塗香 前編

〜はじめの一言〜
シリーズものじゃありません。単発ですよぅ。
BGM:
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「あ、お帰りなさいませ。副長」

セイが、副長室の掃除をしていると、昨夜は祇園に行ったはずの土方が戻ってきた。すれ違いざまにふわっと、安い香の匂いがする。その匂いを嗅いでなんとなく、セイは不愉快になる。

―― なんだろう……。このむかむかする感覚

「なんだ?」

眉間に皺が寄ったセイの顔を見て、土方が怪訝そうな顔をした。何と言って説明していいのかわからない感情に、自分自身でも不審に思いながらも、いえ、と言うと、土方の着替えを差し出した。

「片付けてまいります」

自分でも納得いかない思いを抱えてセイは副長室を後にした。

―― なんだろう……。副長がどうしようがどうだっていいのに、あの安い香の香りを嗅いだら、むかむかしてきた

セイは、自分を不思議に思いながら、手桶と雑巾を始末した。井戸端で自分も手や顔を洗って、さっぱりとしていると稽古が終った一番隊ががやがやとやってきた。

「お。神谷!」

あちこちから声がかかる。汗を拭いながら総司が近づいてきた。

「神谷さん」
「お疲れ様です。沖田先生」

総司の顔をみると、セイはついつい顔が綻んでしまう。自分が使っていた場所に新しい水をくんで、場所をあけた。

「こちらへどうぞ。沖田先生」
「ありがとう、神谷さん」

すれ違いざまに、汗のにおいと総司の匂いがふっと、セイの鼻先をかすめた。

「あっ」

思わず小さく声をあげてしまった。怪訝そうに顔を上げた総司に、あわてて口元を押さえて首を振った。

「な、何でもないです」

謎がわかった気がして、思わず口元がにやりとしそうになる。セイは思いついたことをすぐに行動すべく、急いでその場から立ち去った。

自分自身の謎が解けたセイは、すぐさま土方の許可を取り、ちょうど空いていた時間だったので外出することにした。

 

半刻ほどして、目的のものを手に入れると、いそいそと戻ってきたセイは、副長室に向かった。

「神谷です。ただいま戻りました」
「おう」

部屋の中から返事がして、すぐにセイは中に入った。土方は文机に向い、なにやら書類を整えている。とりあえずは、羽織を脱ぐとすぐに、セイはその手伝いを始めた。
その日の書類をだいぶ片付け終わった頃、セイは土方のために茶を入れに立った。

茶菓子とともに茶を運んできたセイは、文机の脇から邪魔にならないように差し出して土方に声をかけた。

「あの、副長。一息いれられませんか?」
「ん?なんだ」

そういいながらも、土方は筆を置くと、軽く伸びをして茶を手に取った。やはり、着替えても薄らと残り香がする。セイが口元を緩めたのをみて、土方が眉間にしわを寄せた。

「なんだ?何がおかしい」
「いえ、その、副長からふわっと昨夜の名残が漂っているので」
「そんなことか。お前だって女のところから帰ってきたときはそうだろう」
「私はちがいますよ!お里さんはちゃんと着物に薄らと焚き締めてくれるくらい控え目ですから!」

微妙に焦点のずれた会話に土方が呆れているとセイが懐から何かを取り出した。黒い、セイの小さな手のひらに載るくらいの丸い入れ物らしきものである。興味をそそられたのか、土方が覗き込んだ。

「なんだ?それは」
「副長、ちょっと掌をよろしいですか?」

土方の左手を開くとその掌の上に、黒い入れ物についた栓を外して軽く振った。いくばくかの粉末が掌の上にのって、ふわりと香が漂った。

「香か?」
「そうです。塗香といいます。本当は写経の前、お経をあげる時などに使われるものなのですが、掌や首筋など体温で香りたちますので、懐などに少しつけてみてください」

そういうと、土方は素直に、両の掌を合わせて、首筋や胸元に擦りつけた。その香は、遊里で嗅ぐ甘い香よりも、男らしい中にも艶めかしさが潜むような香でどこか潔い、そんな香り立ちだった。

土方が気に入ったらしい様子をみて、セイは手にしていた黒檀の塗香入れを渡した。

「そんなに立派なものは買えなかったんですが、黒檀の塗香入れです。気に入ってくださったのならここからこうして、買い足した塗香を入れてお使いください」

セイは、入れ物の蓋をまわして入れ方を見せ、普段使うときは横にある栓を抜くのだと土方に見せた。

「なんでまた、こんなものをわざわざ買ってきたんだ?」

何か裏でもあるのかと不審げな土方に、セイはくすっと笑った。

「実は、副長についた残り香があんまり安い香の匂いに思えて、仮にも新撰組の副長ともあろう人がそんな安い香の香をさせてるなんて我慢できなかったんですよね」

今朝のいかにも安い香を嗅いだ瞬間、ものすごく不快になったわけを説明した。もちろん、土方の相方を侮辱するわけではないが、こんな安い香ならば、逆に土方の香りを移してきてもらった方がいくらか男前だろう。

ふふん、と満足げなセイをみて、呆れもしたが、その香の香りに満足したのか、土方はにやっと笑ってもらっておいてやる、と懐に入れた。

「あ、なんですか、そんな言い方ってないでしょう?!もう、いらないなら返してください!」
「うるせぇ、もらったもんは俺のもんだ」

ふざけた取り合いになって、セイが土方の懐に手を伸ばした。

「土方さん……!!なっ!!神谷さん、貴女なにしてるんですか?!」

見事に頃合いを図ってもそうはいかないくらいの処に、総司が副長室を訪れた。もたれかかるようにして土方の方に手を伸ばしていたセイと懐からとられまいとセイの肩に手をかけた土方が同時に振り向いた。

 

 

– 続く –