霧に浮かぶ影 8

〜はじめのひとこと〜
時々、せいちゃんって、単純すぎるだろ!お前!と突っ込みたくなります

BGM:Shimauta 樹里からん
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走り出したセイとしのぶは、しばらく右に左にと細かく路地を走り抜けると、息が切れたところで細い路地に入って立ち止まった。
肩で息をしているセイに比べて、普段からあまり歩くことも少ないしのぶは息も絶え絶えで、しばらくは一歩も動けない気がしていた。

「はぁ、大丈夫?」
「ぜんっ、ぜん、大丈夫、じゃないよ」

とりあえずそれだけを言うと、ちょっと待ってと片手をあげたしのぶが膝に両手をついて屈み込んだ。
仕方ないのであたりを気にしながら、しのぶが落ち着くのを待つ。先ほどの襲撃に町人が混じっていたことからも、浪人だけが相手ではない。

どれだけそんな人達が市中に紛れているのかなど、わかるわけがないのだから、当然、周囲への警戒をしないわけにもいかない。

「慌てて逃げ回っちゃったけど、まだ屯所までだいぶあるなぁ」

たとえ昼を取ってから帰るつもりだったとしても、この騒ぎでだいぶ遅くなっている。そろそろ、七つをすぎようという頃で、帰営が遅れれば皆にも心配をかけることになるし、あれもこれもと頭に浮かんだセイは、気持ちばかりが焦っていた。

「あの、さ」

ぜいぜいとまだ喉を鳴らしながらもなんとかしのぶは上半身を起こした。ひらっと裾をすこしだけ開いて見せる。

「俺、もう一回女の恰好に戻そうか?そしたら少しは誤魔化せないかな」
「うーん。どうかな。女子姿も相手には知られてるんだよね?」
「そりゃそうだけどさ。この格好でさっき逃げた奴らにも見られてるし、それよりはましじゃない?」

きょろっと顔をあげたしのぶにセイは考え込んだ。そんな着替えなどする場所もないし、できる時間もない。だが、それが顔に出たのか、しのぶはにこっと笑って見せた。

「だぁいじょうぶ。まかしてよ」

そういうとあたりを見回して天水桶を見つけると、セイの袖を引っ張って、その陰まで引き込んだ。

「ちょっとここ、立ってて」
「立ってて、って、え?!ええええ?!」

セイの肩に次々と帯や紐を引っ掛けて、ぱっと手際よく脱ぐと下帯一つになった。顔を赤らめて後ろを向いたセイの背後で裏を返した着物を身に着ける。一体、あの体のどこにそれだけの支度を身に着けていたのかと思うくらいいつの間にか次々と身に着けていった。

「ちょいと。小柄でも持ってない?」
「えっ、えっ?そんなの、今は持ってないって!」
「うん、もう。しょうがないわねぇ」

女物に着替え始めたあたりからしのぶの話し方は女子のそれが混ざり始めていた。長く襟元で束ねていた髪をしゅるっという絹の滑るような音をさせて高く結い上げる。

「おまたせ」
「えっ?もう?」

驚くセイの前にすっかり女になったしのぶがひょいっと顔を見せた。セイの肩に手を置いて目の前に進み出たしのぶは、にこっと笑った。境内で会ったときは女髪に結い上げていたが、今はひとつに束ねて後ろに垂らしている。

「うわ、ほんとに女子みたい」
「当たり前じゃないのさ。女子だけど女子じゃない、これでも舞わずの太夫には落ちるけど、なかなかの売れっ子なんですからね」

セイがあとで聞いたところでは、雪弥は一切一両らしいが、しのぶは借り切りで三両なのだそうだ。丸一日連れ出してのこととはいえ、張り合うだけはあるらしい。

そうこうしている間にどんどん時間だけが過ぎてしまう。夕方になる前には屯所に辿り着きたかった。

「もう、そんなのはいいからさ。行こう。私も羽織を脱いで誤魔化すから、とにかく屯所に向かわなくちゃ」

そういうと、セイは着ていた羽織を脱いで風呂敷に包んだ。
しかしこの寒空にそれでは寒い恰好でかえって目を引く。仕方ないわね、と言って、しのぶは風呂敷代わりにしていた襟巻をセイに巻きつけた。大判だけに一緒にくるまってしなだれかかれば、それらしく恰好がつく。

「これじゃ、急げないってば」
「しょうがないでしょ」

ぶつぶつと文句を言い合いながら、ともすればしのぶのほうが少しばかり背が高いくらいだったが、そこはうまく膝を曲げることで具合を合わせると、二人は歩き出した。

 

 

 

町方が来て、人手を借りた藤堂は、捕まえた者達を屯所に連れて行ってくれるように頼むと、セイ達の向かったほうへと急いだ。うまくいけばもう屯所についているかもしれないが、しばらくは相手をまくために道を変えているだろう。
手間取った時間の分を計算しながら屯所の方角で、なおかつ人通りの多い方向へと足早に向かった。

「参ったな。本当にこれじゃ土方さんに怒鳴られちゃうよ」

―― それに、総司が帰ってくるまでに神谷を連れ戻しておかないと……

決して藤堂はセイと総司の間に割って入るつもりなどない。もちろん機会があればとは思うが、ただ、セイが幸せそうに笑っている姿、元気に動き回っている姿を見るだけで楽しいのだ。

だから、総司と一緒にじゃれているところも、喧嘩しているところもいつもちらりと目にすると胸の内が温かくなる。悠がいなくなってから、こんな風に、誰かを想って心が温かくなるなんてないと思っていたの藤堂にとって、セイは本当に癒してくれる存在なのだった。

二人連れならばすぐに見つかるはずだと思ったが、大通りでは見つからず、徐々に走り出した藤堂は襲われた場所から屯所の方角の間を必死に走り回ったが、結局セイ達を見つけることはできなかった。
日が暮れ始めた頃、この寒いのに汗と埃にまみれた藤堂が息を切らしながら屯所の門をくぐった。

「あれ?藤堂先生、神谷が一緒じゃありませんでしたっけ?」
「はぁ、はぁ。じゃあ、やっぱりまだ戻ってない?!神谷」
「え?ええ。昼前に藤堂先生と出て行ったっきりですよ?」

門脇の隊士に確認すると、ちっと盛大に舌打ちをした藤堂は、ほんの少し考えてから、すぐ心を決めて大階段を駆け上っていった。風邪で寝込んでいる土方の部屋に駆け込むと、真っ赤な目でそれでも半身を起していた土方が、床の上から振り返った。

「あ゛?どうしたんだ?」
「ひでぇ声……、じゃなくて、土方さんごめん!俺、しくじっちゃったよ!!」

土方の枕元に膝をついて、藤堂は慌ただしく事の顛末を語りだした。熱で朦朧としていたものの、途中で何度か咳き込んで、話を遮った他は黙って話を聞いた土方が、片腕をあげると文机を指した。

「そこの……、地図をよこせ」
「えっ?あ、どれ?」

慌てて文机に近づいた藤堂は、セイや総司と違って、この部屋に来ても滅多なことがない限り文机には近づかないから、どのあたりに何がと全く分からない。次々と書類の山をひっくり返して、土方のこめかみにさんざん青筋を立てさせていたが、ようやく市中の地図を探し出した。

「どのあたり」

多くを話せばまた咳き込んでしまうために、言葉少なな土方が横向きに地図を広げた。

「えっとねぇ……」

焦りを押し殺して、藤堂は地図の上に指を走らせた。

 

– 続く –