迷い路 37
〜はじめのお詫び〜
闇月庵、拍手でぽちぽち更新
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総司の大刀が唸りを上げて柴田に向かって飛んだ。
まさか、肝心な獲物を投げつけてくるとは思わなかった柴田は、刀でそれを防ぐ。その隙に、脇差を抜いた総司が一気に間合いを詰めた。
柴田が総司の刀を叩き落とした次の瞬間、目の前に総司の顔があって、一瞬、柴田がひるんだ。
「あっ……!」
「終わりです」
総司は思い切り脇差の峰で首筋を打ち据えた。前のめりに柴田が崩れ落ちる。かろうじて、自分の大刀を支えにしようとしたが、そのままぐらりと崩れてしまった。
駄目押しとばかりに総司は脇差の柄で柴田の首筋をもう一度打ち据えると、完全にぐったりとなったのを確かめてから脇差を納めて、大刀を拾い上げた。
「沖田先生!」
待ちきれずに、様子を見に来たセイが総司の姿を見つけて泣きそうな顔で駆け寄ってくる。
倒れている柴田に驚きながらも、総司の様子を見たセイはどこも怪我をしていないことを確かめてほっと息をついた。代わりに総司の方が、懐から手拭いを出して、セイの腕の傷を縛る。
「待っていなさいと言ったのに」
「でも、沖田先生……。あの、柴田さんは」
「捕縄縄を持ってますか?」
「いえ、屯所で雑用をしていた時だったので」
持ってないのだと言いかけたセイに、片手をあげて黙らせると総司は刀の下げ緒を使って柴田を縛り上げた。その傍でセイが柴田の刀を拾い上げる。
よほど腹に据えかねたのか、総司は足で柴田を転がした。そして腰の鞘を引き抜いて、セイに渡す。
総司にはありえないほどの無造作な振る舞いに驚いたセイは、目を丸くしながら刀を納める。
「それはあなたが持っていなさい。じきに柴田さんの家に原田さん達が付くころですからここまで案内してきてください」
「あ、はい」
今度は総司の無事も確かめていたので、転がるようにセイは柴田の家まで駆け戻っていった。
セイが離れた後、気を失って転がっている柴田を冷やかな総司の目が見つめる。
「あなたを斬らないことにあなたも神谷さんも不思議に思うかもしれませんが……」
―― 決してそんなことはしませんよ
死んで自由になるなど許しはしない。そんなことをさせるつもりはなかった。
セイが連れてきた原田達、十番隊が柴田の身柄を運び、屯所に連れ帰った時にはとうに昼も過ぎて、いかに彼らでさえも対応に追われていたのかがわかる。
どの隊もまるで通夜のような静けさの中で遅い昼餉をとっていた。午後の巡察の隊は一足先に引き上げていたので、支度にかかっている。
これまでも、脱走した隊士もいたし、捕縛されて連れもどされる隊士もいて、その切腹だとて、隊士達の目前で行われてきた。
だが、今回は人質をとって、しかも昼日中、皆の目前からの脱走ということは少なからず、隊士達に衝撃を与えていた。
あちこちで、何が不満だったのか、セイを連れて逃げたにはセイに対してなにがしかの邪念を抱いていたのか、などあちこちで囁かれていたが、真実は副長室で取り調べられている面々だけが知っていた。
屯所に戻った、総司とセイ、そして、身を隠して探索に回っていた山崎の顔もあった。
一番沈鬱な顔で部屋の隅に座っていたのは原田である。
「本当にお前に向かって来て、お前が斬った奴は柴田だったってんだな?」
「ええ。それは間違いないでしょう」
頷く総司の次にセイに視線が向けられる。そこにいちまいの薄紙でも挟んだような気持ちでセイは話を聞いていた。
「そこにお前が」
そういいながら土方が腕を上げると、総司が切ったという右腕のあたりを指し示す。
「この辺にあった総司の斬ったという傷跡を見たんだな?」
ぼんやりとしていたセイは、目の前にもう一度同じ光景を思い浮かべていた。あの時、よほど気になって、立ち止ったのだろう。そのまま隊部屋に入ってしまえば気づかなかっただろうに、どうしてあの場所に立ち止ってセイの方を振り返ったのか。
「……傷跡を見たんじゃありません。こう……腕に巻かれた包帯をちらりと」
歯切れの悪いセイにちらりと視線を向けたが、それは不問にするということなのかふいっと視線を逸らした土方は上げていた腕を下ろした。
柴田は今、猿轡をかまされて、蔵に放り込まれている。
「柴田は認めたのか」
「逃げ切るつもりはもともとあったようですね。支度も十分すぎるほどされていた」
「なるほどな。なら、斟酌は無用だな」
山崎も総司も土方の一言に異を唱えるつもりなどなかった。
「あの!」
いきなり畳に手をついたセイは、額をこすり付けそうなくらい頭を下げた。
「なんだ。神谷」
「その、一目でいいんです!柴田さんを桜香さんに会わせてあげていただけませんか」
「はぁ?何を馬鹿なことを言ってやがる」
呆れかえった顔でセイを見た土方は怒鳴りつけた。
セイは自分でもどうしてそんなことを言い出したのかわからなかったが、とにかく最後の最後に合わせてやりたかった。それがどちらのためだとしても、誰のためになるわけでなかったとしても。
「お願いします!柴田さんの減刑をお願いするわけじゃありません。ただ、最後に会わせてあげて欲しいんです」
「寝言を言うな」
「そこをなんとか!お願いします。副長!」
総司も山崎もそこに何かをさしはさむつもりなどないのは目に見えていたが、それまで少しも動かなかった原田がゆらりと立ち上がった。
頭を下げていたセイにはわからなかったが、総司と山崎が顔をあげて原田を見上げたところで、原田がセイの肩に手をかけて引き起こした。驚いたセイが顔を上げたかどうかというところに、原田の拳が落ちてきた。
「かはっ!!」
総司の膝元に向かって転がったセイに向かって、もう一度拳を振り上げた原田の背後を取ってあっという間に振り上げた拳を背中の方へと捻り上げた。
「あきまへんなぁ。原田先生。落ち着きましょ?」
捻りあげられた拳はまだ握られたままでぶるぶると震えている。山崎も見た目以上に本気で押さえ込んでいなければ、いくらでもセイを殴りつけそうだった。
殴られた弾みで口の端が切れて血を流したセイは、初めて見た原田の深い怒りに怯えて、畳に転がったまま原田を見上げた。
– 続く –