霧に浮かぶ影 4
〜はじめのひとこと〜
いつの間にかこのお話間男話とされていますが違うんですよ
BGM:POP MASTER 水樹奈々
– + – + – + – + – + – + – + – + – + –
「ふー。幸せです。満足」
「そりゃよかった。ご馳走のし甲斐があるってもんだよ」
食後のお茶も程よい熱さで、添えられた水菓子は今でいう伊予柑のようなもので、みかんよりは大分大きい。しかし、皮をむいてしまえば濃い橙に水気たっぷりの果肉はたまらなくうまい。
「この蜜柑もあまり見かけない種類ですよね」
「そうだね。このへんじゃ、小さくて酸っぱいのが多いよね」
甘い果汁をたっぷりと味わったセイが膳の脇に置かれたおしぼりに手を伸ばしたとき、袂で何かが動いた気がした。
「あれ?」
そのままおしぼりに手を伸ばして、果汁にまみれた手を拭いながら、左の袂を探った。女物とは違って、袖口しか開いていないのに何を、と思ったら、細い矢立らしきもので見慣れぬものだった。
「何?それ」
「さぁ。矢立みたいですけど、私のじゃないんです。見覚えもないから隊の誰かのってわけでもないとおもうんですけど」
軽く振ると、かたかたと音がするので、やはり、矢立で中には筆が入っているらしい。セイは、しげしげと眺めてどこから開けるのか、とくるくるとそれを手の中で転がした後、少しだけ太くなっている半分をぐっと指先で強く押さえた。
中ほどから丸い筒の半分が外れて、中にはやはり筆が入っていた。
「やっぱり矢立ですね。こんな凝った細工のもの、うちの中じゃ誰も持ってませんよ」
「そりゃそうかもしれないけど……」
手を差し出した藤堂がセイから矢立を受け取って、しげしげと眺めた。こんな時斉藤などであれば、何かと思うのかもしれないが、藤堂とセイでは疑問符を頭に並べるばかりでこれという思いつきもないところだった。
筆を戻して蓋も閉じた藤堂は、閉じてしまえばどこが蓋だったのか、まじまじと眺めなければわからないそれをみて、あっと思い出した。
「神谷、さっきすれ違った女、どっちに行ったって?」
「え?あの、奥のほうですけど、藤堂先生?」
すぐさま立ち上がった藤堂は、店の者がいる奥のほうへと急いで顔を見せると、奥から現れた女将にセイから聞いた女の風体を告げてそんな女がいたのかと聞いた。
「いいえ、今日はもう昼時に馴染みの呉服問屋の旦那はんがご家族でお見えになったのと、お武家様が三人ほど、あとは奥はつかってまへんのえ。そないな若い女子はんのお客さんなら忘れるはずもありまへんし」
困惑顔の女将にありがとう、と藤堂は小粒を握らせた。余計なことは言わないでね、と付け加えるのを忘れずに離れた藤堂はすぐに座敷に引き返した。
落ち着かない気分で待っていたセイが振り返ると、藤堂は難しい顔でセイに矢立を返した。
「たぶん、さっき神谷がすれ違ったっていう女だと思うんだけど、今日の客にはそんな女はいないって」
「え?だって、私さっき……」
きょろ、とセイは自分がさっき厠に向かった時の方向を指さして、藤堂を見上げた。軽く頷いた藤堂はすぐに店を出ることにした。
「何もないと思うけど、それ、戻ってちょっと調べたほうがいいかもしんないし」
「わかりました。すみません、ゆっくりしてしまって、もっと早く気づいていれば」
「いや、いいよ。そんなのわかんないし」
一度は藤堂に確認されたのに、気づかなかった自分を恥じて、セイが申し訳なさそうな顔で詫びたが、とりあえず早目に屯所に帰るほうがよさそうだ。
先に立った藤堂が支払いを済ませると、二人は店を出て屯所へ向けて歩き出した。もともと買い求めるつもりだった酒饅頭は屯所の近くの店の物だから気にしなくてもいいだろう。
