小さな背中 4

〜はじめの一言〜
拍手お礼文より。

BGM:
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「いやだわぁ。こっち!こっちにどうぞぉ。いやぁ、五郎が言うことなんか嘘っぱちだと思ってたのに、本当にこんな可愛らしい娘さんなんてなぁ」

店中に聞こえるような声をあげた中村の母にセイが真っ赤になった。嘘で引き受けた役とはいえ、これだけ大声で騒がれれば恥ずかしくて仕方がない。そんなセイの手を引いて、中村が座敷に上がった。

「母ちゃん、少し声を落としてくれよ」

さすがの中村も恥ずかしいのか、声を潜めて母親を座らせた。

「あら、悪かったわね。つい、久しぶりに会ったもんだから興奮しちゃって。ごめんなさいねぇ。ちょっと五郎。紹介もしてくれないの?気の利かない息子でごめんなさいね。五郎の母です」

よくしゃべるというのは変わりなく、本当に息をする間もないのではと思うくらいの中村の母にようやくセイが頭を下げた。慌てて中村がきちんと座りなおすとセイの方を手で示して、照れくさそうに言う。

「えと、こっちが……!」

―― 名前!名前打ち合わせしてなかった!

はっと、青くなった中村がセイの顔を見ると、セイもそれに気づいたらしい。紹介されるべき自分から名乗るのも本当はおかしな話だがこの際仕方がない。

「せっ、セイと申します!」
「おセイさん!いい名前ねえ。五郎がよくまあ、こんなかわいらしい娘さんをねえ。それで、貴女はこちらの方なの?親御さんは?歳はおいくつ?」
「母ちゃん!そんなにいっぱい一度に聞いたって!」
「だって、あんたの大事な人なんでしょ?未来のお嫁さんのこと聞いて何が駄目なの」

慌てた五郎が止めに入るが、五郎の母は本当にこの勢いのそのままの人のようだった。
青くなったセイは詳しい話まで決めずにとりあえず、許嫁の役を引き受けたために、何をどう答えていいかわからない。何とかしなければ、と焦りながら必死でセイは考えた。ありのままをいう事は出来ないが、この場をしのぐには仕方がない。

「あ、あのっ!私、その江戸の出で、父が医者で父と一緒に京に来たんです」
「そうなの。お父様はお医者なの。ご兄弟は?一人娘だったら、五郎じゃだめなんじゃないの?」
「それは、あの、兄がいて」
「お兄様がいらっしゃるの。それは頼もしいわね。お兄様はお父様の後をついでお医者に?おいくつだったかしら。五郎はこんなでも優しい子なんですよ。ねぇ。まあ……」

そこで中村の母のしゃべりが止まったのは決して息が切れたわけでもなんでもなくて、運ばれてきた茶を一息に飲み干したからだった。

矢継ぎ早の話が止まったことにほっとしたセイも茶碗に手を伸ばして、焦りでからからになった喉に茶を流し込む。間に挟まれた中村は余計なことを言う暇さえなくて、自分の母親とセイの顔を交互に見比べている。

ほっと、飲んでしまった茶のお代わりを頼んだ中村の母は湯呑を手にしたままじっと中村の顔を見つめた。

「五郎」
「うん?」
「母ちゃん、あんたが不誠実な男だとは思わないよ。だから、許嫁っていうからにはおセイさんのこと、ちゃんとする気があるんだろうね?」

遊び心じゃ済ませないよ、と言ってじろりと五郎を睨みつけた。大本は全くの嘘だとわかっていても、つい嘘と本音が混ざり合って五郎がぱっと顔を上げた。

薄らと頬を染めた顔で、大きな目を見張ると母と変わりないくらいの大きな声でしゃべりだした。

「当たり前だろ。そんなもの!俺がどんだけ神谷の事を口説いたと思ってんだ。嫁にできるならなんだってやってやる!」
「ちょっ、ちょっと中村っ」

店中の注目を集めたことにいたたまれなくなったセイが耳まで真っ赤になった姿で中村の袖を引っ張った。少しは周りの目を気にしろと怒鳴りつけたかったが、それをやってしまってはすべてがばれてしまう。

腹の底では煮えくり返るくらいだったが、そこは堪えるしかない。
我に返った中村が、セイを振り返った。

「あっ、悪りぃ!かっ、……お、セイさん」

言いなれない呼び方に噛みそうになった中村を机の下で小突く。じっとそれを見ていた中村の母は、大きく息を吸い込んだ。

「……そんなら、祝言は早いうちがいいでしょ。あたしが京にいる間に形だけでもねぇ。それなら後々も安心だ」
「「しゅ、祝言?!」」

上ずった声でセイと中村が同時に叫んだ。まさか急にそんな話になるとは思ってもいなかった。顔を見合わせると、そろって青ざめてしまう。

―― どうしよう!
―― どうすんだよ!!

冷や汗を流して、中村の母の視線にひきつった笑いを浮かべたセイは小声で中村と言い合う。とにかくこの場はなんとかして逃げ出さなければならない。

「わ、私、ちょっと失礼して……」

手水へ立つふりをして逃げ出そうとしたセイが、座敷から降りて草履をに足を延ばした。後ろから、中村が膝をついてセイの方へとにじり寄る。

立ち上がったところでセイの前に人影が立った。

「おっ!!」

―― 沖田先生!

目の前に現れた総司に驚いたセイがぱっと口元を押さえた。どうしてと問うよりも驚いて総司を見上げたのはセイだけではなくて、その後ろにいた中村も突然の総司の登場に驚いていた。

「もういいでしょう。中村さん」

セイの肩に手を回した総司が御簾を手で押さえて中村と中村の母に向かって軽く会釈した。

ぐっとセイの肩を引き寄せると、総司は中村を見た。眉が八の字になった中村の顔には、待ってくれと言いたげな色が浮かんでいた。
冷ややかに見据えた総司はふいっと顔を背けた。

「行きますよ。セイ」
「えっ、あのっ……」

驚いたセイが反論するよりも先に、総司はセイを強引に連れて店を出た。
後に残された中村が何か言いたそうにその後ろ姿に向かって口を開いたが、結局、何も言えずにゆっくりと俯いてしまった。
店の中にいた客達はとんだ場面に出くわしたと、ちらちら中村の方を見ていたが、一番大きなため息をついたのは中村の母だった。

「馬鹿だねぇ……」

しみじみと中村の母が呟いた。膝の上に突っ張った中村の腕が震える。

「本当に馬鹿な子だよ。いったい何のつもりだったんだろうねぇ」
「……母ちゃん?」

噛みしめた奥歯から力を抜いた中村が母の方を振り返った。

– 続く –