男羽織 中編

〜はじめの一言〜
この話はセイちゃんが副長の小姓について、犬扱いされている頃のお話です。
土方さんは据膳になるのか?!
BGM:The Emotions ベスト・オブ・マイ・ラヴ
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揚屋ののれんをくぐりかけたところに、離れた所から何かの叫び声が聞こえた。ぱっと反応した土方とセイは、辺りに目を向けた。
一町ほど離れた所から徐々に叫び声が近付いてきて、無頼の男が一人、匕首を手に走って来た。

「ちっ。無頼の者か」
「私が行きます!」

勢い込んで飛び出したセイは男をよけて左右に人々が逃げた正面に刀を抜いて走り出た。

「待て!」
「うるせぇっ!」

咄嗟に懐を抑えたところをみると、スリの類で、スリ取った後に見破られでもして、匕首を抜いたまま逃げてきたというところだろう。身なりは疑われないようにどこぞの商家の番頭風だが、目つきと言い、匕首を握りしめた姿と言い、堂に入っている。
しかし、セイはセイで、不逞浪士達を相手にしていれば、町人の小悪党程度に驚くことはない。

刀の握りを変えて、セイは匕首を巧みに払い落すと、即座に刀を納めて懐から捕縛縄を取り出した。
捕縛術の心得も当然あるセイは、すぐに男を縛り上げた。

「お待たせしました、副長」
「よし。番屋へ誰か使いに出てもらえ」

セイが頷くと、二人の話を聞いていた揚屋の小者が心得た、とばかりに走り出た。男を縛り上げた縄を掴んでいたセイの一瞬の隙をついて、男がぐいっと縛り上げられたまま体を引いて向きを変えた。

「あっ!ああっ」

体勢を崩してうっかり引きずられたセイは男が逃げようと揚屋と隣家との間の塀沿いに、人垣を縫って走り出した。よろけたまま引きずられたセイは塀に当たってしまい、目の前の天水桶がつまれたところに頭から突っ込んでしまった。
それでも、手に掴んでいた縄は離さずに、よろめいた勢いを利用して逆に手繰り寄せたために、男が今度はよろめいた。

「のぁっ!!」

頭から水をかぶり、さらに地べたに転がってなお、相手を引き戻したセイに揚屋の小者達が手を貸してくれて、間もなく駆けてきた番屋の者に男を引き渡した。

びしょ濡れだけでなく、あちこちに泥をつけたセイに、土方が天を仰いでから指先だけでセイを呼び寄せた。

「すみません、副長……」
「そんな恰好してたら俺が困るだろうが」

土方はセイを連れて揚屋に入ると、まずは部屋に案内してもらった。続き部屋を用意されており、土方が当然のように隣の部屋を開いた。案内してきた女将がちらりと視線を投げたが、そこはすぐ火鉢を用意して部屋を暖めにかかった。

「どうぞ、お着物をお持ちしますのでお着替えくださいまし。おかえりになるまでには整えておきますので」

滴が垂れていないのがおかしいくらいのセイは、頭から手拭をかぶせられたまま、その部屋に押し込まれてぎょっと身を引いた。
そこには、床の支度がされていて、枕が二つ並んだ部屋に飛びのきそうになった。

「あっ、副長っ!!」
「気にするな。こういうところは使おうと使うまいと用意されてるもんだ。いいからさっさと濡れた着物を脱げ」
「でもっ!女将が着替えを持ってきてくれるって」
「部屋が汚れるだろうが!」

緋色の布団に真っ赤になったセイが頭から手拭をかぶったまま、びしょぬれの袴を掴んでおろおろしていると、床の上にばさりと土方の羽織が投げ出された。

「とっとと、脱いでそれでも羽織っとけ」

セイとしては、女将が言うように店の者が着替えを持ってきてくれるのを待ちたかったところだが、土方に逆らうのもまずいと思い、衝立をひっぱって乱 れ箱のある隅の方へ移動した。土方の羽織を近くに引き寄せておいて、とにかくびっしょりと濡れてしまった自分の羽織を脱いで畳んだ。

