再会~喜怒哀「楽」 2
〜はじめのつぶやき〜
もし、お手元に、「想い/絆」があったら表紙をながめてくださいね
BGM:Superfly 輝く月のように
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セイが教務員室に宗次郎を案内すると、独身の女性教員たちは一斉に目の色が変わった。
「初めまして。沖田宗次郎です」
「まあ、ようこそ。登校へ。わたくしが教頭の波川ですわ。家政科をうけもっておりますの」
コルセットをいくら締めてもそんなにメリハリはつくまいというくらい、張り出した胸とくびれた腰を強調するように揺すりながら宗次郎の傍へと近づくと、腕を取って教員室へと引っ張っていく。
拒否するのも気が引けた宗次郎はされるまま、教員室の奥へと連れて行かれた。最後に一度後ろを振り返って、セイに片手をあげる。
「……あーあ。餌食……」
まるで肉食獣のオリに草食動物を放り込んだような有様に、先ほど笑われたこともあって、くすっとセイは笑うと、教室へ戻る。
「あ。……っ!ちがう!私、教室に忘れ物をしたんだった!」
自分が授業の前に忘れ物を取りに向かったことをすっかり忘れていたセイはバタバタと教室へ走っていった。
「それでは」
教頭の波川女子に連れられた宗次郎が、終わりの挨拶前に教室に現れた。級は、三学年あるなか、二クラスずつしかない。木造の瀟洒な校舎は乙女たちの学び舎というのにふさわしいものである。
その教壇に、それまで立っていた若い古賀を押しのけるようにして誇らしげにたった波川が宗次郎を紹介した。
「こちらが、新任の沖田宗次郎先生です。沖田先生は、お若くていらっしゃいますが以前は将校として軍医をされていらっしゃったそうです。今は、ご実家の都合で退役され、教師となられました。これから、数学と理科の学科を受け持っていただきます」
にこり、と軽く顎を引くと、総司は、あの時セイに拾ってもらった小さな紙きれを手の中でちらりと見てから口を開いた。
「はじめまして。沖田です。数学や理科というものはひどく堅苦しくて、嫌われがちな教科ですが皆さ んには、実はひどく身近な教科なんです。家を守る女性にとって、日々のやりくりもそうですし、おいしい食事を旦那様に作るときには、どうすれば一番おいし く、味が染みるのか、など。それをご一緒に学んでいましょう」
呆気にとられた生徒たちは、互いに顔を見合わせて驚いていた。教科の中には調理もあれば裁縫もある。だが、実際には彼女たちがそれをすることなど、ほとんどの生徒には機会がないのだ。
「ま、まあ、とにかく。明日からよろしくお願いしますね」
さすがに家政科の波川女史も顔をひきつらせはしたが、教頭だけあって何とか立て直すと終業の挨拶をして教室を出ていく。宗次郎と波川女史が教室をでていくと、どっと教室の中が騒がしくなる。
「きゃぁぁぁ、元将校様ですって!」
「沖田先生っておっしゃるのね。素敵!」
「ああ、もう青年教師なんてこの女学校にいいのかしら!許されぬ青年教師と良家の子女の恋!」
「まあ、あなたのどこが良家の子女なのかしら」
教師であるはずの古賀も頬を染めているくらいだから、女生徒たちは推して知るべしである。ほとんどの娘たちは高女を卒業すれば、嫁入りが控えているだけに、恋を夢見る乙女たちにとっては格好の憧れの的になりそうな相手なのだ。
苦笑いを浮かべたセイは、鞄に教科書をしまうと、友人たちに声をかけて教室を後にする。長い坂を下って、町を歩いていると、小さな寺の隣に杉板に書かれた『神谷診療所』の看板が見えてきた。
早くに母を亡くしたセイは、父の神谷診療所に暮らしていた。兄の祐馬は医者になることはせず、役人になっていて、家をでている。
