神の杯 前編

大晦日といっても、特別なことをするなと毎年、土方からは言われているが、それと同じようにセイが賄いに陣取って、指揮を執るのも変わらない。

「もち米、炊けました!」
「つきあがったもちはどちらに?!」

さながら戦場のように、ばたばたと走り回っているのは小者だけではない。この日は掛け取りもすべて始末をつけているから勘定方も手を貸している。これは近藤も公認で、すべてはセイの采配に一任されていた。

「今日の巡察は三番隊のあと、八番隊、締めは一番隊です。待機の皆さんには夕餉の時間に召し上がっていただくように、巡察明けの皆さんも夕餉に間に合うなら夕餉に、そのあとは中庭のほうへ準備してくださいね!」

自分で手を動かしながらも、口は次々と指示を飛ばす。朝から一人、飯もとらずにかかりきりのセイは、すでに出来上がった煮しめや、おせちも一通りそろい始めたのを確認すると、今度は中庭に出ていく。

世話になっている大店や、西本願寺からも心ばかりという名の、正月くらいは大人しくして欲しいという願いのこもった酒樽が届いている。
中庭の隅に固められた酒樽を場所を決めて小者たちに配置してもらう。その様子を幹部棟の廊下に出ていた見ていた土方は、眉間に皺を寄せて溜息をついた。

「誰か、誰かいるか?総司を呼べ」

その声を聞きつけた隊士が廊下の端に顔を見せてから承知、と答えて急ぎ足で隊士棟へと向かっていく。するっと局長室の障子が開いて、近藤が顔を出した。

「どうした?歳」
「いや。なんでもない」

ふっと笑いながら腕を組んで土方の隣に立った近藤は、庭の騒ぎに目を向けた。

「やあ、今夜が楽しみだなぁ」
「……あんたは神谷にも奴らにも甘いんだよ」
「いいじゃないか。俺たちには新年の祝い事はしないことにしているが、それでも無事に一年生き延びたんだ。酒くらい飲んでも」

―― そうじゃねぇよ……

ひっそりと胸のうちで呟いた土方は、肩をすくめてつい、と部屋へと戻っていく。足元からはしんしんと冷えが上がってくるが、局長室も副長室も火鉢が置かれていて寒くはない。

しばらくして羽織姿の総司が、廊下を渡ってくるのがきしむ床板の音でわかる。

きしきし、と続く足音がぴたりと止まったところで、衣擦れの音がした。

「土方さん、総司です」
「はいれ」

―― はいはい。なんでしょうねぇ

胸のうちの呟きを悟られないように障子を開けた総司は、畳に膝をついて中へと入った。

「どうしました?副長」

不機嫌そうな顔をみて、さてなにがあったかなと頭を巡らせていると、手にしていた湯呑を置いた土方が総司のほうへと向き直った。

「……」
「土方さん?」
「あれ、なんとかならんのか」
「はて。あれですか?」

首をひねった総司に、声を落とした土方は、あれと言ったらアレだ!、と渋面をさらに深くする。

「毎年毎年……」
「ああ!アレですか」

ぽん、と手を打った総司に扇子を手にした土方はぱしぱしと手を叩いた。

「まあ、あの人らしくていいじゃないないですか」
「そういう問題じゃねぇ!」

ばしん、と総司の膝を扇子で打つと、土方の顔が真顔になり、説教が始まる。やれやれと思っていた総司は、すぐにおや、と気を引き締めることになる。

しばらくして、副長室を出た総司は、賄いと中庭を往復して忙しくしているセイの姿を探しにでた。

「沖田先生、あまり時間が……」
「ええ。わかってるんですが……」

相田には一応呼び止められはしたが、急ぎ足で追いかけるのになかなかその小さな姿は見つけられなくて、溜息をついた総司は、賄いの小者を一人捕まえた。

「すみません、神谷さんなんですが……」
「はい!ああ、先ほどまではこちらにいたんですが」
「ええ。なかなか捕まえられないので、できれば、少しつまめるものと茶を用意して副長室に運ぶように神谷さんに伝えていただけませんか」

それなら自分がすぐに、といった小者にどうしても神谷さんに、というと怪訝そうな顔になる。そこをどうしても、と総司が重ねると、構っている暇がないからか、わかりましたと言って去っていく。

困った顔をした総司もそろそろ巡察の支度をしなければと隊部屋へと戻る。

「神谷はつかまりましたか?」
「いえ、どうも具合が悪いですね」

じゃあ俺たちが、と探しに行こうとした一番隊の隊士たちに苦笑いを浮かべた総司は違うんですよ、といった。

「でも副長に叱られるのでは……」
「それはそうなんですけどね。ただ、その意味が」
「?」

皆が顔を見合わせたことで仕方なく、総司は後で説明しますよ、と言って支度を急がせた。