霧に浮かぶ影 10

〜はじめのひとこと〜
引っ越すまでに終わるかしら(汗

BGM:Shimauta 樹里からん
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藤堂が飛び出していった後、こふっ、こふっと喉の奥で咳き込んだ。

「……まったく」

舌打ちだけは咳も出ないらしく、思う存分ついた鋭い舌打ちだけが部屋に響いた。今は大声で隊士を呼びつけることがしづらいので、肩に羽織っていた綿入れに袖を通すと背を丸めて立ち上がった。

三番隊の隊部屋に向かった土方は、まだ戻っていない斉藤を戻り次第自分の部屋に来るように切れ切れに指示した。具合の悪い土方がわざわざ隊部屋にまで顔を出しに来たので、三番隊の隊部屋は急に緊張に包まれる。

「土方副長、お体の具合はどうなんですか?大分、お顔の色がすぐれませんが」
「……ごふっ」

口を開きかけるとすぐに咳が飛び出してきておちおち返事も返せない。熱っぽいのか、いつも以上に半分伏せた目が怖さを倍増させていた。三番隊の伍長は、すぐに察して諸手をあげて止めた。

「あ、あの、もうしゃべらなくていいですから、斉藤先生が戻られたらすぐに副長室へ向かうようにお伝えします」
「……すまん」

とにかく斉藤が戻らなければ、また別の手を考えなければならないし、今の土方が彼らをうまく指揮できるとは思っていなかった。
副長室に戻りながら土方は内心で毒づいた。

―― ったく、平助の野郎。珍しく、頭に血が上りやがって、確かにこのまま放っておくにはまずい事態なのはわかってるが、それにしたって……

藤堂にしては珍しい失態だとは土方も思う。いつもならその程度の相手に手こずることもないだろうし、保護すべき相手をセイに任せて自分だけが先に戻ってくるなどあり得ない話である。

「面倒な……。ごふっ」

とにかくややこしいことになる前に、セイとしのぶという陰間を最優先に保護しなければならなかった。

 

 

飛び出した藤堂は、ふたたび屯所の周囲から円を描くようにたどり始めた。これならばたとえどこかで掛け違ってしまったとしても次の一周で遠目にでもセイ達を捕まえられるかもしれない。

刀を押さえて、小走りに周囲を歩き出した藤堂は、自分自身に腹を立てていた。正確に言えば、藤堂のしくじりを諌めることもせずに、ほかの者を捜索に出そうとした土方の対応に、自分がどれほど冷静ではないかを思い知らされたから、ともいえる。

―― 全く。本当に俺、総司も斉藤さんもみんながいない時に何やってるんだろ

しのぶが持っていた矢立がなんなのかはわからないが、相手の様子から碌なことではないことくらいわかる。不逞浪士同士のやり取りか、何かの知らせの符号なのか、いずれにしても、そのためにしのぶが狙われて、それを保護しようとした藤堂とセイも襲われる羽目になった。

そんなことぐらいわかってる。

「わかりきってるのに、こんな羽目になってる俺ってホントに馬鹿だ!!」

思わず口をついて出てしまった独り言は、人気のない道に空しく響いた。
守りたいと思っても、こんな風に呆気なくも自分たちは危険の前に身を晒してしまう。よく、常日頃総司は、セイを同じ一番隊に置いておけるものだ。

いくら鍛えていても、いつどこで斬り合いになって怪我をするかもしれない。命を落とすかもしれない。

そう思うと、今この瞬間にも、しのぶをかばって斬り合いをしているかもしれないセイを思うだけで背筋を冷たい汗が流れた。

「じょう……だんっ、じゃないんだよね!まったく!」

屯所の裏門へと続く細い道の奥に、二人ほど人影を見かけた藤堂は、すぐさまそちらへと走り出した。見かけた人影の背の高さからするとセイとしのぶではないことぐらいわかる。
藤堂が走り出すと相手も身を翻したところを見れば、やつらの一味に違いない。

相手よりもこちらのほうがさすがにこの辺りは道にも詳しい。よその家の庭先を走り抜けて、小道を逃げた者たちの目の前に飛び出した。

「ちょっと待って!」
「ちっ!!」
「俺の事、わかるんだ?今日、襲ってきた奴らの仲間ってことでいいのかな」

いきなり斬りかかる前に、一応の確認である。相手の反応を見れば、さっきの面子にはいなくても仲間だとは思うが、念のためだ。
一人で追いかけてきた藤堂に、相手は二人だと思って、数を有利と刀を抜いた。襲撃してきた奴らよりは身なりも劣り、無精ひげもぼさぼさの総髪も見苦しい限りだが、彼らよりは腕が立ちそうな気がする。

「少なくとも、新撰組に用があるってことでいいよね」

駄目押しをしながらゆっくりと刀を抜いた藤堂は、抜ききると同時に相手に向かって斬りかかった。相手を生かすことなど考えていない。捕らえればいい。必要なことを聞き出す間だけ、息があればいい。

腱を斬る、腕を斬るなど生温いことなど一切なかった。

どうせ、相手も弱くはないのだ。構う必要などないとばかりに、藤堂は一人の胴を打ち払い、もう一人のひざ上から下を斬り飛ばした。いつ ものまっすぐな剣ではなく、気が短くて容赦のない一刀は、二人が避ける間もなく目の前を閃いてから激痛とともに、自分が斬られたことを知らせてくる。

「うっ、わぁぁぁぁぁ!」
「ぎゃぁっ!!」

言葉にすれば、何と表現するのが正しいのかわからなくなるような絶叫とともに、男が二人、地面に転がった。その目の前で、それぞれの刀を蹴り飛ばし、自分の刀から一振りで血糊を飛ばした藤堂は、刀を拭うとひらりと汚れた懐紙を彼らの上に降らせた。

「ちゃんと確認してるんだから答えてくれればいいのにさ。素直が一番なんだよ」

―― さぁて。白状してもらおうかな

そうつぶやいた藤堂は、胴を打った男の腰から空になった鞘を引き抜いて、男の傷口をぐいっと押した。

「ぐわぁっ!!」
「うるさいなぁ。ねぇ。お前ら、なんなのさ?なんであの子達狙ってるの?あの矢立は何?」

矢継ぎ早の質問は、脂汗を浮かべた男の顔を変えてきちんとその耳に届いていることがわかる。しゃがみ込んだ藤堂はさらに傷口を鞘でつつくと繰り返した。

「何企んでんのさ」

さっさと言えとばかりに傷口をぐいぐいと鞘で押した藤堂に、蒼白な男は首を振った。

「なんのことかわからん!俺たちはただ、頼まれただけだ!」
「それは誰に、何を、どういわれてるの?彼らを見つけた?」
「知らん、知らん!!俺は何も知らん!・・・ぎゃぁっ!」

気が急いていた藤堂はうっかり、思いついたことを行動に移す。鞘を刀のように握ると片腕で思い切りよく振り下ろした。

「さっさとしゃべったほうが身のためだと思うけど?」

絶叫が再び聞こえて、暗闇はあたりにとんだ血溜まりを隠していく。

 

– 続く –