月のうさぎ

〜はじめの一言〜
中秋の名月だったみたいですので、ちょい遅れですが。

BGM:
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そっと総司の部屋を覗くと、すっかり涼しくなってきたこともあって、その寝息は穏やかだ。

―― よかった。今夜もちゃんとお休みになってるみたい

昼間も寝ているばかりでは夜になっても眠れない。いつだったかそうこぼしていた総司の本当は、昼間なら皆が起きているから、多少咳き込んでも誤魔化せるが、夜になって、咳き込んだときは静かなだけに、セイだけではなく、土方やほかの者たちまで起きてきてしまうからだ。

だが、この何日かは体調も穏やかな分だけ昼の間も起き上がっていられるほどだった。

葦簀張りの建具も入れ替えられているから、部屋の中は程よい温かさに保たれている。
自室に戻ったセイは、灯りを手燭に移して部屋を出た。

賄いで、すっかり火が落とされた鉄瓶から温くなった湯で茶を入れる。それから、自室に戻る途中で、屯所の中に生えているすすきと萩の小さな枝を手に取った。

部屋に戻ったセイは、棚から小さな団子の包みを手に取る。それとお茶とを総司の部屋とは反対側の障子をあけて畳の上に置いた。

月見の真似事である。

かの日は、総司が熱を出してばたばたしていたので、ほかの者たちには気取られないように気を付けていたが、正直、月見どころではなかったのだ。

「あー……。まんまるだ。本当は今日の方が真ん丸なんじゃないかなぁ」

思わずそうつぶやいたセイは、廊下の先に見える月を見上げた。

月は遠くて、うさぎがいるという姿は見えなかったが、それでも雲のない夜空が煌々と明るく輝いている。その月に向かって、セイは手を合わせた。

―― どうか、このまま沖田先生の具合がよくなりますように

どれだけ、願っても、どれだけ無念だと悔やんでも、総司のそれにははるかに足りないだろう。それでも、月のうさぎのように、この身を投げ出してできることならばいくらでもなげだすというのに。

手を合わせていると、じわりと滲んできた涙をぐいっと拭った。

総司の病が発覚してからずっと、泣きそうなところを近藤に見つかった以外は、ずっと隠し通してきたのだ。
泣けば、駄目なのだと思い知ってしまいそうで、戦いのさなかだというのに、その戦に自ら負けを認めてしまいそうで怖かった。

「……馬鹿野郎」
「……!」

はっと、顔を上げたセイが袂で顔を拭っても、そこに現れる姿はない。代わりに、障子の影に薄らと影がにじみ出た。

「酒もなんもかんもねぇじゃねぇか」
「……本物の月見じゃありませんから」

廊下の、柱の陰に立っているはずの人物からそう指摘されたセイは、急いで涙の跡を拭って、何事もなかったように手燭の灯りを行燈に移す。

「……猿や狐になれるなら俺もなりてぇけどな。俺もお前も、兎として身を投げてもあいつは喜ばねぇ」
「鬼の副長が、子供の昔話に詳しいなんて変ですよ」

猿、狐、兎の三匹が山の中で力尽きて倒れているみすぼらしい老人のために、猿は木の実を集め、狐は川から魚を捕りそれぞれ老人に食料として与えたという。
しかし、兎だけは、どうしても食料を採ってくることができず、自分の非力さを嘆いた兎は、何とか老人を助けたいと考えた挙句、猿と狐に頼んで火を焚いてもらい、自らの身を食料として捧げるべく、火の中へ飛び込んだというのが、月の兎にまつわる話である。

子供に話して聞かせる物語の類ではあるが、それを鬼副長が知っているとは思わなかった。

「お入りになりますか?お茶しかありませんけど」

苦笑いで声をかけると、しばらくしてからそろりと姿を現した。寝間着姿で首の後ろに髪を束ねている土方は、いつになくその背が小さく感じられる。

「……団子があるじゃねぇか」
「召し上がるんですか?いつもは甘いものなんてっておっしゃるのに」

そう言いながらも、土方の方へと団子を差し出した。予備の湯飲みを取り出して、茶を入れる。温いな、と思ったがそれでもいいかと思い直して、差し出す。

珍しく土方は何も言わずにそれに手を伸ばした。

「火を……」
「あ?」
「火を焚いてくれる狐や猿がいるなら、焚いてほしいくらいです」
「お前なぁ……」

何を言うのだと睨みつけてきた土方をちらりと見てからセイは月を見上げた。

「自分が飛び込むためじゃありません。その火が、沖田先生の体の中に巣食う病を全部燃やしてくれればいいのにと思ったんです。護摩の火が燃やしてくれるなら、私、その火をどんなことをしても燃やし続けるのに」
「神谷、お前……」

神頼みなど、今更ではあった。
それでも、薬で効かぬなら手当を、それでも足りぬなら、神仏にでも鬼にでもすがりたい。

月に祈ってそれが手に入るならいくらでも祈るのに。

「おい」
「はい?……んぐっ!」

土方の声にセイが顔を向けて答えたところに、小さな団子が無理やり押し込まれた。

「馬鹿なこと言ってんじゃねぇ。お前、この前総司が熱を出した後から、ろくに飯を食ってねぇだろうが!」
「ふごんあことありまへん」
「いいからちゃんと食え」

口に放り込まれた団子がありながら何とか、そんなことはない、と言いかけたところにもう一つ無理矢理押し込まれて、目を白黒させた。

「誰かを当てにするな。お前があいつの主治医だろうが。お前が猿にでも狐にもなって、周りの俺達に護摩の火を焚きつけろ。そうして」

温い茶を口にした土方は、自分でも団子を一つつまみ上げた。
ぱくりと口に入れてもほんの数口でなくなる。

「お前があいつの道を照らす灯りになれ」
「副長……」
「あの馬鹿のことだ。すぐに迷子になってふらふらと病なんぞに寄り道しやがるから、お前がちゃんと連れ戻して来い」

口の中の団子を食べて、茶で口の中を流していたセイの手が止まった。何の音もしなかったはずなのに、セイが湯飲みを置いて背後の襖をあける。
そこには総司が立っていた。

「沖田先生!」
「……ひどいなぁ。土方さん。私を童子みたいに言うんだから」
「盗み聞きするようなガキを童子扱いして何が悪い」

いつの間にか、そっと起き出していた総司の気配を土方が気づかないはずはない。片眉を上げた土方とセイの間に腰を下ろした総司が、表の月を見上げた。

「いい月ですね。私の部屋の方からは反対側で見えないんですよ。だからお月見に混ぜていただこうと思いまして」
「馬鹿が。勝手にしろ。俺はもう寝る」
「はあい。おやすみなさい、土方さん」

ひらひらと手を振った総司の目の前で立ち上がった土方が部屋へと引き上げていく。

「……沖田先生。少しだけですよ?」

そう言うと、セイは新しい湯飲みにお茶を入れて、戸棚から薄荷糖を取り出した。嬉しそうに手を伸ばした総司と共に、セイは残りの団子に手を伸ばした。

「先生?おすそ分けです」

嬉しそうに笑った総司がセイの手からぱくりと団子を口にした。

「うん。おいしいです」
「よかった。じゃあ、あとは薄荷糖で口直しをして早くお休みください」
「冷たいな。私は神谷さんとお月見したかったのに」

透けるような顔にセイは思った。胸の内に灯した護摩の火を掲げる。

「明日でも、明後日でも、来月でも来年でもいくらでもできますから」
「……そうですね」
「もちろんです」

頷いた総司を見て、セイも笑った。手の中の温かさが沁みる。月のうさぎは見えなくても。

– 終わり –