袴を脱いで尻っぱしょりを外すと、帯に手をかけるものの手が止まる。

―― い、いくらなんでも羽織一枚ってないよねぇ

セイが着替えることを躊躇していると、土方が隣の部屋から声をかけて寄越した。

「俺はちょっと下に行って女将と話してくるからな。さっさと着替えておけよ。寒けりゃ布団にでも入っとけ」

セイの方を見もせずに土方が部屋からでていくと、ほっとしたセイは帯に手をかけて手早く長着を脱いで土方の羽織を羽織った。
さらしと下帯はそのままで羽織一枚という非常に間抜けな姿に自分で可笑しくなったセイはくすくすと笑いながら、着替えが来るまで、この姿でうろうろしているのが憚られて、すいません~、と炬燵代わりに布団にもぐりこんだ。

半身を起したまま、元結いも水を吸ってほどけかけていたので、指でちぎってしまい、手拭で濡れた髪をごしごしと拭いていると、部屋の外に人の気配が近づいてきた。

「失礼いたします」

部屋の外から声をかけられて、てっきり着替えを持ってきてくれた店の者だと思い込んだセイがお手数かけて、と返事をすると妙な間が開いた。
なかなか障子が開かない事にセイが顔を上げてそちらに向かって身をひねった。

そこに、障子が開けられて、ついさっきの顛末を知らなかった別の女中に案内された旗本の娘が廊下に佇んでいた。

「え……」
「あっ……!」

しっかりとセイと視線がぶつかった息女から見ると、セイの姿は乱れた床の中にあって、土方の羽織だけに袖を通しているようにしか見えない。
頭は手拭で隠れているが、肩口までほどけた髪が見えており、体をひねったために、真っ白なセイの足がはだけて少しだけ見えていた。

案内してきた女中は、娘に場所を譲っていたためにセイの姿までは見えてはいない。
娘が袖口で口元を覆って、身を翻した。ついてきた女中がわけがわからずに娘の後を追うと、一瞬で誤解されたことを理解したセイも、後を追いかけようとしてさらに布団から這い出しかけて、はっと思い留まった。

戻って来た土方が部屋の前の廊下で娘と行き合っていた。
平然と着替えを手に戻って来たところの土方と廊下で向きあった娘は、真っ赤に頬を染めて涙目で土方の傍をすり抜けて走り去った。

「……?」
「あ、あの!」

そもそも今日会うはずの相手の顔さえ覚えになかった土方は気づかなかったが、女中は走り去る娘の後を追って、土方の脇を頭を下げて通り過ぎた。
開けっぱなしになっていた障子から部屋を覗きこんだ土方が、布団の中で羽織にぴっちりとくるまって、前を合わせたセイが、床の上で正座しているところを見てぴたっと立ち止まった。

「お前……」
「すみません、副長。誤解されました……」

苦虫をこれでもか、とかみつぶしたような土方の顔にセイが深々と頭を下げた。確かに待ち合わせているのだから、セイがもっと気をつければよかったのだ。

しかし、土方はたいして気にした風もなく大股にセイの目の前に近づくとばさっと着替えのための浴衣を放り投げた。

「まあいいさ。さっさとそれに着替えて羽織はそのまま着とけよ。風邪でもひかれちゃかなわん」
「あ、あの……」
「もうすぐ膳が運ばれてくる。相手の分はお前が食っちまえ。早めに引き上げたって結局とられるもんはとられるんだ。一休みだと思ってゆっくりしていくさ」

そういうとさっさと背を向けて膳に向ってしまった。呆気にとられたセイは、頭を上げると目の前に放り出された浴衣を手にしてすぐに羽織の内側で袖を通した。浴衣を着てしまえば、安心して床から出られる。
滑り出たセイは布団を軽く整えて、土方の向かいに座った。

「本当にすみません。副長」
「あ?」
「だって、相手の方が……」

頭を下げたセイにくくっと土方は笑った。

「だからいっただろ?俺は相手の娘なんかどうだっていいんだよ。頼まれたから仕方なく来たんであって、面倒が減ればそれに越したことはないさ」
「でも……」
「それにな、俺が供をつれてきてることはわかってるはずだ。実際にはまっぴらでも衆道だと誤解されれば変な夢もこんな風に押し付けられなくてすむ」

半ばあきれた顔で土方の言い分に耳を傾けていたセイは、そんなものですか、と言ってほっと肩の力を抜いた。
そこに、酒と食事を運んできた女中が、去り際にセイの着物を持って行った。

 

– 続く –