金木犀奇譚 4

〜はじめの一言〜
ちょっと不思議なお話を。

BGM:
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夜になっても、そこらじゅうに甘い香りが漂っていて、なぜか例年以上に金木犀の甘い香りが強い。

隊部屋に横になった時に、まるで花街にいるようだと皆で笑った。それぞれが床に横になると少しずつあちこちから鼾や寝息が聞こえ始める。

総司の隣からもいち早く穏やかな寝息が聞こえ始めた。横を向いた総司は思わず微笑んだ。

―― 可愛いなぁ

「……すぴー」

ふふっと笑って、総司はセイの方を向いた総司はその寝顔を眺める幸福感に包まれて目を閉じた。

 

 

夜も更けて皆が深い眠りに落ちていた。

「……?」

おかしいと思ったのは剣豪として鍛えられた生来の勘だろうか。
止まっていた呼吸を思い出したように、すうっと深く息を吸い込んだ。それと同時に意識が目覚める。

なぜ目が覚めたのかと訝しく思うのと同時に、いつもよりも部屋の中が静かだと思う。鼾や寝息は聞こえるが、それがいつもよりもひくい、というよりも膜で覆われたような感覚だった。

暗闇の中で目を開けているはずなのだが、それもいつもより深い気がする。目を見開いてもなぜか天井さえほとんど見えない。なのに、起きていた時よりも濃厚な香りが漂っている。
決して、何かあったわけではないが、引かれるように総司は隣で寝ているはずのセイの方を向いた。

廊下に近いセイの方は、月明かりでわずかでも明るいはずなのに濃い闇が広がっていて、セイの周囲を囲うようにぼんやりとしたものを感じる。

「神谷さん……?」

起こすためではなく、総司が小さく呼びかけると靄のようにその闇が動いた気がした。はっと半身を起して手を伸ばすと、突然深い穴に落ちたような感覚に襲われる。

「……っ!」
「……沖田先生?」

とっさに体の筋肉が身を固くしたのに、結局、体勢が変わることはなく、総司が息を吐いて体を緩めると、ごく身近でセイの声がした。
なぜか真っ白い単を纏ったセイが、総司がいるのとは全然違う方へ向かって呼びかけている。

「神谷さん」

こっちですよ、と言いかけたその視線の先に、総司は先ほどの靄のようなものがジワリと闇の中から滲みだすのを見た。息を飲んで警戒する総司とは全く逆で、セイは嬉しそうな顔でそちらへと手を伸ばす。

「かみっ……!」

セイを呼び止めようとした総司は、その滲みだしたものが徐々に形をとっていき、最後には自分と全く同じ姿になったことに驚いた。自分はここにいるのに、全く違う方向からセイに向かって微笑みながら近づいていく。そしてセイも『総司』に疑いもなく微笑んでいた。

「神谷さん」
「はい、先生?」
「神谷さんからとてもよい香りがしますね」

そういって、『総司』がセイの体を引き寄せる。肩口に顔を寄せて、くん、とその香りを嗅いだ。セイは嫌がるわけでもなく、くすぐったそうな顔で笑った。

「先生、昼間も同じことをおっしゃってますよ?」
「そうでしたっけ?」

なんということもなく当り前のように会話する二人を見て、総司は強烈な嫉妬を覚えた。自分であって自分ではないもの。
それが明らかに自分とは違う、ということだけはわかる。にもかかわらず、自分はこの深い闇に絡め取られたように身動き一つできないのに、セイがすっかりと自分と思い込んでいる者と楽しげに語らっている。

「こうして神谷さんと出会えてよかったです」
「どうしたんですか、急に」

目を丸くしたセイに向かって、『総司』は手を伸ばして、セイの頬に触れた。ゆっくりと肌を撫でる手にぎり、と総司は唇を噛み締める。

―― 神谷さん!それは私ではありません!!

声を限りに叫びたかったが、縫いとめられたように一言も出すことができない。
総司が歯噛みしているうちに『総司』はセイの頬を撫でてゆったりと両腕の間にセイを抱き込んだ。

「大好きですよ、神谷さん」

セイは、驚きながらも嬉しそうに『総司』の胸に寄り添って答えた。

「私も大好きです、沖田先生」

まるで恋人同士のように寄り添った姿を見て、総司は自分を捕えている闇から力任せに抜けてセイの方へと手を差し伸べた。何かの気配に気づいたセイが、不思議そうな顔で総司の方へと視線を向ける。

「――っ!!」

ばりっとまるで身を引き離されたような感覚を残して、再び総司の意識は闇の中に引きこまれた。今度は深い眠りという闇の中へと引きずり込まれた総司は、その何とも言えない不快な感情だけを残して、夜明けを迎えることになる。

 

「沖田先生!起床の太鼓なりましたよ!」

セイに揺り起こされた総司は、はっと目を覚ますのと同時にがばっと半身を起こした。飛び起きた総司に、セイの方がびっくりして身を引いた。
背後で見ていた隊士達がどっと笑う。

「どうしたんですか?沖田先生」
「そうっすよ。誰も先生の饅頭も団子も盗み食いしてませんよー」

再び上がった笑い声と朝日にそれが現実なのだとようやく理解した。ポリポリと頭を掻いた総司は、不快な感情は覚えているのだが、それがなぜだったのかすっぽりと頭の中から抜け落ちてしまっていた。

「なんだか、おかしな夢を見たような気がして……」
「えぇっ!沖田先生が、甘味以外を夢に見るんですか?!」
「あのね、神谷さん。それっていくらなんでもひどすぎませんか」

がり、と頭を掻いた感覚だけは現実のものだったが、それ以外の事は本当に夢のように記憶の彼方へと沈み込んで行ってしまう。
つかみどころのない感覚に片手をぎゅっと握った総司は、諦めて起き上がった。

「おはようございます。神谷さん」
「おはようございます、沖田先生」

差し出された手拭を条件反射で受け取った総司は、床から追い出されるとぼんやりとした足取りで井戸端へ向かった。セイは、珍しく寝起きの悪い総司に首をひねりながら総司の布団を片付けた。

セイはとっくに着替えまで済ませていた。今日もセイからは甘い香りが漂っている。

 

– 続き –