金木犀奇譚 5

〜はじめの一言〜
ちょっと不思議なお話を。

BGM:
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巡察は当番制であり、今日の一番隊は非番である。

のんびりと過ごす者が大半で隊部屋や廊下でごろごろと転がっている者が多い。そんな中で、セイは一人外出していた。
斬りあいがあった場所によるが、後々、詫びに出向くことも少なくはない。店先や人家の目の前に血を飛ばしておいて知らんふりということはできないのだ。

昨夜はどこぞの人家の庭先のようにも思えたが、どうやら今は空き家になっているらしく、近所の者達に聞いても今は誰も住んではいないという。ただ、手入れも碌にされていないのに、庭木が見事なので、有名らしい。

「噂ではこれがでる、言う者もいるんどす」

近くの茶店の女将が笑いながらセイに教えてくれる。新選組の隊士がお化けが怖いなどということはないと思っているらしい。
両方の手を垂らして、いかにもな様子を作るとくすくすとそちらを指差した。

「なんでも、秋口になるとええ男はんのこれが出るとかで、買い手がいても落ち着きませんのや。今はどこぞの商家の持ち物らしいですけど、滅多に現れまへん。物置代わりにしてるみたいどす」
「そうなんですね」

セイは、熱い茶を飲んでゆっくりと話を聞くと、代金を払って昨夜の場所へと向かった。
明るい日の下でどこだったろうと探すまでもなく、強い香りがここだと誘っている。

「うわ……」

陽の光の下で見ると、緑の葉の間からたくさんの金色の小花が咲いていた。花手毬とはまさにこれという様子で、あちこちに塊になった花が、顔を覗かせている。まだ半分くらいが薄い色なのは、咲き初めだからだろう。

桜も武士になぞらえられるように潔いといわれるが、秋ならばこの花こそ武士と言える。ある日突然、どこからともなく甘く見事な香りを漂わせて、花が終われば散るのに合わせてすっぱりと花もその香りも消えていく。

しばらくセイは陽の光を受けている金木犀の木をじっと眺めていた。

その甘い香りを吸い込んでいると、じわじわと心だけでなく体の中にまで不思議な何かがため込まれていく。暖かなそれを心地よいと感じたセイは、懐から懐紙を取り出すと、一番近くで手が届くところに咲いていた花を少しだけ摘んだ。
摘んだといっても指先で軽く木の枝から引くと、ぽろぽろと軸を離れた花弁らしきものが懐紙の上に橙の色を散らしたに過ぎない。

そっと顔を近づけると甘い香りがする。
満足げに微笑んだセイは、それを懐に入れると踵を返して屯所へ戻ろうとした。

『神谷さん』

「え?沖田先生?」

総司に呼ばれた気がして、セイはぱっと振り返った。だが、そこには誰の姿もなく、もちろん総司の姿もなかった。

―― 確かに、沖田先生に呼ばれた気がしたんだけど……

首を傾げたセイは、何度も振り返りながら屯所へと引き換えしていく。
セイが振り返らなくなって、その姿が見える場所から消えると、日中だというのに、金木犀の木陰からゆらりと人影が現れた。

その姿はまぎれもなく、沖田総司、その人だったが、表情だけが違っていた。うっとりと甘い蜜をねだるような甘美さに酔いしれた顔。

『神谷さん。貴女ならば、私は求めることができるだろうか?清く、美しい乙女を』

誰の耳にも届かない声が響く。連れ添うものを求め、焦がれた想いが、広がり漂い、覚醒した。セイの手についていた血によって、目覚めた彼は、セイと いう女子によって揺り起こされたために、無条件に女子として無垢なセイに引寄せられ、セイが想う相手である総司を知る。そして総司が心の奥深くで、セイを 求める心に共振し、総司の形を映し出した。

人型として形作るほど力を付けた彼は、花開く金木犀の木の強まる香りとともにさらに力を増しはじめていた。

 

 

屯所に戻ったセイは、幹部棟の廊下で菓子を頬張っている総司を見かけると、自分で自分にくすっと笑いかけた。

―― なんだ。やっぱり先生は屯所にいたんじゃない

空耳を聞くほどに、総司の事を考えていただろうかと思いながら、セイは隊部屋に入り、刀を置いて羽織を脱いだ。懐から取り出した金木犀の花は、大事そうに行李の中の一番上にそっと置く。これならば、夜着にも微かに匂いが着くかもしれない。

ふふ、と嬉しそうに笑ったセイは、雑用を片づけるべく動き始めた。

 

夕餉の給仕をしていたセイが通りかかると、総司はその香りに、半眼を閉じた。箸をとめた総司に、セイが顔を覗き込む。

「沖田先生?どうかされました?」
「あ。いえ……」

ざわざわと心の奥底をかき乱されるような甘い香りがしたから、とは言えずに言葉を濁す。代わりに、違ういい方でその香りについて触れた。

「それにしても今日も神谷さんから、金木犀の香りがしますね」
「そうですか?」

くん、と自分の着物の匂いを嗅いだセイは、そうでもないと思うけど、と小さく呟いて首を振った。ほかの隊士達も、そうは思っていないらしく、不思議そうな顔をしている。

「沖田先生、今時分はどこに行っても、多かれ少なかれこの匂いでいっぱいですよ。まあ、確かに神谷からは甘い匂いがしそうですけど」

揶揄を込めた山口に、総司は真っ赤になって膝の上に拳を当てた。

「ち、違いますよ。神谷さんが今傍に来た時に、ちょうどふわっと香ったのでそうかなと思っただけですって!」
「いやいや、先生。俺達にはよーくわかってますよ。こんなあまったるい匂いがするくらい神谷が可愛いってんでしょ?」

わかってますって、と一斉に広がった頷きに、セイまで真っ赤になって抱えていたお櫃を頭の上に抱え上げた。

「馬鹿なこと言わないでください!もう!武士が可愛いなんて言われて嬉しいわけないでしょう!!このお櫃ぶつけますよ?!」
「わ、わかった、わかった。神谷も素直じゃないよなぁ。俺達ならいざ知らず、沖田先生に可愛いって言われたら嬉しくて仕方ないくせによぅ」
「……!!」

散々にからかわれたセイは、どすん、とお櫃を畳の上に力任せに置くと怒り心頭で廊下に出て行った。といっても、自分の膳を取りに行くついでに廊下にでたまでで、一番隊の隊士達もそれはわかっている。

セイがどすどすと勇ましく歩く後ろから、どっと笑い声がわき上がった。

「もう!皆さん、そんなことばっかり言ってないでさっさと夕餉を食べてしまいなさい!」

同じく、部屋に残ってからかいの的になっていた総司は、赤い顔のまま、憮然として膳に向いながら隊士達を叱りつけた。
素直に黙って再び膳に向い始めた彼らだったが、総司ほどセイの甘い香りについて感じていないだけに、くすくすと総司を盗み見ながら箸を動かしていた。

ふと、セイの去って行った廊下に顔を向けた総司は、そろそろ月が出る頃だと暗い夜空に目を向けた。

―― そういえば、夕べの夢ってどんなものでしたっけね……?

ぼんやりとそんなことを考えながら、総司は残りを片付け始めた。

 

– 続き –