霧に浮かぶ影 2

〜はじめのひとこと〜
沖田先生の不在って意外とありそうですね。

BGM:POP MASTER 水樹奈々
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羽織をひっかけながらあっという間に戻ってきた藤堂は、大階段の下まで来るとセイと同じように下駄を手にした。

「お待たせ!」
「藤堂先生、本当に行かれるんですか?」
「行くよー。いいでしょ?」

はあ、とかまあ、とか曖昧に頷きながらセイは下駄を履いたつま先をこん、と地面に押し当てた。初めは近くの店で練り切りと酒饅頭にでもするつもりだったが、土方の希望を叶えるなら北野天満宮まで行かなくてはならない。
そこそこの距離があるため、そんなことに藤堂を付き合せるには申し訳ない気がしたのだ。

「よし。だってさ、鬼の居ぬ間って言うじゃん?」
「は?鬼ってなんですか」

にこにこと下駄を履いて歩き出した藤堂について、なし崩しにセイも歩き出す。門脇の隊士達が声をかけて送り出す、その前を通り過ぎて、寒さと雪で固くなった表通りに出た。

「鬼?鬼はねぇ、まず総司がいないでしょ。斉藤さんは黒谷だし、近藤さんも黒谷、土方さんは具合悪くして屯所に籠ってるし、原田さんは非番で家でしょ?だからさ」
「はぁ、だから鬼の居ぬ間なんですか?」
「そう。えへへ、ついてるな。俺」

ついてる、と言われても何がどうしてついていることになるのか、野暮天女王のセイが察するわけがない。
いいのいいの、といって嬉しそうにしている藤堂を不思議に思いながらも、とにかく、粟餅を買うために澤屋を目指すことにした。

冬用の身支度をしていると言っても、京の寒さは足元からじんじんと体を凍らせていくような寒さである。セイはまだ手を出しているが、藤堂は左右の袖に手を入れて首を竦めていた。

「ひぇぇ。寒いっ」
「ですから、屯所にいらっしゃればよかったのに」

思わず寒いと口を突いて出てしまった藤堂に、セイが苦笑いを浮かべた。襟巻をしていても首筋や襟元から吹き込んでくる風はやはり寒いのだが、今日はまだ少し日がさしているためにまだましと言える。

「そんなわけにいかないよ。こんな日を逃せるわけないじゃん。あ、そうだ」

きゅうっと肩に入っていた力を抜くと、袖口から手を抜いてセイに差し出した。出がけに何となく見とれてしまった手がセイの手を掴む。

「ほら。こうすれば一緒に温かいじゃん?」
「え?ええ?!」

ぐいっと引っ張られた手にセイが驚いていると、立ち止まった藤堂が口元をへの字にしている。

「……駄目?」
「や、駄目ってことはないですけど……。男同士でこれはなんか変じゃありません?」
「そういうけど、総司とはよく手をつないで歩いてるじゃん」
「それは……っ、たまたまでして……」

相手が藤堂ということもあって、初めて客観的に繋がれた手に怪訝な顔をしたセイは、ずばりと総司と手をつないでいると指摘されると、口 ごもってしまった。いつもは大きくて、長い指の総司の手がセイの手を包み込んでくれることが嬉しくて仕方がないのだが、そういわれてしまえばごもっともで ある。

たまたま、土手に引き上げられるときや急ぐ時に手を引かれるわけでもなく、ただ手をつないで歩くということがなぜかひたすら恥ずかしく思えた。
それでも、総司を引き合いに出されて駄目かと聞かれると、駄目だとは言いづらくなる。

「どうしても駄目なら仕方ないけど?」

ほんの少し首を傾けてくりっと目を向けてくる藤堂に、視線を彷徨わせたセイはもぐもぐと小さな声で答えた。

「駄目ってわけじゃ……」
「やった!じゃあ、いこうよ」

ぱっと嬉しそうな顔で藤堂は繋いだ手を引くと再び歩き始めた。総司なら平気だというのにどぎまぎしながらセイは頷くと一緒に歩き出した。
降っては溶けて、地面に吸い込まれた雪は陽のあたる場所こそ乾いていたが、ほとんどは店の軒先から出た、すぐのあたりに山になっているか、霜柱として地面を浮き上がらせている場所が多い。二人が歩くのに合わせて、ざくざくと足元で乾いた土を砕く音がする。

