霧に浮かぶ影 9

〜はじめのひとこと〜
引っ越すまでに終わるかしら(汗

BGM:Shimauta 樹里からん
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「このへん!このへんだよ、確か!」

番屋の位置からおおよその場所を思い出して襲われた場所を示す。散々、セイとしのぶを探して走り回ったために、どこで誰を、何が、どうだったかわからなくなりそうだったが、そこはやはり藤堂も組長の一人である。

そこから、どのあたりを捜し歩いたのか、指先を動かして駆け回った道を思い描きながら藤堂はいつになく頭の中で次々と、考えられる状況を思い浮かべる。
今、屯所にたどり着いていないということは、相手方に捕まったか、逃げ回っているうちに屯所から離れてしまったか。

あの時、セイは、思いがけずなのだろうが、新撰組だと名乗っていた。それを聞いた相手が当然、屯所に向かう道は遮るのは目に見えている。

「どうしよう!どう思う?土方さん、俺、もう一度……!」
「落ち着け……。おふっ」

藤堂が捜し歩いたというあたりを実際に頭に浮かべながら土方が、立ち上がりかけた藤堂を引き留めた。

「お前が、一人で探しても、もう、日が暮れる」
「だからって!俺がしくじって神谷をあの子と二人で逃がしたから!」
「いい。もうすぐ、斉藤が戻る。三番隊を連れて、探しに出る支度をさせる」

相手方がどれだけいるのかわからないが、屯所に残れという土方に、それまで焦って慌てふためいていた藤堂の雰囲気が、がらりと変わった。自分のしくじりで危険な目に合わせているセイも、その尻拭いを人にさせることも決して本意ではない。

「嫌だよ」
「平助」
「嫌だ。行くよ」

土方が止める声も聞かずに、藤堂は副長室を飛び出した。再びセイ達を探しに、屯所から走り出した藤堂は、そろそろ暗くなり始めた空を睨みつけた。

―― このまま、誰かにまかせてなんかおけるか

 

 

同じ頃、藤堂や土方が考えたように、逃げた者達が手を回したらしく、セイ達の行く先々にちらり、ちらりと胡散臭い姿を見せてきて、その姿を見るたびに急いで逃げるを繰り返していると、どんどん屯所のある方角からは離れてしまった。

日が暮れ始めれば、少し先にいる人の姿など判別しにくくなる。
見慣れている人物でなければ、辻に立った人物が敵だろうと関係のない者だろうと、人影が武士かどうかになる。そうとわかれば逃げるうちに、どんどん離れてわからなくなってしまった。

「限界……」

散々走り回って、すっかり足も痛くなったしのぶは履いていた草履を懐に入れて、足袋で逃げ回っていた。件の矢立は、今、セイの懐にある。

しのぶが、いざ二人とも捕まっても、セイならば戦うこともできるが、自分では殺されておしまいだといって、セイに預けたのだ。弱音を吐いたしのぶを励ましてセイはしゃがみ込んだ肩に襟巻を巻いた。

「駄目。諦めるのはまだ早いよ」

巡察で市中を歩き回るのには慣れていても、大通りで目印になる建物が見えなければ、細い路地や小道を逃げ回ったせいでどのあたりなのかがわからない。それでも、陽の沈む方角を考えればなんとなく、方向だけはわかった。

敵を見て逃げるなど、本来は法度に触れることになるが、自分だけではなく、しのぶを連れているために後ろを見せるも何もない。とにかく無事に連れて帰ることが任務なのだ。

「さ、もう一度、屯所に向かおう。大丈夫。日が暮れたら相手だって見つけられなくなるよ」
「……あんた、若いのに無謀っていうか、むちゃくちゃ楽天的だね」
「お前こそ、私より若いくせに何言ってるんだよ。後ろ向き過ぎるよ」

精一杯明るくしのぶを励ましたセイに、呆れた顔を向けたしのぶは年寄りじみた口調でしみじみと頭を腕の間にうずめた。
幼いころから花街に身を置いてきたしのぶからすれば、これでもかというくらい様々なことを目にしてきた。特に、自分たちが願うようないい方向に話が転ぶなど、夢のような話はないのだと身に染みて知っている。

「若いったって、神谷さんだって若いでしょ。前髪だし」
「こ、これは……、いろいろ事情があるんだよ」
「ふうん。まあ、いいけど。とにかく神谷さんほど、俺は楽天的に考えられないわよ」

―― あーあ。俺、これで終わりかなぁ

ぼそりとつぶやいたしのぶに、セイは拳を握りしめた。
これが藤堂なら、とっくに屯所にしのぶを連れて戻っていたかもしれない。そう思えば、しのぶには申し訳ないと思うが、セイにはこんなことで簡単に諦めるなどあり得ない。

「何言ってんだよ。終わりなわけないだろ!」
「な、何、急に怒ってるのよ」
「当たり前だよ。全然、こんなの奴等に捕まってるわけでもなんでもないのに!」
「わかったよ。怒らないでよ。俺だって、無事に帰りたいと思ってるんだから」

急にむきになったセイに驚いたしのぶは、本意ではなかったのだと詫びたが、気まずくなってセイの抱えていた羽織を引っ張った。

「これ、もう羽織の柄なんてわからないし、着たほうがいいよ」
「……わかった」

日が暮れればますます冷えていくのは当然で、セイは裏を返して抱えていた羽織を着なおした。その時、懐に入れていた矢立を思い出す。

「そういえば、これがなんでそんなに大事なんだろう?」
「さぁ……?」

セイは、もう一度、矢立を開いて中の筆を取り出した。変わった作りとはいえ、取り立てて変わったところがないように見えたが、筆の尻に あたるところを触ったセイは、ふと爪を立てて微かな隙間を引っ張った。竹の柄の端に、引っ掛かりがあって、爪の先で力を入れると指先にぷつっという感覚が 伝わり、あっけなく小さな蓋らしきものが外れた。

手のひらに小さな蓋を乗せて筆の軸を逆さにすると、中からは丸めた紙が滑り出てきた。

「それ、何?」

下から見上げるようにセイを見ていたしのぶも興味を持ったのか、立ち上がった。セイは手の中で固く折りたたまれた紙を破かないようにそうっと開く。

「……如何にしても、間に立たれる黒谷様をこのままにはしておけぬ。明後日の参詣の折を狙い……!ってこれ、大変じゃないか」

広げた紙は極秘の文のようで、一度は開いて読まれたものだとわかる。黒谷様といえば、セイ達新撰組を抱えてくださる会津藩の容保公を指しているに違いない。
顔色を変えたセイに、事態がわからないしのぶはセイの手元の紙を覗き込んだ。

「ねぇ、どういうこと?」
「……大変だってことだよ。やっぱり急いで屯所に向かわなきゃ」

それもなるべく早く、である。明後日とあるからには明日の事ではないだろうが、事態を伝えること、そして警備にはそれなりに時間がかか る。どうしても、身動きが取れなければどこか顔の利く茶屋に泊めてもらって、屯所へは使いを走らせることを考え始めていたセイは、それどころではないと 思った。

「とにかく、急がなきゃ」

文をしまったセイは矢立を懐に戻した。藤堂ならもうとっくにけりをつけて屯所に戻っているかもしれない。夜が来る前には何とかしたいと、セイは半分沈みかけた夕日に目を向けた。

 

 

– 続く –