迷い路 33
〜はじめのお詫び〜
闇月庵、拍手でぽちぽち更新
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へらへらとした笑みはいつも通りだが、鞘を掴んだ柴田の掌には汗が滲んでいる。
動いたり騒げばそのまま刀を抜いて斬る、という意思表示にセイがじりじりしながらも柴田に従って共に歩く。
柴田とセイという珍しい組み合わせに、通りすがりの隊士達が、ちらりと視線を向けては来るが、にこにこと笑っている柴田の顔を見て、特に誰も声をかけてはこない。
原田たちと飲みに行くような軽い口調で柴田が囁く。
「お前さ。目端がききすぎるよなぁ。いつから気づいてたんだか知らないが」
強く、逃げないように掴まれた腕が痛む。声を低くしたセイが、すぐ後ろをぴたりとくっついて歩く柴田を振り返る様に言った。
「逃げる気ですか」
「もちろんだ。俺は、剣術が好きで、それが仕事になるからここに来たんだ。法度に縛られて命を粗末にするつもりなどない」
「……逃げ切れるわけがない!」
必ず追捕が出る。それに、いつまでもセイを人質にしていけるわけがない。
「いや。俺はこんなことで切腹なんて御免だ。一度は武士であることを捨てて、あいつと逃げたんだ」
必ず逃げて、逃げ切って、桜香の傍にまた戻るために。
柴田は足袋を脱いで裸足だがセイは足袋を履いている。大階段を下りる途中で、それが滑ったふりをして、セイは二段ほど踏み外した。
「ひゃぁっ!」
思わず上げたセイの声に近くにいた隊士達が顔を向ける。もちろん、門脇の隊士達も。
「お?神谷、なんだお前……!柴田?」
何を転んでいると言いかけた隊士が、セイを今にも斬りそうな様子で刀を握っていた柴田に目を丸くして駆け寄ってくる。
「来るな!」
鍔元から刀を抜きかけたまま、セイの腕を掴みなおした柴田は首元に刀を向けた。ただならぬ様子にばたばたと隊士達が集まってくる。
「おい!柴田!!」
「やめろ!何をしてる!」
「落ち着けよ。何があったんだ?」
二人の間に諍いがあったにしても、これはありえない光景である。皆、口々に目を丸くして止めにかかった。
「うるさい!近づけばこのまま神谷を斬る!」
腕を掴んだ手が鞘を握り、首元に刀を向けたまま、柴田はセイを引きずっていく。その様子を見て、さらに隊士達が集まってくる。何人かが、大階段からは一番遠い、一番隊と幹部棟の土方のもとへと走った。
「神谷!」
「よせ!柴田!」
叫ぶ隊士達を振り切って、走り出した柴田は門を潜り抜けた。
「追うなよ!」
そう叫ぶと引きずるようにして柴田はセイを連れて走り出した。
「沖田先生!沖田先生いらっしゃいますか?!」
立花屋に血相を変えた相田と山口が駆け付けてくる。ただ事ではない様子の二人に女将が慌てて総司のいる座敷に二人を案内してくる。座敷の外で待っていた山崎が立ち上がって格子の入り口に手をかける。
「大変です!沖田先生」
「どうしました?!」
紅糸の傍にいた総司は、急いで格子の方へと駆け寄ると、山崎があけてくれた入り口から格子の外に出る。
出てきた総司に向かって山口と相田がそれぞれに早口にしゃべりだした。
「なにがなんだか分かんないんですが、十番隊の柴田が神谷のことを人質にして脱走したんです!」
「巡察から戻ってすぐのことで、皆、何があったのかしらないんですが、いつの間にか神谷が柴谷捕まっていて!」
「神谷の首元に刀を向けて近寄ったら斬るって言いやがるんで誰も手が出せなかったんです。今は、屯所を出て逃げてる最中で、原田先生と十番隊が中心になって柴田の後を追っかけてます!」
山崎と顔を見合わせた総司は、頷き合うとすぐに立花屋を飛び出した。紅糸のことは立花屋の女将に任せることにして、二人に続いて相田と山口も急いで後を追いかけていく。
屯所に駆け付けると、蜂の巣をつついてもこれほどにはなるまい、という騒ぎになっていた。何せ、堂々と屯所から人質をとって脱走するなど前代未聞である。
「沖田先生!」
急ぎ、戻ってきた総司を見て、一番隊の隊士を中心に、残っていた隊士や小者達が駆け寄ってくる。門をくぐる直前で身を隠していた山崎は、騒ぎに紛れてするすると幹部棟へと入り込む。
「副長。山崎です」
あたりを見渡して、するっと障子の中に入り込む。片膝をついて顔を上げた山崎の前に、部屋の中にいた土方は、腕を組んで仁王立ちしていた。
「遅い!」
「申し訳ありません。状況は?」
土方の性格を考えれば、この人が大人しく部屋で采配を振るっていたとも思えない。
現場に向かってから戻っていたのだろう。不機嫌そうな顔からは今にも湯気を出しそうに見える。
「あの馬鹿っ!仮にも一番隊の隊士がまんまと仲間の人質になるか?!」
「ということは、神谷はんが連れてかれたのはほんまですか」
「ああ。あいつが自分から突っ込んでいったのか、たまたま柴田にいい様に掴まえられたのかはわからん。俺は神谷を連れて出て行った後に行ったからな」
隊士に呼ばれて駆け付けた土方が盛大に雷を落としたのは言うまでもない。なにせ、たった一人の隊士をこれだけ屯所に残っていた者達が居て、いくら人質がいたとはいえ、取り押さえることもできずにあっという間に逃がしたと来れば喉が枯れんばかりに怒鳴り飛ばした。
原田を先頭に十番隊は連携を取りながら、柴田の後を追って行っているが、他の隊士達は十番隊から入ってくる居場所を聞いては先回りできる場所に人を少しずつ送っているらしい。
「どちらさんが仕切ってはるんです?」
「永倉、斉藤、藤堂の三人にやらせている」
山崎はすぐ、薄く障子をあけると廊下の様子を見て人がいないことを確かめるとするりと廊下に出て縁の下に素早く身を隠した。
– 続く –