「それにしても、今年は雪が多いですねぇ」
「ほんとにね。神谷の方がこっちにきて長いだろ?それでもやっぱり今年は多い?」
「多いと思いますよ。子供の頃は何も考えずに雪だるま作って遊んでましたけど、ここ数年は少なくてほっとしてましたもん」

くいっと片手を動かすと、雪かきの仕草をして見せる。小者たちが中心で行うとはいえ、広い西本願寺の境内の歩く場所だけでもかなりになる。勢い、道場までだったり、表と裏の門まで、井戸まで、などあちこちで顔になっているセイが手伝わないわけがない。

ああ、と頷いた藤堂がそういえばと思いだす。雪が積もった朝は、起床の太鼓をたたく係りの者が起き出すより先に起きて、セイが一生懸命雪かきをしているというのは有名だった。

「別に神谷がやらなくったって、皆でやればいいんだよ。小者達じゃ手が足りなければ、あれだけ手があるんだし」

そう言いながらも、屯所内で一、二を争うような寒がりの藤堂は、雪が降っている日の巡察だと、とても機嫌が悪くなるらしい。だから雪かきと言っても、まず間違いなく出てこないだろう組長の一人である。

「まあ、そうなんですけどね」

他人事だから言うのだろうと半分聞き流したセイの手の甲を親指でぐいっと強く藤堂が押した。決して藤堂の手も滑らかとは言えないが、それ以上にがさついたセイの手をこれだと言わんばかりに示す。

「この手だよ。この前までもっとひどかったっていうじゃん?いざってときに刀、握れなくなっちゃうよ」

掌よりましであってもかさついた手の甲を固い指がなぞる。総司や土方にもよく叱られているセイは、空いた手のひらを目の前にかざした。
ついこの前も、呆れかえったのか、土方の指令だと言ってミカン湯に浸けられた後、総司にたっぷりと軟膏を塗りこまれたのだった。あれから少しはましになったはずなのだが、やはり普通の女子の手指とは違っている。

「それが困るんですよねぇ。気をつけてはいるんですけど、軟膏を塗っておけば手が滑ってしまうし、賄いの手伝いもしづらいし、副長の手伝いをしていても、書類に手の跡が付いたら困るし……」

セイはセイなりに気を遣ってはいるが、なかなか悩ましいことは悩ましいらしい。困り顔であれこれとつぶやくセイを、うんうんと藤堂は頷いて聞いていた。
日頃から直接、土方や総司のようにセイを心配しすぎて叱るのとはわけが違う。少し距離を置いているからこそ、セイの気持ちが理解できることもあるのだ。

「総司や土方さん達が心配してるのも本当なんだけどね。神谷も仕事しないわけにはいかないだろうし」
「そうなんです!私も今までやってた仕事を放りだすのが嫌なんですよ!皆も同じなのに手が荒れるなんて理由じゃいえませんし困るんですよねぇ」

しみじみと頷くセイが可笑しくて、藤堂はついくすっと笑ってしまう。
こんなセイだからこそ、総司も土方も可愛くて仕方がなくて、結局心配のあまり怒ってしまうのだが、当事者である本人にはそのあたりが伝わりづらいらしい。

「……やっぱり可愛いや」
「はい?何がですか?」
「ううん。なんでもないよ。にしても、土方さんが粟餅って珍しいね」

首を振った藤堂がちらりとセイに目を向けて歩いていく。
確かに甘いものが得意ではない土方が珍しいとは思う。だが、体調を崩した土方が今回はやたらと甘いものを欲しがっていることをセイは知っていた。

「たまには鬼副長も甘いものが欲しくなるんですよ」

甘いものを欲しがるということはそれだけ体がすぐに力になる物を欲しがっているような気がして、セイは土方が体調を崩してからただの茶ではなく甘く、後味もさっぱりした葛湯を副長室に置くようにしている。

つないだ手を軽く引いてセイは藤堂に少しだけ頭を下げてもらった。

「藤堂先生はどんなお菓子がいいですか?何か、先生もお召し上がりになりたいものがあったら買いましょうよ」
「俺はなんでもいいよ」
「そんなわけにいきません。一緒に買いに行ってくださるんですもん」

単純な藤堂はセイのそんな気遣いも嬉しくて、藤堂はじゃあねぇ、と呟くと先にセイの好きなものを問いかけた。

– 続く –