切り取る瞬間
〜はじめの一言〜
BGM:嵐 To be free
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セイは、背筋を伸ばして高くなり始めた空を見上げた。起床の太鼓のすぐ後だというのにもうすでに陽は高く、じりじりとした日差しが照りつけているが、それでも空気が違う。
「今日も暑そう……」
そのまま腰に手を当てて背を逸らしたセイは、ふと両手を上げた。親指とほかの指とで大きな丸を作る。
その輪越しに、青空と眩しいくらいのお日様に照らされた屯所と太鼓楼を眺めた。
「何やってる」
「あ、副長。おひゃ……、おはようございます」
口を開いた拍子に欠伸が飛び出して、思わず噛んでしまった。
そんなセイに朝っぱらから眉間に皺を寄せた土方が、首元を手の甲で拭いながら立っていた。
「お前、何やってんだ」
「あ、いや。何でもないです」
「なんでもないって、その手はなんだ」
まだ名残の輪のままで振り返ったセイの手をじろりと見る。慌てて後ろ手に隠したセイは、もじもじと手をすり合わせてから視線を落とした。
「あの、なんというか、ぽとがらみたいにとっておきたくて」
「はぁ?」
「いえっ!何でもありません!」
失礼します、と頭を下げてセイは、急いで朝の支度をするために走っていった。その場に残った土方はセイが見上げていたのと同じように空を見上げてため息をついた。
じっとりと、朝早いと言うのにもうすでにこんなに汗ばむほど暑い。いい加減涼しくなりやがれ、と胸の内で毎日毒づいても天気は思うようにはならない。
特に京の暑さは、江戸から来た彼らには格別に堪える。
それでも、空は確実に高くなり、空気が変わっていくのはセイでなくとも肌で感じる。澄み渡った空を背負った建物を眺めた。
「……どうせならもっとちがうもんを残しておけばいいものを」
まだ誰もいない庭先と太鼓楼を覚えておくくらいならほかにももっとあるだろうと言いたかったが、それを聞くものは誰もいない。
ただ、セイが何を思ってそんな真似をしていたのかわからなくもない。
「これからだ、これから」
本当に記憶に残しておきたいのは、今の屯所を出て、幕臣に取り立てられた近藤の隣で自分がやれることをやっている。
近藤がその力に見合った立場に立ち、皆がそれぞれ誇らしく働いている姿こそ、土方にとっては残しておきたいものだった。
それから、時折思い出したようにセイがいろんなところで輪を覗き込んでいる姿を見かけたが、土方はそれ以来何も言わなかった。
「神谷さん。それ、最近のおまじないですか?」
「え?……あっ!いえ、なんでも……」
遠くにいるつもりで一番隊を引き連れた総司を覗き込んでいたセイは、手で作った輪越しに総司が覗き込んできて、慌てて手を下げた。
総司もあちこちでセイが輪っかを作っている姿をこのところ多く見るような気がしていたので、ちょうど見かけたセイに近づいてきたのだ。
「最近よくやっているでしょう。その格好」
「す、すみません!」
「どうして謝るんです?別に咎めているわけじゃないのに」
恐縮しているセイに巡察から戻ったばかりの総司は、怒ったわけでもないのにと不思議そうな顔になる。土方にもてっきり怒られたつもりのセイは、総司にもきっと子供の様なことをしていると叱られると思っていた。
「何でもないです!はい!それより、暑い中、巡察お疲れ様でした!」
「ああ。本当に今日も暑いですねぇ」
すっかり汗だくになった胸元を指先で摘まんだ総司が肌に張り付いた着物をぱたぱた引っ張っている。
「先生、水浴びされますか?」
すぐに支度をします、と動きかけたセイを総司が呼び止めた。じろりとセイを睨みつける。
「いつも言っているでしょう!一人でできますって!あなたはあなたの仕事があるでしょう?」
「……はぁい」
しぶしぶと歩き出したセイが振り返ると、総司は一番隊の隊士達と賑やかに騒ぎながら水を浴びるために手拭いを手にして井戸端へ向かうところだった。
ほ、と羨ましいような寂しいような、そんな気持ちでセイは離れた廊下から再び、手で輪を作ってその姿を覗き込んだ。
―― ほら。こういうのをとっておけたらいいなぁって思うんだよね
時間も皆も、決してとっておけるものではないからこそ、今、この瞬間を残したいと思ってしまう。
「なんだろ。最近、おかしいのかな」
自分自身でもその理由がわからなかったが、どうしても胸の奥で強く思う。
今、この瞬間を。
同じ時代に、同じ時間に生きていることを残しておきたい。
「……そういえば」
いつか総司と一緒にとったポトガラをふと思い出す。
―― 最近、しまいこんでて全然見てなかったな
痛まない様に、見つからない様に大事にしまいこんでいたのだった。時々は、虫干し代わりに眺めるくらいは許されるだろうか。
そう思ったセイは、あとで取り出してみようと思いながら、胸に抱えていた風呂敷包みを抱え直して歩き出した。
– 終わり –