金木犀奇譚 3

〜はじめの一言〜
ちょっと不思議なお話を。

BGM:
– + – + – + – + – + – + – + – + – + –

巡察を終えて屯所に戻ってきた一番隊を珍しくも先に戻っていた総司が迎えに出た。
本来はもっと遅くなるはずだったが、やはり藤堂に任せたりといつもと違うことが気になって落ち着かない総司に近藤が早めに切り上げたのだ。

「藤堂君なら大丈夫だろうに」
「ええ。それはわかってるんですけど」

苦笑いを浮かべて、珍しくも駕籠ではなく徒歩で屯所に戻る道すがら、近藤が総司に言う。総司がこれほど、隊や人を心配することは今までは少ない。そう考えるとすぐに理由は思いついた。

「そうか、神谷君か」
「やっ!いや、そうじゃないんですけど」

慌てた総司が提灯を振り回したために、目の前にぶら下がっていた灯りが揺れる。何かの合図かと、周囲を歩く者達が振り返って、何事もないのを見て再び歩み去っていく。

「全く、昔のお前からは想像もつかんなぁ」
「止めてください、近藤先生」
「ほらほら。それだ。あんなに泣き虫のチビだったのになぁ」

近藤の昔語りに、しきりに照れながら総司と近藤はゆったりと歩いて屯所へと戻った。
一番隊の巡察にぶつかるかと思ったが、それよりも早く屯所に帰り着いたのがわかると、大階段の前で総司は皆の帰りを待つことにしたのだ。

「沖田先生!」

ざわざわと帰ってきた隊士達が出迎えた総司を次々と取り囲んだ。隊士達をかき分けるように藤堂が近づくと、懐から書き物を取り出す。

「お疲れ様です。藤堂さん、ありがとうございます。問題ありませんでした?」
「ただいま、総司。ちょっと斬りあっちゃったから、先に土方さんのところに報告してくるよ」
「ほんとですか?」
「うん。誰も怪我してないし、皆、捕まえてきたよ」

そういって、大階段を上がりかけた藤堂が何かを思い出したのか総司のところへ戻ってくる。

「藤堂さん?」
「言い忘れた!」

―― 神谷がちょこっと怪我したかな

わざと声を小さくして総司に耳打ちすると、ひらり、と手を挙げて大階段を軽やかに登って行った。慌てて総司は、振り返り、捕まえてきた不逞者と隊士達ががたがたしている間を縫って、セイの腕を掴んだ。

「神谷さん!」
「あ、沖田先生!お疲れ様です。お供はいかがでした?」
「……元気そうですね」
「はぁ?」

捕まえた男達の刀を抱えたセイが、怪訝な顔で総司を見上げた。
見た限りこれといった怪我をしている様子もないので、もぐもぐと口の中で藤堂さんが、と言いかけた総司がセイの頬に走った赤い線に気付いた。

「あっ、これ」

伸ばされた手に、ちりっと痛みを感じたセイがびくっと身を引いてから自分の頬に手を当てた。

「ああ。ちょっとかすったんだっけ」
「かすったじゃないでしょう!お……」
「お?」

危うく、女子のくせにと言いかけた総司が言葉を飲み込むとしかめっ面でセイの反対側の頬についた血の跡を袖口で拭った。乾いてしまったそれは、なかなか消えなくて、強くこすれば肌を痛めてしまう。困った顔の総司にセイが軽く頭を振って手をよけた。

「大丈夫です。このくらい。顔を洗えばすぐ落ちますし。それよりよろしいんですか?」

捕まえてきた不逞浪士達の後始末はいいのかと声をかけると、山口達が蔵籠めにするために男達を引っ張って行くところだった。慌ててそちらに向かった総司を見ながら、セイも後始末にかかった。

捕まえた男達は、大した情報もなかったが脱藩者ばかりだったので、翌日は各藩への連絡などに追われてセイ達は忙しかった。
ようやく午後になって人心地ついたセイが廊下に座って洗い物を畳み始めた。結局、着いてしまった染みは落ちなくてまた、気に入っていた着物が一つ汚れてしまったとため息をつく。

「どうしたんです?ため息なんかついて」

離れたところからセイを見ていた総司がようやく腰を下ろしたセイを見て近づいてくる。昨夜の捕り物は藤堂の手柄と一番隊の半々ということになり、後始末については藤堂が指示を出しているため、今日の総司は皆の手伝いに回っていた。

顔を上げたセイが、洗い上がった着物の皺を伸ばしながら染みのついてしまった場所を指先で撫でた。

「これ、お気に入りだったんですけど、染みが着いちゃったなぁって思って」
「ああ。夕べのですか?」
「はい」

いつものように総司が相手であればうまく間合いを計って、返り血を浴びないようによけることもできたが、藤堂の速さと間合いに勝手が違った。半瞬でも遅れれば、こうしてよけきれずに怪我をしたり、返り血を浴びてしまう。

そこに言い訳をしてしまうと己の未熟を言い立てるようで、セイは続きを口にせずに黙った。総司がその着物に手を伸ばした。

「そんなに気に入っていたなら、今度同じようなのを買ってあげますよ」
「そんな!いいんです。まだ着られますし!」
「でも気に入っていたんでしょう?」

総司の手に引き寄せられた着物についたどす黒い染みに、セイが一瞬眉を顰めたが首を振って次の瞬間には笑顔を浮かべた。
セイにとっては、着物よりもこんな風に巡察をほかの者に任せずに、総司がいてくれることが一番なのだ。

「いいんです、本当に」
「……そうですか」

セイに着物を返してよこした総司が、くしゃっとその頭に手を伸ばした。そして、ふと周囲に漂う香りが、より強くセイから香っていることに気付いた。

「神谷さん、匂い袋でも持ってます?」
「え?はい。いつものならありますけど」
「いえ、なんていうか、もっと甘くて強い……」

―― 強い意志を感じさせるような……

甘ったるいようでいて、芯の通った香りが気になって少しだけセイに近づいて、くん、と鼻を鳴らした。確かに、あちらこちらでこの花開いた香りがどこからともなく漂ってはいたが、こんなに強く香っているのは木の傍まで近づいた時くらいだ。

「ものすごくいい香りが神谷さんからするような……」

ああ、とセイは自分の着物の匂いを嗅いで呟いた。

「昨日、捕り物があったすぐ近くに金木犀の木があったんですよ。藤堂先生とすごくいい香りだって近づいたからですかねぇ。着換えたんですけど、まだ匂います?」

確かに周囲にも同じ香りが漂っているために、セイがその香の出所だとは思いにくい。
不思議そうな顔をした総司ももう一度、くん、と鼻を利かせて頷いた。

「ええ。まだとってもいい香りが。自然の匂い袋みたいですね」
「私が匂い袋ですか?」
「ええ。ほらいーにおいが」

ばふっとセイを抱きかかえた総司にセイが真っ赤になってじたばたと暴れた。相田達がそれを見てニヤニヤと笑い出す。

「止めてください!沖田先生!もうからかわないでくださいよ!」

むくれたセイが総司を振り切って着物をしまいに隊部屋へと入っていく。残された総司の着物にも甘く強い香りが移り香になって香っていた。

 

 

– 続き –