迷い路 38

〜はじめのお詫び〜
闇月庵、拍手でぽちぽち更新
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「手前ぇ、何を言ってるのかわかってんのか!」
「原田先生。堪忍してやってください。神谷さんはどっちの心情にも近づきすぎるんですわ」
「そんな理由で許されるわけねぇだろ……」

そう言いながらも山崎が力いっぱい押さえていた腕から徐々に力が抜けていき、それに合わせて山崎も力を抜いた。

思いがけない怒りを見せた原田に驚いたセイは、手をついて座りなおした。二人を最後に会わせたいと思ったことは変わりがないから何を言っても変わらないと思ったのだ。

「柴田は切腹も拒んでる。原田。お前、柴田と話をして場を整えろ」
「承知」

むすっとしたまま諾を返した原田はセイの姿など見もせずに立ち上がると、荒々しく副長室を出て行った。山崎も紅糸の後始末がある。町方に引き渡すにしても、そのあちこちに話をつけておかねばならない。
土方の傍に近づいて、ひそひそと何事かを語り合った後、総司には目礼を送って部屋を出て行った。

膝の上を一つ拳で叩くと、土方はため息をついて総司を見る。

「総司。むざむざ人質になって恥をさらしたこいつは三日の謹慎だ。蔵に放り込んどけ」
「承知しました」

まだ手をついているセイの頭の上で、話が決まり、伏せたままのセイの腕をとった総司が副長室からセイを連れて出た。

蔵は、いくつかあって、柴田が放り込まれている蔵は、罪人を閉じ込めておくためのものだが、総司はセイを荷物や書類が置かれている蔵の一つに連れて行った。大戸はあいていたので、内戸を引きあけてセイを中へと押しやる。

「大人しく入ってらっしゃい。後でその顔を冷やすものを持ってきますから」

素直に中に入ったセイの肩を軽く叩いて、総司はそれだけを言うと、蔵を閉めて出て行こうとする。その総司を反射的に呼び止めてしまった。

「沖田先生!」
「……なんです?」

ゆっくりと振り返った総司に、セイは縋りついた。

せめて紅糸を助けてください。

それもまた罪だとわかっていて、口を突いて出そうになる。恋情の引き起こした狂気も、何もかも混沌としすぎていてセイは自分自身が引きずられていることにも気づいていなかった。
だからこそ、土方は頭を冷やさせるためもあって謹慎を言い渡したのである。

総司はそれには触れず、セイをさりげなく引き離した。

「少し頭を冷やしなさい。何があったのかは他言無用です。謹慎中の貴女の世話は私がしますから」

そう言い置いて蔵を出た総司は、隊部屋へ戻ると、セイが三日の謹慎だと告げた。心配で気を揉んでいた隊士達も、一度はセイが無事に戻ったこともあって、比較的落ち着いてそれを受け止める。

「まあ、いくら仲間だと思って油断したとはいえ、副長からすれば士道不覚悟だよな」

ひそひそと囁き合う皆に、セイの世話は自分がするといって隊務に戻らせた。
走りまわっただけに汗だくで、着物も埃にまみれている。着替えを用意すると総司は井戸端に出る。いつになく、重く感じる体を持て余しながら着物を脱いで下帯一つになると、頭から水を被った。

髪の間からも汗が洗い流されて、総司の頭も急激に冷えていく。

柴田がもし、それほどまでに桜香を想っているなら、いくらでも金を使って落籍してしまえばよかったのだ。隊士として嫁にすれば、対面も整うし、柴田や桜香が暮らした貧乏暮しほどは辛くなかっただろう。
結局、平たく言えばどれだけ好きだと言われ様が、柴田は振られたのだ。

―― でも、私だったら思いきれるだろうか

もし、セイに想いを告げる日が来たとして、断られた相手を想いきれるだろうか。
総司に拒絶されて命を絶ちかけたサエの事が思い浮かぶ。命を絶とうとは思わないだろうが、セイへの想いを引きずりはしないだろうか。まして、それが、自分の知る誰かの元へセイが向かったなら。

そこまで考えた総司は、初めて斉藤の腕の中にいるセイや、中村の腕の中で微笑むセイを思い浮かべて、胸の内が焼き尽くされるほどの痛みを感じた。

幸せでいてさえくれればいいなど、ていのいい言い訳で。

―― なんで醜いのだ。私は……

いっそ、ここまで桜香を想い、狂気と知りつつも、桜香の近くにいて、その夢が叶う様にと願った柴田よりもはるかにひどい気がする。

幾度も被る水がすべての醜い悋気さえ、洗い流してくれればいいのにと思った。

さっぱりと身を清めた総司は隊部屋に戻り、柴田逃亡の後始末に追われていた。実際、十番隊がすべきところではあったが、原田がひどく荒れていて、何をするにしても遅々として進まないので、総司の指示で一番隊が手伝いに回ったのだ。柴田の家までもう一度向かって、家の中をもう一度くまなく捜索する。
後で戻るつもりで、まだほかにも隠してある金がないか、着物や刀、それらの一切を屯所に運び込んだ。

その量をみても、いつかは家に戻るつもりでいたのか、桜香を住まわせるつもりだったのか、家財道具も一式、きれいに揃えてあった。

「結局、あいつは何をしたかったんだろうな」

屯所の片隅の一間に積み上げられた荷物を見て、原田はぽつりと呟いた。中には女物の着物もある。町の女房風ではなく、あくまで武家の妻女といいたげなそれに、顔を背けたくなる。

「原田先生……」

副長室でセイに向けられた怒りのほとんどは、本当は柴田に向けられたもので、今はそれもすっかり消え去ってしまっていた。燃え残りの炭のような原田になんと声をかけていいのか、十番隊の隊士達もわからなかった。
淡々と荷物の仕分けを始めた内海は、手際よく家財道具から小者を使って、売り払う手配をかける。

「原田隊長。一通り、落ち着いたら隊長の家に遊びに行ってもいいですか」

もう、しばらく酒はいらねぇなぁ、と呟いていた原田に向かって珍しく内海はそう言った。伊東をあしらうように原田に対しても、いつも淡々としている内海だが、さすがに今回は見かねたらしい。
次々と俺も、俺もという声に片手を上げると、元気なく微笑んだ。

「俺ぁ、向こうにいるから始末がついたら呼びに来てくれ」

隊士達が頷くのを待って、荷物でいっぱいの部屋を出た原田だったが、実際に向かったのは隊部屋ではない。隊士達に指差したのは隊部屋の方だったが、実際には中庭に面した廊下にぼんやりと腰を下ろしていた。

ぼんやりと庭を眺めていた原田の頭の中は何も思い浮かばなかった。

ただ、目の前で風に揺れる樹ともう少しずつ暮れ始めた光を見ているうちに、原田の胸の内ですとんと何かが落ちる。立ち上がった原田は、柴田が押し込められている蔵へと向かった。

 

– 続く –