雷雲の走る時 12

〜はじめの一言〜
伸びる―伸びる―おれーたーち・・・・・
BGM:ヴァン・ヘイレン Ain’t Talkin’ ‘Bout Love
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松本が出て行くと、総司は蒼白な顔を見つめて再び溜息をつく。こんな仕事などやらせないで済むならいくらでも代わってやりたいと思うのだが、なぜか、セイのところにはそういった仕事がまわってくることが多い。
ある意味、総司達幹部とは違う意味で隊の中枢に非常に近いということもあるだろう。

元結を解いた髪をそっと撫ぜると、痛みからか、う、とセイが小さな声をあげた。

「神谷さん?!」
「う……っ、っつ」

痛みで顔をしかめたセイが、うっすらと目を開けた。セイの手を握って総司は、その顔を覗きこむ。

「お……きた…、…せん……」

ぼんやりとセイは不思議そうに総司を見上げた後、ぱちっと眼を開いた。

「あれっ?!うわっ!!!」

夢の中から現実に戻ったのか、セイが落ちた瞬間に記憶が繋がる。なぜ総司が、と思いつつ受け身を取ろうとして、その体の痛みに思わず叫んでしまった。

「いぃったぁぁぁい……」

咄嗟の痛みに、力の入った体からぼやきとともに力が抜ける。起き上がろうとしたセイの手をくっと引いた総司は、呆れてするがままに任せた。

「気がつきましたか」
「……沖田先生」
「ちょっと待ってくださいね。今、松本法眼を呼んできます」

総司はセイの手を軽く叩いてから手を離すと、さっと立ちあがって松本を呼びに行った。セイは、天井や部屋を見て、それが屯所ではないことを確認する。

―― 松本法眼のところに運ばれたんだ

自分がどこにいるのか分かると、体の節々がひどく傷むことにようやく意識が向いた。少しずつ腕や、足、そして体の中心へと動かせる場所を確かめて行くと、思ったよりはひどい怪我になっていないことにほっとする。

「おう、ずいぶん早く気がついたじゃねぇか」

松本が現れて、その後ろに南部、総司と続く。松本はセイの枕元に座ると、その顔を覗きこんだ。

「ふむ。目もしっかりしてやがるな。どうだ、塩梅は」
「あの高さから落ちたにしては骨も折れていないようです。あちこちがひどく傷むくらいで」
「だろうな。思いっきり叩きつけられたようなもんだ。今日明日は熱が上がるかも知れん」

松本の言うことはよくわかる。セイは素直に頷いた。その後ろにいた南部がにこにこと薬を差し出した。

「起き上がれますか?神谷さん」
「はい。……のぁっつ……・ぅ」

起き上がるにも痛みが走る。南部と松本の手を借りて、上半身を起こすと、その薬を口に入れた。

「んんんっっつ」

今度はあまりの苦さに喉の奥で薬の粉が暴れだす。南部がくすくすと笑いながら白湯を差し出してくれた。急いで白湯で流し込んだが、喉の奥に苦味がしっかりと残っている。
あまりの苦さに涙目になったセイを、南部が笑顔のままついっとその肩を押した。

くらっと力の入らない体がそのままぱったりと倒れ込んで、今度は痛みで涙が出る。

「おい……」

苦笑いした松本が南部の顔をみると、笑顔の南部がこともなげに言ってのける。

「メースにされるより、私の方が親切ですよ?今、叩いて寝かそうとしましたよね?」
「ちっ、どうせこいつは今夜だけでも素直に寝てろっつっても聞かねぇからな。痛い目見せた方が早いだろ」

剣呑な師弟の会話からセイは、南部に突き倒されなければもっと痛い目に会っていたかもしれないことを知らされる。涙目のまま、セイは松本に苦情を言った。

「松本法眼……、いくら私だって、この状態じゃちゃんと寝てますよ」
「嘘付きやがれ。さっさと屯所に戻ろうってぇ顔してやがったくせに。おい、沖田。今から帰っても一緒だろう。おめぇ、こいつに朝まででいいからついてろ」

部屋に入った瞬間の、一瞬の安堵の顔はどこかにやってしまい、松本は渋い顔で総司を振り返った。この時刻では確かに、今から屯所に帰っても一緒だろう。

「わかりました。朝には一度屯所に戻らなくてはいけませんが」
「頼むぞ。ふわぁ、俺達も寝るわ」

頷いた総司に任せて、とにかく眠るように言うと松本と南部は部屋を出て行った。再び、セイの枕元にきた総司はセイの頭をそっと撫ぜる。セイは、総司を見上げて、目礼だけで詫びた。

「沖田先生、すみません」
「なにがです?」

片眉をあげた総司が答える。セイは、視線を彷徨わせた後、再び総司の目を見た。

「一番隊に恥じないようにって言われていたのに……。すみません。こんな在り様で」
「いいから今は、眠りなさい。そしてその怪我を治す方が先決です」

安堵からか、穏やかに答えた総司は、セイの髪を撫でつけるように手で整えた。襟足で束ねるはずの髪は、首に巻かれた包帯のせいでばさばさと広がっている。

「ああ、なんか川臭いですよね。すみません」
「仕方ないでしょう。川に落ちたんですから」
「そうですけど、あんなに浅い川に落ちてこのくらいで済んでよかったです」

セイが真顔で言うのを聞いて総司の顔がすうっと無表情に近くなる。総司が怒ると、能面のようになっていくことがわからないセイではない。

「あっ、すみません。こんなでも怪我しただけでもご迷惑ですよね。申し訳ありません」
「それ以上、よけいなことをいうなら貴女の口を塞いで寝るまでそのままですけどいいですか?」

総司の細められた目が本当にやりそうで怖い。セイは、口を一文字に引き結んで、布団に隠れようとした。結局、背筋に走った痛みでそれもできず、うう、と小さく呻く。

総司は、傍にあった灯りを落とした。先程と反対側の壁側に座ると、背中を預けるようにして、セイの枕元に座った。

「さあ眠りなさい。ついていますから」

薄暗くなった部屋の中でその声を聞いて、セイはようやく効いてきた苦い薬の効用と疲労に素直に身を任せた。

翌朝、セイが目が覚めるまではついていた総司が屯所に戻ったのは、だいぶ日も高くなってからのことだった。戻ってすぐに、副長室に向かう。

「総司です。よろしいですか」
「おう」

斎藤は昨夜捕縛した者たちの後始末に追われており、そこには土方しかいなかった。

「どうだ、神谷の具合は」
「うまい具合に、全身の打ち身だけで済んだようです。今日、明日は熱が出るかもしれませんが、後は打ち身の具合次第ということでしょう」
「ふん。ついてる野郎だ。手足の一つも折ってるかと思ったぜ」

そう言いながらも、はっきりと土方の顔には安堵が浮かんでいて、総司はこの素直でない兄分がセイを随分と心配していたのだと思った。

―― もうすっかり神谷さんは身内扱いなんですね

 

– 続く –