種子のごとき 8

〜はじめの一言〜
誰も悪くないんだよね。うん。

BGM:
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「本当に神谷さんは可愛がられてますね」

隊部屋では、まだ賑やかにも話が続いていた。ごく自然に浅羽が口に出す。

「そりゃ、なんつってもあの姿だろ?それにいつも沖田先生のためにこれでもかっていうくらい頑張ってる姿を見てると誰だって応援したくなるだろ」
「そうですねぇ。頑張っているならそうですよねぇ。ただ、私もお手伝いするようになって思いますけど神谷さんの仕事のほとんどが隊務というより雑務、単に各自がすればいいことであったり、小者の皆さんの仕事を取ってしまっているようなものも多いんですねぇ」

頷きながらふと思ったとばかりに感想を口にした浅羽の話を聞いて、隊士達もそういえばと頷く者がいる。
確かにセイのやっている雑務は本来の仕事からは少し外れてくる。彼らの本分は隊務であり、まずはそれを第一にこなすことが肝心なのだ。

「うーん、そりゃそうだけど、実際、神谷がやってくれるから助かるってことも多いしなぁ」

山口が天井を仰いで腕を組むとあれこれと考えながらもそんなことを口にする。付き合いが長いだけに、元をただせば浅羽の言うとおりだろうが、そうなったにはそれぞれ経緯があることもわかっているからだ。
てっきり機嫌が悪くなるかと思ったが、すぐに穏やかに浅羽は話しの矛先を引き取った。

「それはそうですねぇ。そこに気が付いて、自分の仕事にしてしまえるところが神谷さんですよねぇ」
「あはは。そりゃ確かにそうだ」

笑いながら頷いた隊士達も浅羽も皆、他意なく話している。

これをもしセイが聞いたとしたら。

途中から総司は黙って箸を動かしていた。順番に膳の上から口に運びながら軽く目を伏せた総司は皆の話と、反応をすくい上げるように心に留めていた。

 

給仕を終えて、自分の朝餉を手早く済ませた浅羽は隊部屋の後片付けを済ませた。手早く済ませればどうということもない。
すべきことはきちんと済ませる。それが浅羽の信条であった。

―― 仕事は仕事。すべきことはすべきことでしかない

浅羽にはこれと言ってセイに対する敵対心も何もなかった。むしろ、総司との二人の姿は羨ましく思えたものだ。
師弟関係である上に誰もが見ていて微笑ましくなるような信頼関係をみるにつけ、総司に憧れる浅羽にはその立場がうらやましかった。

隊部屋の掃除も済ませれば次は勘定方の手伝いだが、浅羽は算盤をあまり使わない。できる事だけでいいと言われていたために、深くは考えることなく次の仕事に取り掛かる。

「沖田先生。洗物を済ませますからお着物などお預かりしてもよろしいでしょうか」
「浅羽さん。そんなことはしなくて結構ですよ」
「いいえ。神谷さんから伺った仕事に洗物もありましたから」

困った顔をした総司から浅羽は洗物を半ば、奪うように引き受けて隊部屋から出て行った。
セイがなぜほかの組長や土方の分まで手を出すのかわからないが、一番隊隊士としてすべきはまず総司の分だけでいいと思っている。そこは男だけに、総司の分だけを洗濯しておかしく思われないだろうか、などと考えもしないのだ。

浅羽にとって次々と起こる疑問と違和感に苛立ちを覚えていた。セイから聞き取った雑務についてセイが大変だという意味合いが分からず、総司の元へ来られるということで引き受けたものの、これが自分ならもっと効率よく、皆の負担も平等にできるはずと思う。

そういう思いがついつい非難めいた一言になって口から出ていることに自分自身で気づいていなかった。

総司の稽古着で幾枚も替えがあるうちの一枚を渡し、とりあえずそれで浅羽を納得させた総司は、浅羽の姿が井戸端へ消えていくのを見ながら隊部屋には見えないセイの事を考えていた。