そのため、常に患者と医生でいっぱいの診療所の面倒はセイがすべて見ていた。
「ただ今帰りました。父上は?」
門を入って、裏に回ったセイが勝手口から家に入ると父と共に働く日野がちょうど一休みしていたところだった。
「お帰りなさい。セイさん。先生はまだ診察中ですよ。今日は思いのほか、患者さんが少なかったので……」
「はーい、はい。わかりました。すぐ洗い物をして皆さんの夕餉の支度も始めますから」
「あ、あの……」
何かを言いかけた日野の話を最後まで聞かずにセイは、少しだけせっかちに自分の部屋へ向かう。母屋の二階の一番奥がセイの部屋で、その手前が父の部屋だ。
このほかに、医生たちが住んでいる部屋が二階の手前と一階の一部にある。十七になったセイは、まず女学校から帰ると、制服を着換えて溜まった洗い物を済ませて食事の支度というのがいつものことだった。
そして、帰ってきたセイに、家事をさせてしまうことの詫びを口にするのも日野の日課のようなものだった。
だからこの日も、毎日のことでさらりと聞き流したセイは、二階に上がって自分の部屋で着替えを済ませると、三つ編みにしていた髪を一つにまとめて縛りなおした。
頭の後ろで一つに束ねると、すっきりしてぴしりと背筋が伸びる気がする。
「よしっと。やっぱりこっちの方が落ち着くわ」
ん、と腰のあたりに手を置いて、机の上の鏡を見たセイは、満足して自分の部屋をでた。
神谷診療所は、診療所と言っていても、町の医家というには大きい。医生の受け入れもやっているし、セイの父と日野と、藤堂という三人がこの診療所の医師として幅広く患者を診ていた。
階下に降りると、奥の洗濯置き場には、三人の医師がそれぞれ、汚した白衣、それから医生たちが汚し た白衣にそれぞれの着替えと、山積みである。当然、替えは皆持っているが少しでも溜めてしまうと後が大変ということで、セイは、よほどの大雨でもない限 り、日々、洗濯にいそしんでいる。
「あ!セイちゃん、お帰り!」
三人の医師の中でも、目や、耳、鼻、口を中心に見ている藤堂がひょいっと診療所の方から顔を見せに来た。
一番若いが、いつも熱心で患者に明るく話しかけて不安を取り除くのがうまい。
「ただ今帰りました。藤堂先生。もう上がられたんですか?」
「うん。俺はね。あとは、たまった包帯とか、そういうのを医生のみんなが今、片してるとこ」
白衣以外の診療に使う、包帯や手拭いなどは消毒が必要なために医生の担当になっている。
診療が終わったと身軽な姿になった藤堂は、頭の後ろで手を組んでセイが洗い物を選り分けているのを眺めていた。
「何を見てらっしゃるんです?藤堂先生」
「いやぁ。やっぱりその姿の方がいいなと思って。三つ編みのおさげに女学校の制服を着ると、一瞬誰だろうって思っちゃうんだよね」
「藤堂先生、それ、私が女学校に入ってからずーっとおっしゃってますけど、もう二年もたつのですから少しは慣れてくださいね」
そういうと、白衣を山にして大きな盥に乗せると、表に出る。
裏手には、水道ではなく、井戸水がくみ上げられるようになってあるのだ。勢いよく水をくみだすと、白衣の上で水が踊った。
「藤堂先生、そんなところにいらっしゃるくらいなら手伝ってください」
「ああ、そうだよね。俺も心から手伝いたくてたまらないの。でも俺の良心がいうわけよ。かわいいセイちゃんの仕事を取るなんてそんなひどいことできないよって」
「……藤堂先生の良心って、昨日のごみ箱に捨ててありましたけど!」
ええ?!と叫んだ藤堂は、拾いに行かなくちゃ、と言ってひらひらと手を振りながら奥へと戻っていった。
– 続く –