種子のごとき 6

〜はじめの一言〜
何が起こっているのかきっとわからないうちに、何かが変わっていくんです

BGM:
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「沖田先生」

大階段へ向けて歩いていく総司の姿を追って浅羽が現れた。呼びかけの声に総司が振り返る。

「浅羽さん。どうかしましたか?」
「いえ。特に何かあるわけではないのですが、先生は外出ですか?」
「ええ。ちょっと出てきます」

隊務の合間で、ちょっと切らした物を買い求めに出ようとした程度のことだが、浅羽がその後をついて歩き始めた。

「それではお供させていただいてもいいでしょうか?」
「供をしていただくには及びませんが」
「道場では師として仰ぐ方の傍にいるだけでよいと言われます。私も沖田先生のお傍にいるだけでも十分なのでぜひお願いいたします」

まっすぐに見つめてくる目は、子犬のように慕ってくるセイとはやはり違う。違うけれども、総司を慕う気持ちは変わらないのだろう。
その眼には一切の邪気がなく、ただまっすぐに総司を見つめてくる。

―― 私もこんな風に近藤先生をみつめていたのかもしれませんね

そう思えば無下にすることもできず、結局総司は浅羽を伴って外出することにした。特に急ぐわけでもなくゆったりと歩く中で総司は浅羽に問いかけた。

「浅羽さんはどちらのご出身でしたっけ」
「私は江戸です。新宿の端のほうなので、江戸というのは憚られるかもしれませんが」

恐縮気味に話し出した浅羽に総司が頷く。問いかけておきながらも、隊士達の身上は入隊時の資料で幹部ならば皆、頭に入っている。まして、浅羽は富山と共に今は目をつけられているところだ。
読み返した浅羽の身上書を思い浮かべる。

「私は、備前岡山藩の江戸詰の父と共に江戸におりました頃は何も考えずに仕えておりましたが、このままではいかぬと脱藩いたしました。それよりはただ一人、新宿のあばら家に居を構えて剣術に明け暮れる日々でございました」

岡山藩は慶喜の弟、茂政が藩主を務めており尊王翼覇という姿勢を取り続けていた。しかし、若い浅羽にはそれが公武合体というよりは、単なる日和見の折衷案にしか思えずに、たまりかねて脱藩したらしい。
浅羽には上に、姉がおり藩の目付役に嫁いでいたために、父にも姉にも浅羽の脱藩ではこれといった咎めもなく済んでいる。

それから他愛ない話へと移り、目当ての一つだった刀匠堂へ着くと店に入った。総司は、応対に出た主人と話し始める。

「打ち粉を一式新しいものをいただけますか?」
「へぇ。すぐご用意いたします。おや、沖田先生が神谷さん以外をお供にいらっしゃるのはお珍しいですなぁ」

主人の問いかけに苦笑いを浮かべた総司は、浅羽を主人へと引き合わせた。

「九番隊から一番隊へ移動になった浅羽さんです。今日はたまたま私の外出につきあってくださるというので一緒にお邪魔させてもらったんですよ」
「そうでございましたか。どうぞよろしゅうに」

丁寧に挨拶をした主人に浅羽もにこやかに応じる。
九番隊の隊士達は三木の贔屓である別の武具商へと出入りしていた。そのため、店のことは知っていても足を向けたことがなかったのだ。

「こちらこそよろしく頼みます。これよりは私の刀もこちらにお願いしたいと思います」
「はは。お気遣いいただきありがとうございます」

気の利いた、というべきだろうか。それからも話のうまい浅羽は主人と総司の話の邪魔になることなく、共にその場に加わっていた。
これがセイならば、話の邪魔にならないようにと少し離れて番頭と話をしていたりするものだが、浅羽は出すぎることなくその場に馴染んでいる。

総司も主人も浅羽の話題の豊富さに興が乗り、思いがけず長居になってしまった。

 

屯所に残っていたセイは、繕い物に精をだしていた。というより、ここ数日、セイがいつも通り雑務をしようと顔を出した先々ですでに浅羽が手をかけて終わらせてあると言われたのだ。
それもすべてというわけではなく、目につくものや総司に関わるものが中心となっていて、セイはうまく表現できないもやもやとしたものを抱えていた。

決して浅羽の態度が無礼なわけでもなく、隊の皆にも馴染んでいる。だが、何かが心に引っ掛かる。そのわだかまりからぷちっと指先に針を刺してしまったセイは、つっ、と声を上げて血の滲んだ指先を口に含んだ。

「ん?神谷、どうした?」
「相田さん。ちょっと刺しちゃって」
「ばっかだなぁ。ゆっくりやれよ。浅羽が来てお前の負担も少しは減ったんだろうしさ」

通りすがりに声をかけて言った相田に曖昧な笑みを浮かべる。もとより浅羽と親交のある隊士達は歓迎という空気だが、どうしてもセイには素直にそう思うことができないでいる。

「私が思い上がっているのかなぁ」

構われることに慣れて。
大事にされることに慣れて。

さすがは神谷だと言われることが当たり前になりすぎて、それを取り上げられることが嫌なのか。

どんどんと悪い方へと向かう思考を断ち切るように立ち上がると、一度その場を離れて茶を入れに賄いに向かった。そんな時こそ、賄いの手前で普段は気にしないはずの小者達の話し声を耳にしてしまう。

「一番隊に移動した浅羽さんだけどよ。ありゃ、本気で沖田先生狙いだぜ?」
「狙いってお前ぇ。衆道でもあるまいし」

誰かの軽口に呆れたような声が重なる。総司の名前を耳にしたセイの足が止まった。
少し早めだが夕餉の仕込みを始める頃だけに皆、下ごしらえの手を動かしながら他愛もない話に盛り上がっている。

「衆道の気はなさそうに見えるけどわからねぇぜぇ?三木先生の下にいた頃から浅羽さんは沖田先生一筋で、よく三木先生が苛立ってたじゃねぇか」
「おう、そうだそうだ。あの人はあの人自身が、そのつもりじゃなくてもいちいち嫌味に聞こえるってよく落ち込んでたよなぁ」

どっと笑い声が上がるのは三木の落ち込んだ姿とその後には必ず酒に酔っぱらってあちこちで迷惑をかけていたことを思い出したのだろう。膝を打って笑う声が聞こえる。

「まあ、酒癖は悪かったけど俺は三木先生の方がよかったなぁ」
「わかるわかる。なんていうか、な。沖田先生も面倒な人に好かれなすったなぁ」

話し声を聞いていたセイは、そういえばと思いだす。三木についてはあの酒に酔った際に襲われそうになった一件以来、あまり近づくことがなかったこともセイが浅羽についてあまり親しくない原因の一つだった。

「でも、沖田先生には神谷さんがいるだろ?」
「そりゃ、まあ……。にしても心変わりは人の常っていうじゃねぇか」

―― 心変わりだなんてそんなことあるはずがない

セイは言い様のない苛立ちを感じて、わざと足音を高くすると賄いに足を踏み入れた。

「お疲れ様!お茶、淹れさせてもらうよ」
「神谷さん!お疲れ様です」

セイの登場に、小者達は再びせっせと手を動かし始める。セイも何も聞かなかったふりをして茶を入れた。いつものように土方のところへと運ぶためだ。

―― 心変わりなんてあるはずもない。だって、沖田先生が私を特別に思ってくださってるなんてあるはずもないんだから

日頃は目にしないようにしていても、どうしてもこういう時に否応なく思い知らされる。どれだけ自分が小さな存在かということを。
浅羽が移動してきてたった数日だというのにすでにセイはくたくたに疲れ切っていた。

 

 

– 続く –