セイの性格を考えれば今頃きっと、余計なことを考えて身動きが取れなくなっているかもしれない。

―― こんな時斉藤さんがいれば……

今更言っても仕方のないことだとわかっていても、総司でさえそう思ってしまう。ため息をついた総司はセイの姿を探し始めた。

 

 

副長室の中で、書き物をしていた土方はうっかりと書き損じた紙をくしゃっと握りつぶして放り出した。
顔をあげるとおおよその時刻を確かめる。いつもならセイが頃合いを見はからって茶を運んできてくれるところだがここ数日はない。

―― 予想通りになってるみたいだな

何事も淡々と器用にこなす浅羽の事を思い浮かべて土方は筆を置いた。ふと人の気配を感じた土方は障子の向こうにいた小さい姿に気づいて立ち上がると障子をあけた。廊下で背を丸めた小さい姿が盆の上に湯呑と菓子をのせて座っている。

「茶が飲みたい」

障子に手をかけたままであえて口にした土方はすぐに部屋の中へと戻っていく。その声を聞いて顔を上げたセイは、どこかほっとしたような様子で副長室へと入った。

「……お待たせしました」
「うむ。いつもより遅いな」

ずいっと土方の目の前に差し出すと、手が伸びてきて一息に飲み干す。しばらく部屋の前で躊躇していた時間の分だけ、温くなっていた茶は渇いた喉を流れ落ちた。たん、と畳の上に湯飲みを置く。

「おかわり」
「はい」
「今度はお前の分も持ってこいよ」

土方があっという間に飲んでしまったことで、差し入れる頃合いを逃していたことと、そのために茶が温くなっていたことに気付いたセイは微かにため息 をつくと手を伸ばしてそれを引き受けた。菓子の皿を土方の目の前に置いて、立ち上がると軽く頭を下げて副長室を出ていく。しばらくして、今度は素直に二つ の湯呑を乗せて戻ってきた。

セイが副長室の近くまで来ると先ほどまで締め切っていた障子をあけ放って、土方は中庭を眺めていた。廊下に膝をついて、土方の前に改めて菓子と湯飲みを置きなおす。

「お待たせしました」

自分は廊下に座ったままで、湯飲みだけ手にすると盆を脇に置いた。黙っていた土方が静かに口を開く。

「いい天気だな」
「……そうですね」

ただそれだけを言うと、土方もセイも何も言わなかった。穏やかな日差しと、温かさにつられて活動を始めた虫と、時折そよぐ風と、揺れる名前も知らない花。

発句帳を取り出した土方が、少しだけ部屋の内側へと下がってから何かをさらさらと書いている。

いつも通りの時間がこんなにもほっとできるものだとセイは知らなかった。本当ならここに総司がいて、原田と永倉がふざけながら藤堂をからかって、そこに斉藤がちらりと顔を見せる。
部屋の奥では賑やかな様子を聞いて近藤が顔を覗かせてセイを手招きすると菓子をわけてくれる。

「……淋しいですね」

うっかりと口にしたセイは、声に出してからはっと口を押えた。武士が淋しいとは何事だと言われてもおかしくない。
なのに、土方は何も言わなかった。

言っても仕方がないことを分かっている。

―― それでも俺達は行かなくちゃならねぇ

迷っている暇さえないのだ。幸せな時間は終わり、戦うために心を削る日々が。

「神谷。……ぶれるなよ。俺達が何を目指して、なんのためにこうしているのか。それを忘れるな」

口調だけは柔らかに、間を置いてから土方が投げかけた。迷うもの、惑うものは置いていくしかなくなる。

―― だからお前はそうなるな

「……わかってます」

頭では分かっている。そういわなかっただけでセイの本音は土方にもわかっていたが、その返事にまだセイがぎりぎりの淵で留まっていることを感じ取っただけでよかった。

 

– 続く –