種子のごとき 9

〜はじめの一言〜
本当の本当は誰も知らないのかもしれない

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幹部棟でほっと気を抜いた時間を過ごしていたセイを探して総司が屯所の中を歩き回っていた。いつもならセイの行き先は決まっているために、順を追っていけば必ず捕まえられたのだが、どうもうまくいかない。
今は違うのだということを総司も改めて感じていた。

「沖田先生。神谷さんならここしばらく顔を見せてませんよ。浅羽さんが手伝ってくださってましたし」

そんな声が聞こえる場所があるかと思うと、セイも遠慮がちになり、浅羽とも会話をしていないために双方共に手をかけなくなって小者が困っている場所もあった。

「このところ神谷さんが手伝いに来てくださいませんが、お忙しいのでしょうか?今までならお忙しくてもそれだけでも言伝てくださってたんですが……」

病間を管理する小者が総司の姿を見て飛びついてきた。てっきりセイの代わりに顔を出したのかと思ったらしい。

「神谷さん、来てないんですか?」
「ええ。このところぱったりと。神谷さんが手伝ってくださると仕分けも早いですし、薬の確認もしてくださってとても助かったんですけど、何かあったんでしょうか?」

ふむ、と腕を組んだ総司は片手であまり生えてこない顎髭のあたりに触れた。

「いえ。神谷さんに仕事が集まっているものを少し分けようとなったんですよ。小荷駄の方は富山さんが手伝ってくださってるでしょう?それと同じく、中の仕事は浅羽さんに少しずつ分けているところなんですよ」

にこっと落ち着き払って説明した総司に小者が落胆した顔で頷いた。たとえ、属人的と言われても、セイだからできる気遣いや手配りがなくてはならない場所もある。

「そうなんですか……。我々のところは神谷さんではなく、浅羽さんが手伝ってくださるんでしょうか?それとも……、いや本当は隊士の方々にお手を貸していただく方が間違っているとは思うのですがこればかりは……」

確かに小者が言うこともわかる。的確な医学の知識がなければ、手伝いと言っても小者達とさして変わらない。
これだけの大所帯になれば、腹具合の悪い者、頭痛を抱える者、飲み過ぎ、食べ過ぎ、花柳病など具合の悪い者が出てくる。町医者にかかるより隊内であれば、 調整された薬をただで得られることもあり、皆気軽に足を向けるために、薬を管理する者たちはほとんど専属で務めているのだ。

「神谷さんの方が何かと助かるということですよね。それはわかります」
「ええ。医術の心得があるのは神谷さんだけなので、どうしても頼りにしてしまって。沖田先生にもご迷惑をおかけして申し訳ありません」

頭を下げながらも何とかしてほしいと言いたげな様子に総司は頷いて病間を後にした。総司が話をしている間も渋り腹の薬をもらいに来た者がいて、慌てて薬を用意するという状態を見ている。

部屋を出ると、総司の顔が一気に曇った。セイの気分だけのことならまだしも、あまりよくない方向へと向かっているなら組長としてもそのままにはしておけない。
勘定方へ顔を出すとこちらもしばらく顔を出してはいないという。

「神谷さんもお忙しいですからね。仕方ありませんよ」

苦笑いを浮かべて聞いていた隊士が、手を止めずにすみません、と言いながら算盤を弾いている。勘定方のまとめである津村が隊士達を振り返りながら苦笑いを浮かべて詫びた。

「私達も神谷さんを頼りすぎなのがいけないんですけど、どうしても算盤も使えるし気も利くのでついつい。申し訳ありません。沖田先生」
「いえいえ。それは神谷さんに言ってあげてください。またこちらの手伝いもするように言っておきますから」
「助かります」
「じゃあ」

そこ、ここで聞かれるのは、やはり、同じ雑務の手伝いであってもセイにはセイの、浅羽には浅羽のやり方があり、はなから違うということだ。そして、一日の長というわけではないだろうがセイにしかできない気の配り方がある。

ふむ、と賄いに向かう手前で立ち止まった総司は、ため息をついた。

―― ちゃんとそこのところを分かっていてくれればいいんですけどねぇ

どちらにも言えることなのだが、目に見える事だけではない何かが必ずある。そして、清濁飲み下してこそ武士であり、新撰組隊士なのだ。

 

総司が向かうより一足先に、賄の手伝いに向かった浅羽はかつての隊部屋の前で原田に声をかけられた。

「よう。浅羽。どうだ、念願の一番隊は」

隊部屋から後ろ手に手を付いた上半身だけを廊下にはみ出した原田の傍に膝をついた浅羽は相も変わらず、淡々とした受け答えをする。

「おかげさまで皆様にはよくしていただいております」
「んな大げさなこと言わなくても、今までだって顔ぶれが変わったわけじゃないだろ?」
「そういうことではありません。一番隊には一番隊のやり方があると思いますし、慣れるまでは皆様にご迷惑をかけないように気を付けております」

堅苦しいと言えば堅苦しいのだが、当の浅羽にはそんなつもりはない。やれやれと、思った原田が軽くいなす。

「まあ、あんまり肩に力入れずによ。習うより慣れろって言うだろ?傍からみてるのと違うこともあるしな」
「承知しております」

それでは、と言って立ち上がった浅羽は賄いの手伝いへと向かっていった。これまたふむ、と天を仰いだ原田は珍しく悩ましさを吐き出した。

「あれで全然、場が読めないってわけじゃねぇからまたややこしいんだよなぁ」
「なんすか?原田先生」
「いや。まあ、面倒くせぇなって話さ」
「なんなんですか。教えてくださいよ」

傍で聞いていた伍長が食い下がったが、片手を軽く振って相手にしなかった。煩わしい話は一人でも話を広げれば、さらに面倒を招きかねない。

 

原田の前から離れた浅羽は、賄いに足を向けた。普段は、食事の際に膳を取りに来て下げる。たったそれだけしか足を向けたことがなかった賄いだが、給仕をするようになって訪れる頻度が増えていた。

「ご苦労です」
「浅羽さん、お疲れ様です」
「何か手伝うことはあるかな」
「とんでもない。先日も申し上げましたけど、お手を煩わせるようなことはありません。お気を遣っていただいてありがとうございます」

賄いは伊助という者が取りまとめている。濡れた手を拭った伊助が深々と頭を下げると、浅羽は何とも言えない顔でほかの小者達を見た。
セイならばするりと入っていき手伝いをするだろうに、なぜ浅羽には手伝いはいらないというのだろうと、どこかで責めるような目を向けてしまう。

―― この俺が仕事をしようとしているのになぜ何もないというのだ

浅羽にとっては仕事と言ってもセイから引き継いだ雑務はあくまで雑務である。本来の仕事とは違うという意識があってなお、課せられた仕事をすることで総司の役に立つと思っている。

―― 俺にあの立場に立つことはできないというのか。神谷を上回ることはできないというのか

もやもやと浅羽の中で渦巻いていたセイへの苛立ちが徐々に形を取り始める。羨ましさは妬みに、苛立ちは怒りに、人の気持ちほど簡単に裏表が変わってしまうことはない。理性的に振る舞うことができたとしても、誰しもが完璧な人間ではないのだ。

和を以て貴しとなす。

それができていれば。
人はどこで道をそれていくのだろう。ほんの小さなきっかけ一つでも。

 

– 続く –