花嵐 9

〜はじめの一言〜
おしまいでございます。
BGM:B’z イチブトゼンブ
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一瞬の間があって、セイがお尚を斬った。

 

深々と、首筋に当たった刀の傷から、血が噴き出してお尚の着物を真っ赤に染めていく。
その動きに、斎藤や総司が驚いた。まさか、自分が助けた女を、セイが斬るとは思っていなかったのだ。

「神谷さん!貴女なにを」

言いかけた総司の言葉を聞かずに、セイは磯貝の潜んだ部屋の障子を思いきりよく開けた。そこには、脇差を構えた磯貝がいた。セイは、そのまま磯貝に斬りかかる。

セイの大刀と磯貝の脇差はほぼ長さが変わらない。腕の長さで、間合いが変わる。しかし、総司に鍛えられたセイは、ふっと腰を落とすと、磯貝の胴を横に斬った。

 

ずるっ。

 

崩れ落ちる磯貝の体が畳の上に転がった。即死には至らぬ最後の息で、磯貝は腕を持ち上げた。
届かぬその腕にお尚を引き寄せるように。

「ば……かな……女だ……」

絞り出すような声がやむと、その手が力を失って、パタリと落ちた。

セイはその姿をみて、床の上に膝をついて泣きだした。
後ろで見ていた相田は斎藤と共に、とりあえず息のある者たちに縄をかけて行った。自分の刀を収めた総司は、声を殺して泣くセイの刀を懐紙で拭い、セイの懐から鞘を引き抜いて収めた。

相田には何となく、セイのしたことがわかる気がした。
お尚を総司に斬らせたくなかったのだと。
そのことを斎藤に告げると、追いついてきた応援の一番隊と三番隊の者達と共に、屯所に引き上げていった。

斎藤は、泣きやまないセイと、それを見守る総司を促して、屯所に引き揚げた。

 

セイと相田は、女を助けるために囚われたとして、不問になった。捕えた者たちの口から、一連の事件の犯人だということもわかり、一気に事は終わった。

副長付きの仕事に戻ったセイは、しばらく曇った顔のまま黙々と隊務をこなしていた。

「神谷、ちょっと付き合え」

非番の日に、斎藤にそう言われてセイは連れだされた。斎藤はセイに酒を勧めた。

「供養だ。お前のおかげでうちの二人も浮かばれる」
「そんなんじゃありません」

セイは、むっつりと酒を飲みほした。

斎藤は、なにも言わずに空いた盃に酒を注ぐ。
セイがお尚を知っていたことは、あの後の報告ですぐに分かった。あれからセイが落ち込んでいることは明白で、皆が心配していた。

セイを飲みに連れ出したものの、ムカつく気配がしっかりついてくるあたりが阿呆らしくなって、斎藤は黙って酒をあけた。セイがろくに酒を飲まないまま、うな垂れていると、自動的に斎藤はその場にあった酒をどんどんと飲んでしまう。

「いい加減人を頼らずに自分で何とかしろ」

くるりと振り返った斉藤は、背中合わせで隠れていたつもりらしい、総司に向かっていったが、セイは俯いていたので、自分に向かって言われたのだと思い、ますます落ち込んでしまう。その誤解に気づきはしたが、斉藤は店の者に酒の追加を頼んで、さっさと店を出て行った。
斉藤にまで見放されたと目の前の酒に手を伸ばしたセイは、そこにいた総司と目が合って驚いた。

店の者が酒の追加を運んでくると、慌てて総司が受け取り、セイの盃に注ぐ。

 

セイは、お尚を総司に斬らせたくなかった。

 

おそらく、お尚は総司に斬られることを望んでいたのだ。
夫から解放してくれた総司に、一瞬で囚われて、そしてその総司に斬られて死ぬために磯貝と一緒になった。

磯貝は、そのお尚の心を知りながら、おそらくお尚の手助けをするために藩を抜け、こうして京の町で不逞を働いた。わざと新撰組を標的にして。

あの時、懐剣を構えたお尚を前にして、まるで霧が晴れたように、すべてを理解した。だから、セイは二人を斬ったのだ。杯に注がれた酒を眺めているだけで、飲もうとはしないセイに、穏やかな総司の声がした。

「神谷さん。私は、隊務でしたことで誰に恨まれようとかまいません」

 

―― 違います。沖田先生。お尚が総司に斬られたいと思ったから、だから斬ったんです。そんなに私は人がいいわけじゃありません

セイは、それを口にすることができなかった。それを口にしてしまえば、総司へのこの独りよがりな想いを言ってしまいそうになる。
ぽつりとこぼれる涙を振り払うように、首を横に振った。

「……私は……こんな、我儘な思いで誰かの生死に関わるなんて……」
「そんなことはありません。お尚さんはあれで満足していたと思いますよ」
―― そんなはずはない。先生は分かってないから

本当は、総司にもお尚の感情は見て取れた。せめて、自分の手で死なせてやろうという気持ちもあった。それをすべてセイが背負ってくれたのだ。
斬られた二人への感慨など、総司にはない。それでも、こうしてセイが自分を責めているなら、いくらでも自分が斬ったものを。

「神谷さんは、本当に」

思わず口から出そうになった言葉を、飲み込む。
顔を上げたセイと目があった総司は、その黒い瞳に引き込まれそうになる。次の言葉を待つセイに、ふ、と笑いかけた。小上がりの隅で総司はセイの目の前に移動した。

「本当に私を守ってくれますね」

それを聞いたセイが、堰を切ったように泣きだした。総司はそのセイに手を伸ばしてその頭を撫でた。

「好きなだけ泣いておしまいなさい」

―― ずっと傍にいますから

セイは、心の中の汚いものまで洗い流されるような気がして、泣き疲れて眠ってしまうまで涙が出るに任せた。やがて、膝の上で、眠りに落ちたセイを抱えて、このまま誰にも渡さずに置きたいという感情に、総司は自分でも可笑しくなった。

 

あの時、思わずでてしまった。

『いくら斎藤さんでも譲れません』

あれは自分の中の本心だ。誰にも渡したくない。
そのために、お尚や磯貝の想いを利用することさえ、あの瞬間、躊躇わなかった。動こうと思えば、セイより早く二人を斬ることができたのに。

―― 本当に狡いのは私の方なんですよ、神谷さん。貴女はそれでも……

 

ふわりと舞い込んだ甘い花の香りに、目を瞑った。セイの匂い袋の香りに似ている。白いくちなしの花の香。

 

– 終わり –