天喜を出てしばらくすると、急に藤堂の歩調が遅くなってセイが小走りにならなくても並んで歩けるようになった。
「遅くてすみません。藤堂先生」
「いや、いいよ」
初めはセイに合わせてくれたのかと思っていたが、セイの手をつかんだ手がいつの間にか、形だけになっていることにセイは気づいた。手を繋いでいたからその形を手が保っているだけで、そこに意識が向いていない。
「藤堂先生?」
「ごめん。俺、こういうの苦手なんだよね。総司や斉藤さんだったらうまくやるんだろうけどさ」
苦笑いを浮かべた藤堂がぽり、と頭を掻くと繋いでいた手を放してぱっと身を翻した。動きについていけなかったセイが遅れて振り返ると、藤堂がたった今通り過ぎた角に向かって走り出していた。
「藤堂先生!」
慌てて後を追ったセイは、あっという間に角を曲がって姿が見えなくなった藤堂の後を追って、角を曲がった。
「先生!」
「……神谷がぶつかったのって、この子じゃない?」
いたた、と藤堂に腕をつかまれた少年は、背は高いもののまだあどけなさを残した童顔で、セイは思わずまさか、と手を振った。
「そんな、悪い冗談ですよ。だって、私がすれ違ったのは女子ですよ?」
「うーん、でもこの子だと思うんだけど?」
若い青年というにはまだ早く、一応それなりの遊び人風な姿をとってはいても、内側から覗いた赤い襦袢が不似合なほど若い子である。雪弥のように髪が長いことだけは目に付いた。
「うーんでも、あの人は……!!ああ!!その!頬のところにあるほくろ!!」
二度目にぶつかりそうになった時に至近距離で顔を合わせていたセイは、相手の左側の頬に視線を向けていた。
「ちっ。なんでわかったの?」
舌打ちして、腕をつかんでいる藤堂にかみつきそうなくらい近づいた少年は、絶対にわからないと思っていたらしい。悔しさをにじませて藤堂を睨みつけた。
「簡単だよ。男か女かを考えなかったから」
「はぁ?!なんだよそれ」
驚いたセイが口をぱくぱくさせている目の前で藤堂はあっさりといった。
「俺は神谷とぶつかった君を見てないからさ、こういう着物でした、とかこういう姿でした、っていう話だけを聞いて判断したんだよ。驚くのは後でもできるよ」
「なんだよ、それ。わけわかんない!絶対さっきの姿から俺のことなんかわからないと思ったのに!」
いーっと歯を見せた少年に、肩をすくめたセイは懐に入れた矢立をつかんだ。
「そんなこと言ったって、仕方ないじゃない。それより、なんだよ。これは。私の袂に入れただろ?」
セイが少年の目の前に矢立を持っていくと、少年の顔色が変わってばっと藤堂に腕をつかまれているというのに、セイの手からそれを奪い取ろうとした。ひょいっとセイが離れると、空を切った手に少年が目を剥いた。
「だめだよ。ちゃんとわけを話してくれないと返せないよ」
「違うよ!返すんじゃないよ。誰かに見られたら困るから隠そうとしたんだ」
「見られたらまずいって、アンタ、これ掏ったの?!」
誰かから掏り取った盗品かとおもって、ぎくっとしたセイに相手は勢いよく首を振った。
「違う、違う!でも、俺、そのせいで追われてるんだよ。助けてよ」
「追われてる?」
藤堂とセイは急に態度の変わった少年に、顔を見合わせた。
– 続く –
るーさん こちらこそ、年単位のお願いをかなえてくださってありがとうございます。 …
わーい!喜んで頂いてめちゃくちゃ嬉しいです!いつもありがとうございます! 褒めら…
おはようございます。 コメントありがとうございます。こちらこそ、今、風にはまって…
風の新作うれしかったので、こちらにもお邪魔します^^ 風光るにハマってしまって1…
そりゃーお返事しますよ!もちろんじゃないですか。 そんなこんなで久々にちょいちょ…