夜更かし 2

小部屋をでた総司は、暗くなった屯所の中を隊部屋に戻った。
部屋の中で、休まずに総司を待っていた隊士達がすぐに総司の元へと近づいてくる。

「どうですか?沖田先生」
「駄目ですね。すっかり意地になってしまって、私にも手伝わせてくれません」

むぅーっと、隊士達が腕を組んで一斉に唸る。土方も大人げないと言えば大人げないが、一言謝ってしまえばそれで済むはずなのに、どちらも馬鹿馬鹿しい意地の張り合いになっている。

「俺達も手伝いますよ。どうしたって明日中におわるわけがないじゃないですか。巡察当番ではないとはいえ、全体稽古もありますし、あいつ飯も食わずにやってるんすよね?」

小 川が心配そうに手にしているのは、夕餉も取らずにやり続けるセイのために握り飯とおかずは折に詰めた物、それに味噌汁は具を入れずに竹の水筒に詰めたもの だ。一度、途中で小部屋を出てきた総司が夕餉を取っている間に隊士達に事情を話し、それを聞いた小川が賄いに行って支度してもらったのだ。

「でも、土方さんは誰にも手伝わせるなって言ってますし、私がついていますから皆さんは先に休んでください」

厳命だといって、隊士達には手伝うことを禁じるとまで土方は睨みを利かせてある。本来なら総司も部屋に出入り禁止と言いだしそうなところではあったが、その場にいたので同罪だと言い張って部屋に出入りするところまではなんとか取り付けた。

「お前は絶対に手を出すなよ。あの野郎。いっぺん痛い目見ないと絶対わからねぇ」

息巻いた土方を宥めながらなんとか頷かせるので精一杯だったのだ。
ううむ、といつまでも唸っていても仕方がない。夜着に着替えるだけ着替えた総司は、小川の手からセイの飯を受け取った。

「とにかく、これを食べている間だけでもなんとか手伝ってみますよ」

そう言い置いて隊部屋を出た総司は再び幹部棟の小部屋に向かった。

「くしゃみするくらいなら、自分で、おさえりゃよかったじゃないかっ!」

そうっと部屋に近づくと、ぶつぶつとひとり零しながら手を動かしているらしい声がする。

「嫌がらせにもっ!ほどがあるっっての!っつう!!」

最後に上がった悲鳴を聞いて、肩を竦めた総司は小部屋の中へと静かに入った。

「何をぶつぶつ言ってるんですよぅ。どら、見せてごらんなさい」

勢い余って、指先を切ってしまったセイが。ぱくっと口に含んで痛みを堪えていた。幸いなことに懐紙の束には血が飛ぶことはなく、総司はセイの分の飯をわきに置いて、セイの目の前に膝をついた。

少しではあったが、深く切ってしまったのかじくじくと痛む指先を口に咥えていたセイが、もう片方の手で押さえながらぱっと口から出してみた。
じわぁっと滲んだ血を見た総司がその手を引き寄せる。

「これは、随分深そうですねぇ。まあ、でもちょっと舐めて血が止まれば大丈夫でしょう」

みるみるうちにぷくっと盛り上がってきた血をみて、切ってしまったセイの手を掴むと止める間もなく総司が口に含んだ。
生温かい唇の感触や、傷口を舐める舌の感覚に呆然としたセイが耳まで真っ赤になる。

丹念に傷を舐めた後、ちゅっと吸い上げた総司が指を放した。

「さ。これで大丈夫でしょう……、って、あっ!!」

指先を手で押さえた総司が顔を上げた目の前に茹蛸になったセイの顔をみて、自分が何も考えずに取った行動に慌てた。無意識で深い意味もなくとってしまったが、確かに相手がほかの隊士ならそんなことはしない。

「すっ、すいませんっ!ついっ」
「い、いえっ!ありがとうございますっ」

ぎゅっと傷口を押えたセイが手を引くと、赤い顔をした二人が向いあって、互いにもじもじと気まずく視線を逸らす羽目になる。
ふと、自分が持ってきた飯に目が行った総司が、あ、と座りなおしてそれを差し出した

「ちょうどいいから、血が止まるまでこれ、お食べなさい」

目の前の竹の皮の包みと折、そして竹の水筒を見てセイの顔が曇る。終わるまでは飯も食べずにやれと言われていたことを意地でもやってやると思っていたのだが、確かに腹も減っておりそのせいで気も滅入っている。
そうは思っても、やはり言いつけは言いつけだ。

「でも、副長が……」
「いいから。このくらいのことで何も言われませんよ。その間に私が勧めておきますから、まずはお食べなさい」

――せっかく小川さんが用意してくれたんですしね

迷う背中を押すように総司がいうと、じっと手渡された握り飯を見ていたセイがおずおずと手を伸ばして折を開いた。
ほっとした総司はセイの代わりに文机に向かうと、まだ手つかずだった和紙を次々と折り始めた。

「んんっ、駄目ですよ。沖田先生。きちんと端をあわせておらないと、後で困るんです」
「おっと。こうですか?」
「はぃ。ん、気を付けないと片側だけ合わせてもずれてきちゃうんです」
「なるほど」

セイに、コツを教えられながら丁寧に、だが手の大きさも幸いしてどんどんと折り進んでいく。

「ようは、土方さんも振り上げた拳の下ろしどころをなくしちゃっただけなんですよ。うまくこちらが終わらせてあげれば何も言われませんよ」
「……すみません。ご迷惑をおかけして」

くすっと総司が笑い出した。
もぐもぐと口を動かしながらセイが謝る姿を見ていると、本当に土方もセイもこういう意地っ張りなところも素直なところもよく似ていると思う。

「そんな風に素直にすればいいのに、神谷さんも土方さんもねぇ」

くすくすと笑う総司に、しゅん、とセイが項垂れてしまう。いくら副長とはいえ、いくら目上とはいえ、土方の物言いや裏の裏がある言い様にはつい、かちんとなってしまうのだ。

「すみません……」
「神谷さんも土方さんもよく似てるから」

総司の一言にがばっとセイが顔を上げる。素直でないことは仕方ないにしても、あの土方と似ていると言われては黙っていられない。

「沖田先生。冗談でもやめてください。私は副長ほど、裏の裏の裏まで勘ぐったり、いろいろしたりしませんよ?」
「そりゃ、神谷さんの方が断然素直で可愛いですけどね。なんか違うんですよねぇ」

にこにこと笑う総司が手を伸ばしてセイの頭を撫でた。いくら土方を怒らせたとは言え、こんな無謀なやり取りに素直に立ち向かうセイの方が可愛いのは事実だ。
まるで子供の我儘を聞いてしまうように、くすっと微笑んだ総司にセイは黙々と口を動かすことでしか反応できなかった。