花嵐 3

〜はじめの一言〜
どうも……すいません。なんだか味のなじまない煮物みたいで……
BGM:B’z イチブトゼンブ
– + – + – + – + – + – + – + – + – + –

その頃、土方の使いで近藤の妾宅へ出向いたセイは、帰り道でばったりとお尚に会った。

「神谷様?」
「お尚さん!」

なんの疑いもなくセイは、お尚に声をかけられて挨拶をした。その日のお尚は頭巾ではなく、日傘をさしている。

「お尚さんのお住まいはこのあたりなのですか?」
「ええ、まあ。知り合いのところへちょっと……。神谷様は?」

「私は、ちょっと使いに出た帰りなんです。小姓なんて小間使いみたいなものですからね」

まあ、と口元を押さえて笑う姿が、屈託なくてセイはつられたように笑った。なかなか、武家の内儀がこうして外出することなど多くはないのだが、夫の不在に一人で残されている寂しさからか、お尚はよく出歩くようだった。

「この前、沖田様をお見かけいたしました。お仕事中のようでしたけど、ああしていつも皆様見回りをされているんですね」
「ええ、大きなお店には巡察の度にお邪魔して、様子を伺うこともありますよ」
「皆様が大変な思いをされているから、こうして安心して歩くことができるんですわ。ありがたいことです」

セイは、お尚が言う言葉で褒められた気がして少し嬉しかった。内勤になって、町を歩くのも使いのことが多く、なかなか市中を実感することが少なくなっていたのだ。

「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです」

素直に喜ぶセイの顔をみて、お尚は少しだけ胸が痛んだ。新撰組のことは、京の町にいれば知ろうとしなくてもある程度は詳しくなれる。
セイが、花の阿修羅と恐れられる者であることも知っていた。どうやら巡察の隊列にいないことからして、内勤になったらしいことも。そして、一番隊組長のお気に入りであることも。

「神谷様は、本当に良い方ですね。私は、京の町に来て間もないものですからこうして神谷様とお知り合いになれて光栄ですわ」
「と、とんでもない!私こそ、そんな風に言っていただけて……」

しみじみとしたお尚の言葉に、セイは照れてパタパタと手を振った。その姿がまた可愛らしくて、お尚はくすくすと笑うと、それでは、と頭を下げて去って行った。

セイは、久しぶりに仕事らしい仕事をしたような温かい気持ちになって、屯所に戻った。

 

 

屯所に戻ると、巡察から戻ったばかりの斎藤がセイの姿をみて声をかけた。

「今帰りか、神谷」
「あ、兄上!巡察お疲れ様です」

斎藤は、つい先ほど立ち話をしているセイを見かけていた。嬉しそうに近寄ってきたセイに問いかけた。

「先ほど、どこぞの妻女と立ち話をしていたようだが……」
「あ、お尚さんですね。少し前に知り合った方なんです。京の方じゃないみたいなんですけどね」

「ふむ……まあ、あまり隊のことは他言しないことだ」

斎藤は、セイの様子から念のために余計なことはいうな、と釘をさした。いくら町中で知られた新撰組といえど、どこに耳目が光っているかもしれない。不用意に内部の話をすべきではないのだ。

セイは、はっとして頭を下げた。

「ご忠告ありがとうございます。兄上!神谷清三郎、肝に銘じます!」

―― そういってもアンタは騒ぎに巻き込まれやすいんだが、そんなときは俺を頼れ

と思っていても口に出せない斎藤は、ぽふっとセイの月代を撫でた。えへへ、と嬉しそうに笑うセイを見ながら、背後に総司の気配を感じて、斎藤の対抗心がむくっと起き上がった。

「また近いうちに飲みに連れていこう」
「本当ですか?兄上!」
「ああ、お前と飲むのは楽しいからな」

ぴきっ……

―― ざまあみろ!!

背後の気配が変わったのを感じて、斎藤が思ったのは言うまでもない。

 

 

その日、総司は一番隊から離れて幹部としての仕事で遠出していた。思ったより遅くなってしまい、途中で灯りを入れた提灯を手にして、屯所に向かって歩いていた。
その向こうで、何やら揉み合う音を聞いて、意識をそちらに向けた。

「ひぃっ」

女の叫び声が上がって、どこかを殴りつけるような音がした。

総司は瞬間、走り出していた。道の端で浪人風の男に女が殴られている。

「何をしているんです?!」

総司の声に、殴りつけていた男はぱっと身をひるがえして走り去った。後を追うべきか迷うところだったが、倒れた女が苦しそうにしているのをみて、そちらに向かった。
灯りを片手に、手を貸して助け起こす。

「大丈夫ですか?どこか怪我は……ん、貴女は……」

したたかに顔を殴られたのか、頬に跡がある。薄明かりに照らされたのはお尚だった。殴られ、引き倒されたせいか、着物も汚れ、どこかを庇うようにしてようやく立っている。

「ありがとうございました。もう大丈夫ですから」

そういって、明かりから顔をそむけて立ち去ろうとするが、よろけてしまい、再び総司が手を差し出しその体を支えた。このままでは、たとえ近所に家があったとしても一人で帰ることはできないだろう。

「家はどちらです?お送りしますよ?」
「いえ、ここからは遠いので、どこかで休んでから戻りますから」
「女子一人で帰せる時刻ではありませんよ。とにかく、どこかで怪我の手当だけでもしましょう」

そういうと、総司はお尚を連れて近くの茶屋に部屋をとった。そして、店の者にいくらか渡して、濡らした手拭と、薬を頼んだ。

「お手数をおかけして申し訳ございません」

座っているのさえやっとという姿にも関わらず、決してお尚は横にならずに、痛む体を支えていた。その姿が、いかにも武家育ちの気丈さをみせていて、総司はお尚がセイから聞いたような医者の娘ではなく、生粋の武家の出ではないかと思った。

「私は構いませんよ。ちょうど通りかかってよかった。それより、女子が一人歩きをする時間ではありませんね」

濡れた手拭を差し出して、殴られた頬を冷やす様にお尚の手に持たせた。素直に受け取りながらも、どこかが痛むのか、苦しそうな顔をしている。

「医者を呼びましょうか?」
「いえ!」

総司が立ち上がりかけると、お尚は急に総司の羽織を掴むようにして止めた。

「どうか、そのままに。大丈夫ですから」

あまりに必死な目に、総司は溜息をついて、腰をおろした。その様子にほっとした様子のお尚は、思わず掴んでしまった総司の羽織から手を離した。

 

 

– 続く –