誇りの色 27

~はじめの一言~

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「堪忍っ!もう……っ」
「まだだ。まだ足りんっ」
「ああんっ!」

隣から聞こえてくる嬌声に杯を傾けながら春蔵は、肴にしていた魚を炙ったものを口に咥えた。

「よく、飽きんものだ」

ぶちっと咥えた魚を噛み切ると、固い頭ごと塩気を楽しむ。
まるで他人事のように言ってはいるが、春蔵も又四郎の事を言えた義理ではない。部屋の端の方に敷かれた布団にはぐったりと意識もなく倒れ込んでいるお妙がいる。

気を失うまで責め立てた揚句、嬲りつくした春蔵は妓を放り出すと店の者に言いつけて酒を飲み始めたところだった。だから、しばらく前まではこの部屋でも隣と同じくらい嬌声と男と女の絡み合う濃厚な匂いが立ち込めていたのだ。

窓を開け放って表を眺めながら、酒を飲んでいるとこのまま何もかも忘れてしまいそうになる。

あの日、役人らしき武士を斬り倒したくらいでは到底、収まりそうになかった憂さは、手に入れた刀で驚くほど落ち着いた。研がれた刃紋がひどくきれいで、刀を振るう瞬間を思い描くだけで興奮した。

思い描くそれを何度も頭の中で繰り返しながら店に戻った春蔵はお妙を抱いたのだった。

又四郎は何も言わず、顔も合わせずに襖一枚を隔てた隣の部屋の様子を互いに感じていた。幼い頃から近しい者であり互いの境遇もよく知っている。
互いの胸の内に巣食っている大きな闇も知ったうえで、互いを許し合う。

―― 何をどうあがこうと、俺達が行きつく先は泥の中でしかない

攘夷を唱えることもとうにやめた。
士官の道などあるはずもなく、日の当たる場所へ出ることなどもう二度とないだろう。

そんな春蔵達が身に纏うものは、安っぽい白粉の匂いか、埃と血にまみれた鉄錆びた匂いが関の山だろう。

そんな春蔵達からすれば、新撰組などは不快でしかない。
たまたま出会った、総司と斉藤はまだいい方だが、局長と副長などはともに武士ではなかったという。

「どうせ目をつけられたならいっそのこと、目に物見せる……か」

昼見世が始まったばかりの往来は、期待に満ちた顔で歩く者や暗い顔をして足早に歩み去っていく者、弾けるように笑いながら刹那に生きる者達をいつも通り受け入れてそ知らぬ顔をしているようだ。

だが、何かが春蔵の感覚に触れる。

「春蔵」

いつの間にか静かになっていた隣室から声がする。ぐいっと酒を煽った春蔵は、振り返りもせずに、酒を注いだ。

「すんだのか?又四郎」
「……飽きたな」
「ん?」

しゅるっと音をさせて開いた襖の向こうから、緋色の襦袢を羽織った又四郎が現れる。春蔵の目の前に腰を下ろすと、徳利をそのまま持ち上げて一息に飲み干した。

「ふう……。妓を抱くのにも飽きた。お前はいいのか?」
「ああ。お前の怪我もいいようだな」
「初めから大したことはないと言っただろう?」

空になった徳利を膳に置いた又四郎は肌蹴た胸元をさらに押し開いで傷跡を見せた。今は赤いかさぶたのようになっている。

飲むものもなくなった又四郎は、立ち上がると大股で廊下の方へと歩いていくと店の物へ大声で追加の酒を頼んだ。

「又四郎」
「なんだ。お前の酒も頼んだぞ?」
「ここはどうやらばれたらしいぞ」

春蔵の勘に障る気配は、素人の物ではない。明らかに往来を眺めていた春蔵の方へと向けられた、どこからともない視線は殺意もなく、淡々と観察するものだ。

驚いた風情でもなく、又四郎は大きく開いた窓から表に向かって身を乗り出した。

「面白いな!春蔵」

往来に背を向けた又四郎は、魚を咥えている春蔵を見た。

「そろそろ、俺達もこの暮らしに飽きたところだ。どうせお尋ね者になるなら派手にいこうや」
「……お前は派手好きで困る」

ふっと口元に笑みを浮かべた春蔵は、杯にほんの一口残っていた酒を飲み干した。
伊達に長い付き合いではない。

時間が時間だけに、店の小女ではなく下男らしい男が酒を運んできた。その男に小判をはずんだ又四郎は、徳利を受け取ると、ついでに酒が無くなる頃に白粥を頼んだ。

「何も入れなくていい。ただ、一つまみの塩をいれてくれればいい」
「他には何もいらないので?」
「ああ。それを食ったら俺達は今日は引き上げる。女将にもそう言っといてくれ。妓達は仕舞いで払ってくから休ませてやればいい」

小判を小遣いにもらった下男は満面の笑みで言いつけを聞くと、丁寧に下がっていった。今度は酒を持っているために大股でとはいかなかったが、春蔵のもとに酒を運んできた又四郎は、春蔵の手から盃を取り上げて、代わりに徳利を握らせた。

「ちびちび飲んでも仕方ないだろう。さあ、今のうちに呑もうや」
「雑なことをするな」
「細かいことを言うなよ。親父さんの供養にもなるだろ」

店に戻った春蔵が何かを言ったわけでもないが、又四郎はどうということもなく言ってのけた。戻った春蔵の刀が変わっていたことに気づけばおおよその見当はつく。
その辺にいる町人や武士を八つ当たりに斬った程度で、手にしていた刀を新しくしようとは思わないはずだ。

「供養などいるわけがない。どうせ行く先は俺達と一緒の地獄だ」

―― 供養などされた方が困るだろうさ

ひりひりと傍にいるだけで、泡立つような苛立ちはもう春蔵からは感じられない。
いつになく楽しげな雰囲気は、これから先にあるはずの斬り合いを楽しみにしているようだった。

「お前がそんなに楽しそうにしているのは久しぶりに見る気がするぜ」
「そうか?……そうかもしれんな。あれだけの相手を俺が斬れるかと思うとぞくぞくするほど楽しみだ」

雑だ、と又四郎を諌めた割に、手にした徳利をそのまま口に運ぶ。喉を流れる酒も二人を酔わせることはない。

「どうやってくるか、だな」
「俺達が隠れ家へ戻れば嫌でも後をついてくるだろう。後は、夜半にでも踏み込んでくる前に俺達から出て行けばいい」
「そうか。面倒がなくていいな」
「ああ。どうであれ、家を汚すまでもない」

―― 斬られて、地面に這うのは奴らの方だ

何の気負いもなく、春蔵が酒を飲むのを見ながら、又四郎は春蔵が肴にしていた小魚を一つ口に咥えた。塩気を感じながら、ぐびりと徳利から酒を流し込む。

「次は、大阪にでもいくか」

又四郎は、夜が明けた先を口にした。まだ日もある上に、夜は随分と長くなりそうだった。

 

– 続く –