勢い良く閉まる。

「てめぇは何、ふつーに返事してんだよ!!」

セイの額と張り付かんばかりに密着して、押し殺した小声が猛烈に嫌さを表している。目の前にある土方にぎりぎりとセイが言い返した。

「話を振られたら伊東参謀を私が無視するわけにいかないじゃないですかっ!!」
「無視しろよ!俺が無視してんだからっ!!」

ぎりぎりと額を突き合わせて、ものすごい小声で言い合っていると、障子の向こうからは人影がぴったりと寄り添っている姿と小声の親しげなやりとりしか聞こえなくて、伊東が涙ながらに走り去って行ったところだった。

伊東の気配が離れると、土方とセイも互いに鼻息も荒くぱっと離れるとそれぞれの仕事にかかった。土方は文机に向かい、セイはその後ろで書類を整え始める。

互いに嫌うまでは行かなくても気に入らない同士のくせに妙に息が合っている二人である。

そこに出先から戻った近藤が顔を覗かせた。

「トシ、いるか?」
「近藤さん。今戻ったのか」
「ああ。思ったより早く終わってな」

いつもなら局長室にまっすぐ入り、その気配に気づいた土方が近藤の様子を聞きがてら話を聞くのだが、今日は着替えもせずに近藤がまっすぐに副長室に現れた。こんなときは必ず何かがある。

向き直った土方と、気まずそうな笑顔の近藤をみて、部屋の隅に控えていたセイが慌てて立ち上がった。

「すみません!私、お茶をお持ちしますね」
「すまんな、神谷君」

帰ったばかりの近藤が土方に話があるなら、その場に自分がいるべきではないし、茶の一つも運んでいないとは気が気かなすぎる。セイは慌てて賄いに走り、茶を入れると頃合いを見計らって副長室へ近づいた。

「失礼します。お茶をお持ちしました」
「入れ」

渋い顔をした土方と、ひきつった笑いの近藤を見比べると、茶を出すまでの間にも二人の間にまた面倒な話が持ち込まれたことはすぐに分かった。

今度はどんな困りごとかとセイが思っていると、茶を前にした土方がため息をついた。

「神谷、明日俺は外出することになった。お前も共につけ」
「は?はあ」
「すまんなぁ、神谷君」

なんのことかわからずにセイが目を白黒させていると、近藤が頭を掻いた。土方はそれ以上説明するつもりがないらしく、茶碗に手を伸ばすと茶をすすっている。
近藤も土方が説明しないならば仕方がないと特にそれ以上話をするつもりがないとみたセイは、不承不承うなずいた。

「わかりました。神谷は、明日、土方副長のお供に付かせていただきます」

セイがそういうと、それ以上は話もなかったようで、すぐ近藤は自室へ引き上げていった。副長付きの小姓とはいえ、この状況で、セイは近藤の後に付いて着替えを整えて、一段落してから副長室へ戻った。

その時には何事もなかったかのように土方は文机にむかっており、どうせ聞くだけ無駄だとセイも腹をくくることにした。

 

 

 

翌日、昼には少し早い時間になると、土方が外出のために着替え始めた。

「今日はどのような?」

相手によっても着るものが違う。その日の土方は、正装と言うほどではないが、黒羽二重の紋付を羽織に選ぶ程度にはきちんとしたものを選んでいた。その日に選んだ履物まで違うので、セイは供につく自分もそれなりのものに着替えなおした。

どこに向かうとも言わずに屯所を出た土方の後をセイがついて行く。流石に我慢しきれずに、屯所を出てしばらくするとセイは口を開いた。

「あの、副長?今日はどちらに向かわれるんですか?」

屯所をでていたこともあって、もうセイの好奇心に答えたからとしても話が広がることはないと思った土方は、じろりとセイを見た。

「お前、余計なことを言いふらすんじゃねぇぞ」
「なんですか、それ」

はなから、セイがうわさ話を広める気だと決めつけたような物言いだったが、面倒くさそうに土方はいく分歩調を緩めた。

「何でもさる御旗本の下の娘に気に入られたらしくてな。一度でいいからせめて一緒にお食事をだとさ。揚屋で待ち合わせているから昼餉を食って適当に話をしてくりゃいいそうだ」
「……それって、話だけですか?」
「何、余計な想像してやがる」
「だって!副長が女性と食事をされる席にはいない方がいいかと思いまして!」

噛みつくようにセイが答えるのも当然だ。これまでも花街に向かうところで供をしたことだってある。そんな時は、セイは近くの茶屋でお茶を飲みながら時間をつぶして待つのを繰り返していた。

相手がたとえ堅気の、れっきとした旗本の娘であろうと、気に入ればこの土方が大人しくしているわけもないことぐらいセイも十分に承知している。

「あのなぁ……。相手は旗本の娘だっつったろーが?いくら俺でも見境なしに手を出したりしねぇんだよ。後々何があるかわかんねぇだろ」
「はぁ……」

そう言われても日頃の行いが行いだけに、女性に対しても優しいのか優しくないのか、時折わからなくなるような人だ。当然、セイは疑いの目を向けた。
セイの眼差しにちらっと視線を向けた土方は、口元をへの字にして不満を表現している。

「お前なぁ。顔に出すぎだっつーの。ったく、本当に俺はそんなつもりなんかねぇよ。面倒臭いのは御免なんだ。お前を同席させるのも、相手の立場も悪くしないためだ。そんなんで俺なんかを相手に傷ものだのなんだのって言われたかねぇだろうよ」

そういった土方の様子が思いのほか優しそうで、セイはとても意外な気がした。いつも鬼副長の事を照れ屋だの優しい人だの言うのは総司だが、セイから 見ると鬼副長は鬼副長なのだ。最近、ようやく素直ではない事は理解できるようになって来たが、無類の照れ屋らしいことが分かっても見る目が変わるわけでは ない。

信じきれない面持ちのまま、セイは土方に付いて歩き続けた。

 

 

– 続く –